【夢三輝石】時空図書館

目を覚ますと、少し埃っぽい羊皮紙の匂いがした。

顔を上げると、強張った身体がきしむ音がした。

うーん、と背筋を伸ばして首筋をもむ。

読みかけの本が開かれたまま机の上に置かれている。

どうやら本を読みながら眠ってしまっていたようだ。

圧迫されて痛む頬をさすりながら首を周囲にやると、壁一面が本棚で埋め尽くされていた。


【時空図書館】


 ここは時の流れと無縁の場所。

 永遠に本を読んでいられる場所。

 世界中のあらゆる時代の本がここには収められている。


 私は、読みかけていた本の続きを読み始めた。西洋のファンタジーで、一匹の鼠が魔法使いを救うため旅に出る物語だ。

 主人公の鼠が一生懸命で可愛く、魔法使いへの一途な想いがよく伝わってくる。鼠を食べようと追い掛ける猫のキャラクターも味があって面白く、ちょうど魔法使いが捕まっている城へ侵入するところまで読んで眠ってしまった。


 そういえば、眠っている間に夢を見なかったなと思い、ふと《夢》とは何だっただろうか、と首を捻った。


 まぁ、いい。あとで《夢》について書かれた本を探して読んでみればいい。ここには、どんな本だってあるのだから。とにかく今は、早くこの本の続きを読みたい。

本のページを捲ると、私はファンタジーの世界へと飛び立った。


 大理石の床をこつこつ音を立てながら、長い廊下を歩いていく。左右の壁にある本棚には、床から天井までびっしりと本が詰まっている。脚立で届かない高さには、木製の通路が壁に沿って作られており、どこかの階段から上へ登れるようだ。


 ここでは、自分の読みたいと思う本が自然と見つかる魔法がかかっているようで、足は自然と目的の場所へと向かった。

 やがて円形の広間に辿り着いた。ぐるりと周囲の壁に沿って本が陳列されている。その中で、赤い一冊本を手にとり、近くにあった長椅子に腰を下ろした。緑色のビロード張りの長椅子で座り心地が良く、いつまでも座っていられそうだ。


 本の表紙には、『夢についてのあらゆる検証と知見』と書かれている。私はページを捲り、五百ページ以上に渡って記されたその記述に目を通した。概略はこうだ。


 ――《夢》とは、睡眠中にあたかも現実で経験しているかのように感じる一連の観念や心像のことで、脳が見せている幻覚だとこれまでは考えられてきた。

 しかし、西暦二〇××年、脳科学研究の第一人者であるミュラー博士は、脳には異次元の世界へ跳躍する力を持つ部位があると発表した。その力を使って眠っている我々に異次元の世界を垣間見せているのが《夢》なのだという。

 発表当時は全く信憑性がないと否定されていたが、《夢●●》が発見されて、その説が正しいと証明された。

 《夢●●》とは、輝石の一種で、脳の夢を見る部位だけにある特定の影響を与えることが判明された。それは、異次元の世界に跳躍する脳の部位を特定の座標に固定するというもの。

 つまり、自分の好きな夢、望む異次元の世界を生き続けることができるのだ。――


 私は、読み終えた本をぱたんと閉じた。所々黒塗りで潰れた文字があったが、どこかで聞いた話のような気がする。……が、やはり思い出せない。

 ここにある本は、過去、現在、未来のあらゆる時代の本なのだ。遠い未来に実現していてもおかしくはない。

 本を元にあった場所へ戻しながら、私だったらどんな夢を見るだろうかと考えて、はたと思い当たる。まさに今ここにこうしていることがそれだとしたら……。


 一瞬、頭の奥がちりちりと痛む。

 しかし、すぐにその考えを打ち消すように頭を振ると、痛みはすっかり消えていた。きっと気にし過ぎだろう。


 次はどんな本を読もうかな、と目を泳がせた先に、『魔法書』と書かれた本が目に留まった。私は、目を輝かせて手を伸ばす。本を開いた時には、もうすっかりさっきまでのことは忘れていた。


 読みたい本はたくさんある。アレクサンドリア大図書館の蔵書や、イワン雷帝の蔵書、焚書など、過去に失われて読むことができない本も、ここなら読むことができる。ここにある本の全てを読むことが私の今の《夢》なのだ。

 時間ならいくらでもある。ここでは時という概念がないのだから。不思議と空腹や喉の渇きを感じないのは、その為だろう。時折やってきていた眠気も、本を読むうちに感じなくなっていった。


 貪るように本を読み耽る女の様子を、三階の通路からじっと見ている影がある。

 それは、その時まで動くことはない。タイミングが大事なのだ。


 突然、図書館の一角から火の手が上がった。それは次々と周囲の本を食らい勢力を広げていく。

 そして、円形の広間に辿り着くと、壁に沿って床から天井までをぺろりと舐めあげた。周囲を火に囲まれても、女は本を読み続けた。熱さも息苦しさも感じていないようだった。ただ彼女に見えているのは、目の前に広げた本の世界だけ。そんな自分に近づく謎の影の存在にすら気が付かない。


 影は、女のすぐ背後まで迫ってきていた。煌々と燃え上がる炎に照らされて、黒い服を着た男の姿が浮かび上がる。男は、ぬっと伸ばした手を女の後頭部へと突っ込むと、何かを掴んで抜き取った。

 同時に、女の姿が煙のように消えていく。


 否、読みかけの本の上に小さな小さな紙魚がいた。それが女の成れの果てだった。

女は自分が紙魚になったことにも気づかず本を読み続けた。


 男が掌を開けると、そこには光る石が乗っていた。男は、それを確認すると、あっと言う間に姿を掻き消した。残った本と虫も、すぐに炎に飲み込まれて灰となった。

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