彼の答え。彼女たちの選択

「もう一人私が欲しい、か」


 映し出された挑戦状。

 叩きつけられた白い手袋。それを彼女は、ゆっくりと拾い上げる。


「来てやったぞ。


 叶うとは彼女自身も思わなかったであろうその挑戦が、今ここに花開いた。


「自分宛ならこんな隠しておく必要も無かったんじゃ……」


「なんの苦労もしていない私には重たすぎる荷物だ。値しない……とでも言うんじゃないかな?」


「あー、確かに」


 淡々と告げる遥さんの姿が容易く想像できる。


「けれど君と、私は辿り着いた。私が用意したのであろう場所まで」


 彼女の日記にあった、過去の私が欲しいという発言が本当に叶ったのだとするのなら、俺達がここに居る事自体が不知火遥の差し金になる。漸くスタートラインに立てた、とでも言うべきだろうか。


「さ、整理と行こう」


 もはや前置きは必要ないと言わんばかりに、彼女はホワイトボードと向き合う。

 『前提条件:繰水薫の消失』


「これは、私達の至った結論と同じだね」


「違うのは、先輩は条件まで調べ上げていた……ですかね?」


「そうだね。やはり私はこれを科学としてとらえていたようだ」


 いつものように、対照的な実験やら仮定やらを織り交ぜ、真相に至ろうとした。だが、彼女がたどり着くことはついぞなかった。


「それでは駄目だった。私は私を信頼している、つまるところ」


「科学では、ない?」


「実験で求められる範疇を越えていた、という可能性もあるね」


 遥さんが俺への研究に使った月日は一年だ。

 たった一年、けれど、稀代の天才が全身全霊をかけて積み重ねたその時間は、常人の何倍もの重みをもつ。この場で彼女と同じ方向を向いて思考しても、一年かけて彼女がたどり着いた場所へは進める気がしなかった。

 なので、道を変える。崖に上れないのなら、湖を渡ってでも結論にたどり着く。


「此処からは君の領域かもしれないぞ?後輩君」


「俺の?」


「そうだ。君の推測でしか、恐らく解けようもない」


 真剣な表情で指をさす遥さんに、思わず首を傾げた。

 確かに、論理的思考が通じないならば推測が必要になるかもしれない。だからと言って、俺だけしか解けないというのは……


「忘れたのか?消失したのは、君なんだ」


「……死んだときの自分を、想像してズバリ当てろと?」


「そういう事になるねぇ」


「……はぁ~~~」


「出来ないかい?」


「やりま──


 言い訳を口にしかけた口を潰し、決意へと変える。

 遥さんは満足そうに笑っていた。


「思ったことは口にします。反論があったら、すぐ言ってください」


「勿論だ」


 遥さんはホワイトボードの前から移動し、対面に座る。

 何度も繰り返した、この位置。議論を繰り返して、時には他愛もない雑談をした、この場所で俺は今から、自分の死を推測する。遥さんは自分の死について何回も考えて、遺書まで自分で読んだんだ。それに比べれば、どれだけ優しい事だろうか。


「まず、先輩のメモには、高校を卒業して、死ぬまでの六年間に付いての記述はありませんでした」


「そうだね」


「普通に考えれば、交流が無くなったという線もあります」


 だが、その可能性は切り捨てる。

 文脈を読み取れ。


『離れたりすることはあれど、いつもそれは傍に在った。』

『彼が会話の節々で発した地名』


 今まで、俺は彼女に故郷や母校の話をしたことが無い。これから彼女が卒業するまでの一年間であったとしても、小学校中学校なんかに結び付く情報を吐ききるとは思えなかった。だって、俺の記憶には蓋がされていたのだから。

 蓋から漏れ出た水が情報となるには、それ相応の歳月が必要だ。


 そして、いつもそばにあった。

 彼女の隣に、いつもおれは居た。


「この六年間、俺は遥さんと共に居続けた」


「それなら何故記述がない?」



 こんな記述が、遺書にはあった。

『私は、「 」を失った時に初めて。』


 失ってはじめて気づく、なんてチープな表現がある。それが、彼女の身に起こったというのならば、この説でも話は通る。わざわざ書こうとも思わないぐらい、身近に居続けた。


「まぁ、単純に記憶が薄れたとも考えられますけど」


 存在の消失によって記憶が失われ、書くことができなかったという可能性も十分にある。


「どちらにせよ、共に居たということだ。それで何がわかる?」


「……タイムリープが無い場合、俺はきっと過去の事を思い出せなかったかもしれません」


 いつか話す、と彼女は言っていた。

 だが、この関係を続けていたいと願うような記述も、メモ書きの中にはちらほら散見された。つまり、遥さんは俺に過去の事を告げずにいたのかもしれない可能性が浮上する。


「自分の中ですら、自分の根幹を忘れる」


 繰水薫という人間が形成される一番最初の記憶が、失われたままだったとしたら?


「けれど、記憶が刺激される相手と共に居続けた」


 俺が高校で遥さんと出会った時に心が埋められていく感覚を得たように、空虚は埋まっていたのかもしれない。だが、その穴は埋まっただけだ。癒えた訳では無い。傷口は、痛み続けるのだろう。


「一種の矛盾というか、相反するものを抱え込んでいたんじゃないですかね」


 過去を抑え込む自分。

 思い出したいと泣き叫ぶ自分。

 そのどちらも胸の中に仕舞い込んで、笑顔の振りをして日々を生きていた。耳の痛くなる話だ。


「……そんな顔しないでくださいよ」


 ふと、顔を上げると。

 苦虫を噛み潰したどころか、そのまま奥歯まですりつぶしてしまいそうな程くらい形相をした遥さんが居た。


「気づいてやれなかったのだろうな。私は」


「おあいこじゃないですか」


 俺が過去の事を忘れてしまっていたのだから、彼女が、それも別の時間軸の自分がしたことを恥じる必要は少しも無い。


「辛くて、苦しくて……でも、きっと死のうとはしなかった」


「何故?」


「先輩がいたから」


 先輩の遺書に書いてあったことの逆で、俺という存在もまた先輩に深く絡まっていた。彼女がこの世界で生きるなら、笑うなら、そう簡単には死のうとしない。これだけは推測じゃなく、確信だった。


「なぁ、急に口説くのは君もじゃないかい?」


「……許してください」


 論理の展開的に仕方が無かった。


「だから、六年も生きていた」


「けれど、君は結局亡くなったのだろう?」


「先輩の日記では、偶発的に起こりうる死因と書かれてました」


 だから本当に、偶然死んで。

 偶然、条件を満たしたのではないか。


「ある種の矛盾を抱えた、二律背反の精神状態。その状態で、命を落とすこと」


「それが、君の答えかい?」


の推測です」


 不知火遥と違って、俺は天才じゃない。

 目まぐるしい思考回路も、図書館のような知識もない。


 でも、俺は。繰水薫は。

 誰よりも彼女の隣にいた。繰水薫という個人で居続けた。


 これは、推測だ。いいや、そうあって欲しいと願う願望ともいえる。

 不知火遥が願った、過去の自分との邂逅。普通なら叶う事の無かったそれが今、現実として実現しているのは、もしかしたらこの時間軸の俺が頑張ったからなのかもしれない。


『呪い殺そう。呪いなんてものが存在するのか死後調べるのも、楽しみだろうか』


 彼女が行おうとした呪いの、反対。

 彼女への祝福。無念のまま死んでいく少女への、死者からの祈りだったのではないか。


 バリン、と窓ガラスが割れる。

 連動するように扉にはめ込まれた硝子も粉砕され、教室という景色自体が崩れ去っていく。パソコンの電源が消されたかのように、景色がどんどんと消失していく。だが、恐怖は無かった。


「正解だったらしいな?後輩君」


「はい、先輩」


 心から、笑顔が漏れ出た。

 あの時泣き続けた少年も、これで少しは報われたのだろうか?



 ◆



「……」


 何の変哲もない、市街地の真ん中に男が立っている。

 不知火遥は、それを見た瞬間に理解した。あれが未来の繰水薫であることを。


 車が行きかう横断歩道を、彼が歩き出したその時、手に持ったスマートフォンから通知音が鳴り響いた。それは、不知火遥からのメールであった。内容を確認する、その前に、彼は笑顔を見せていた。


「後輩君、君ってやつは」


 何を言われたのかもわからない。

 いつものようにパシリなのかもしれないし、もっと面倒くさい何かなのかもしれない。それでも、彼はこんなにうれしそうに笑うのだ。私は、それで満足だ。それを知れただけでよかっただろう?


 何回も飛び降りた甲斐はあったか?私。


「っ!?」


 スマホを見ていた所為で、彼は赤信号を無視して走ってくるトラックへの反応が遅れてしまう。咄嗟に避けれる距離ではない。周囲の人間が思わず息を呑んだ……その、瞬間に。


「余所見は危ないな?後輩君」


 白い、小さな手が。

 彼の手を強く引っ張った。彼女らしくない、力強い行動だった。


「……遥、さん?」


 腰が抜けて、薫は座り込む。そのまま上目遣いできょとんとした様子で首を傾げる姿が、今と一切変わらなかったのを確認した不知火遥は、満足そうに笑いながら屈みこむ。


「愛しているよ。今も……未来も」


 ちゅ、と。小さな口づけを彼の頬に沿えて、悪戯っぽく微笑む。

 それを最後に、彼女はこの時間軸から姿を消した。




 ◆




「……」


 女が、学校の屋上に立っている。

 橙色を塗り付けたような夕暮れに独り佇む彼女の姿は、それは画になるものだった。白いワンピースが、秋の風に揺られている。


「そうだったんだ、先輩」


 先輩が飛び降りるまでの十五分間、何が起きているのかがずっと不思議だった。階段を登っているのか、それとも……。答えは単純で、とても、辛いものだった。


 ぎゅっと握った拳が震えている。

 成人女性の体を支えるには頼りなさすぎるほどに、両の脚が振動する。


 恐怖していたんだ。

 天才が、不知火遥が。自分の死を目の前にして、只震えるしか出来ずに怯えていたんだ。


「っ!」


 決意を固めて、彼女が一歩を空中に踏み出す。

 彼女を支える者は何もなく、そのまま地面へと向かっていこうとする……その、直前で。


「先輩、何やってるんですか」


 後ろから抱きしめる。

 ハグをしてみたいと、彼女は言っていたから。


「……はは、遂に幻覚が見えるようになったのか?」


「そうかも、しれないですね」


 くるりと振り返った不知火遥は、諦めたかのように笑った。

 でも、その顔は何処か納得にも似ているように見えた。


「……きみは、助けに来てくれるんだな」


「勿論」


 遥さんが一歩近くに歩み寄って、それに合わせて俺も前に出る。

 そして、もう一度その体を抱きしめた。研究に明け暮れて、弱って、細くなった体の感触が腕に伝わってくる。もう二度と離さないように、忘れないようにと強く抱き寄せた。


「……なぁ、後輩君?」


「はい」


「そのキスマークは、いったい誰のだ?」


 少しむくれた顔で遥さんが言う。

 その視線は、俺の首元にあるキスマークに向けられていた。


 一度付けられて、時が戻って消え去って。

 でも、進んだから此処に在る。前に進んだから、彼女の親愛の証が、ここに残っている。


「大丈夫ですよ、先輩」


 ああ、寂しいな。

 でも、笑って言おう。きっと、この先輩に言える最後の言葉だから。


「ちゃんと、不知火遥はここに居た」


 キスマークを撫でて。

 口角を、吊り上げて。


「愛してます」

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