【夢五輝石】永遠の夏休み
目を覚ますと、夏の日差しが目に焼き付いた。
私は一人、畦道に立っている。片手に虫網、肩からは虫かごの紐をぶら下げている。セミは今を盛りと鳴いていて、空は晴天、遠くには入道雲が見える。
そうだ、夏休みはまだ始まったばかりなのだ。虫かごの中身が空なところを見ると、これから虫捕りに行くところだったのだろう。あまりの暑さに白昼夢でも見ていたようだ。
私は、顎を伝う汗を拭うと、麦わら帽子を被り直し、畦道を駆け出した。
森の中は、異空間に似ている。木陰のおかげで真夏は涼しく、真冬は風除けとなって寒さを凌いでくれる。
よく見ると、見たことのないキノコや虫がたくさんいて、朝から日が暮れるまで居ても飽きることがない。
樹に登ってリスの巣穴を覗いたり、モグラの坑道を踏みつけたり、野ウサギを追い回したり、樹液に集る虫を集めたり、やることは絶えない。
喉が渇いた時は、小川の水をすくって飲む。お腹が減った時は、木苺やクルミを割って食べる。用足しなら、その辺の草むらで事足りる。
時折、人でも獣でもない生き物が木陰からこちらを見ていることがある。はじめは気になって追い掛け回してみたが、彼らは気配を消す名人で、決して捕まらない。こちらに害を成すわけでもないので、放っておくとそのうち気にならなくなった。彼らはそういう生き物で、森の一部なのだ、とあとから祖母に聞いて知った。
そういう存在は、森以外の場所にもいる。海で泳いでいると、時折足に触れる何かがある。顔を付けて覗いてみると、魚の影に隠れて泳ぐ彼らがいた。森のそれとは少し姿形が違っていて、足が魚の尾びれの形をしている。海の中で彼らの泳ぎに敵う者はいない。
川にいる彼らはちょっと厄介で、深いところを油断して泳いでいると、足を引っ張られてしまう。慌てて僕が手足をばたばた動かすと、すぐに離してくれるのだが、慌てる僕を見て喜んでいるようだ。悪気はなくても少し嫌な気持ちになる。
川では泳ぐ他にも魚を採って遊ぶこともある。時折、クマがやって来て僕より上手に魚を採っていく。クマは大きくて危険だけど、ある一定の距離を保ってじっとしていれば、こちらを襲ってくることはない。クマも彼らも同じ自然の一部なのだ。
遊び疲れて縁側で休んでいると、祖母が畑で採ってきたスイカを切って出してくれる。川の水でよく冷やしてある大きなスイカで、一口齧ると果汁が溢れて喉の渇きを癒してくれる。
僕がスイカを頬張っていると、隣で祖母がテレビを付けた。
そういえば最近テレビもゲームも触っていないことに気付く。友達の間でも流行っていて僕もゲーム機は持っているのだが、外で遊ぶ方がずっと楽しくて、すっかり忘れていた。
テレビでは、自然破壊が進んでいて、その対策のための会議をすると言っていた。それを見ながら祖母が独り言のようにつぶやく。
「自然は大事にせんといけんよ」
僕はスイカの種をどれだけ遠くに飛ばせるかという遊びに夢中だった。
毎日外で走り回っているので、夜はぐっすり眠れる。
でも、時々興奮しすぎて、なんだか胸がざわざわして眠れない時がある。そんな時は、外へ出て寝転び、星空を眺める。
都会と違ってここでは街灯が一つもないし、家もまばらにしかないので、星がよく見える。星座のことはよく知らないので、適当なものを好き勝手に当て嵌めて名前をつける。そのうち流れ星の数を数えながら眠ってしまう。
しかし、朝起きると何故かちゃんと布団で寝ているので、昨夜のことは夢だったのだろうかと思う。
でも、蚊帳の中で寝ているにしては体中が蚊に噛まれてかゆい。
たぶん、祖父がそっと僕を起こさないよう運んでくれているのだと思う。
祖父が山で竹を一本切ってきてくれた。それを縦半分に割って傾けたら、川の水を流してそうめんを流す。しっかり冷えたそうめんは、するすると喉をとおるので、僕は何杯もお代わりをする。祖母が育てた畑の野菜は、大きくて瑞々しくて甘い。いつもならあまり食べない野菜でも祖母の畑のものならいくらでも食べられる。
ある日、川辺で古い水車小屋を見つけてから、僕は水車を作ることに夢中になった。壊れた部分は木切れを集めて修復し、詰まった汚れを取り除くと水車はくるくる回った。
でもある朝、水車は止まっていた。水の中で何かが引っかかっているようだった。
引き上げてみると、それは川の子らの死体だった。
僕は、彼(か彼女かわからないけれど)のために小さなお墓を作ってあげた。水車は、再びくるくる回りだした。
その日を皮切りに、川の子らの死体がどんどん増えていった。彼らが度々水車を止めるので、僕は水車を完成させることを諦めた。
森にも異変があった。青々と生い茂っていた草木は枯れ始め、森の子らの死体を見ることが増えた。透き通っていた海は濁ってしまい、海の子らの姿を見ることはなくなった。
僕は悟った。夏が終わろうとしている。
永遠に続く筈だった僕の夏休みが終わってしまう。
居ても立っても居られなくなり、夜、僕は布団を抜け出して森へ向かった。小川には、蛍がちらちらと光を放って飛んでいたが、前に見た時よりもずっと数が少なくなっていた。
よく見ると川の水が汚れている。どろどろした黒い水が流れてきて、目の前で蛍の光がひとつ、またひとつと消えていく。それらがすっかり消えてしまうと辺りは暗闇に閉ざされた。
それでも僕は動けなかった。森はしんと静まり返り、命の灯が消えかかっているように見えた。
「君はどうしたい」
突然、誰もいない筈の暗闇から声をかけられた。
じっと声のした方を見つめていると、徐々に目が慣れはじめ、枯れた木々の隙間から漏れる月明かりがぼうっとその輪郭をおぼろげに浮かび上がらせた。
それは、黒い服をきた男の人のようだった。
誰、と尋ねた僕の問いには答えずに、男は再び同じ質問をした。わけがわからず僕は首を傾げた。
「どうしたいって……何を」
「このままこの世界と共に滅びを迎えるか。それとも、君の世界に帰るか」
僕は、はっとした。男の最後の言葉は、とても残酷なことのように感じた。
「帰らなきゃいけないの」
「君次第だ」
少しの間、僕は考えた。
「帰る場所なんてない」
男は、そうか、とだけ呟くと、ぬっと黒い手をこちらに差し出した。
「キセキを渡してもらおう」
なんだか聞き覚えのある言葉だな、と思っていると、視界の端にぽうっと光が見えた。
蛍だ。たった一匹になった蛍がふわふわと飛んで、僕の目の前で止まった。僕がそれに手を伸ばす前に、男が横からさっとそれを奪った。
男が掌を開けると、そこには光る石が乗っていた。その光を見た途端、僕の意識は途絶えた。これがきっと、死というものなのだろう。
森が消え、川が消え、海が消える。
男の姿はどこにもない。
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