9回目─2
俺に続くように、遥さんが論理の牙を研ぎ始める。
「科学とファンタジーの境目ってところかな。理論は通じるが、常識が通じない」
とん、と人差し指で頭を叩き、そのまま髪をかき混ぜるようにゆっくりと指先を移動させる。
「君が世界の異常、それに気づいたことによって世界はおかしくなった」
「でも、それって先輩の時点でおかしくなってないと変じゃないですか?」
俺は、俺の名前を思い出すことで世界に異常を起こした。でも、先輩は俺より前に「薫」という名前を呼んだ。その時点で壊れていないと変じゃないのか?
「それなんだよ。私……いいや、私達は、思い出したわけじゃないんだ。透明なものを見つけるために輪郭をなぞるように、私から消えた部分を取り出したに過ぎない」
「成程……え?」
「二度見、いや二度聞きかな?」
いや何というか、理論上は理解できるけどそれって本当にできるもんなの?なんか破綻してるようでしてないような……
「じゃあ、言い換えようか。一冊の本があるとする。消えた文章をもう一度書いたのが君だ。そして、消えた文字から消えた部分を推察したのが私だ。おーけー?」
「ううん、おーけー……」
つまるところ、方法が違うという訳だ。
俺の方法じゃないと、この現象は起こらなかったという事だろう。
「ここが影響を受けていないのは、恐らく元々断絶されていたからだ。不幸中の幸いと言うべきか……」
「でも、良いことを知れたんじゃないですか?」
「そうだねぇ。これで、内側からでも外に干渉できるのが分かった」
時間軸がおかしくなってしまったからなのか、外の風景は異常になった。しかし、内側は変わっていない。ここからわかるのは、外からの影響は受けないが、外の世界には干渉できるということだ。
「自分に影響がかからないだろうところで無茶苦茶するのは楽しいね」
「正直解ります」
一度舞台に降ろされて、また観客席に戻ってきたという訳だ。
終わったはずの未来の物語。不知火遥は死に、繰水薫は存在を失うというバッドエンドを、外側から無茶苦茶にする。これほど楽しいことも無いだろう。
「まあ今から無茶苦茶の仕方を考えるんだが……」
「そうですねぇ……」
ヤジにしろ、何かを投げるにしろ。
舞台に対して何かをするには方法がある。それを、見つけ出す科学をするのが目的だ。
「普通に考えて、自殺の原因を突き止めるなんかがありそうですよね?」
「だが、それはもう終わっている……いいや、終わっていないのか?」
遥さんはホワイトボードを見ながら、ゆっくりと呟いた。
「君が消えた理由が、またわかっていない。それが、間接的に私が死んだ理由になるのか」
「一個もヒントなくないですか?」
「いいや、あるはず……いいや、あるだろうね」
遥さんが立ち上がり向かった先は、彼女の鞄が置かれている棚だ。歩きながら、彼女は言葉を紡いでいく。
「私はずっと疑問だったんだ。私が、研究を止めることがあるのかと」
鞄を掴み取る。
「確かに君が消えれば辛い。意気も消沈するだろう。でも、逆に君の為に研究を続ける。君は、私が俯くことなんて望んでないだろう?」
「……その通りです」
俺がいつか死んで、彼女が一人になったとしても、俺を引きずることだけはやめてほしい。彼女ほどの才能が潰えてしまうことを恐れる、と建前は言っても。
それを、彼女も知っている。
机の上に鞄が置かれた。
「『だから研究を止めた。君らが期待したような遺品を残すつもりは無い。』」
自分の遺書を引用する。
「私は嘘を吐かない。だから、研究じゃない、世間が望むような、世紀の大発見でもない。恐らく、強いて言うならば……」
にこり、と微笑む。
そこに残った面影は小さなころそのままで、いつもよりさらに輝いて見えた。
「君から学んだ、貰った
本人だからこそ、不知火遥だからこそできる、未知に対して自分がどんな対応をするのか、そして、どうやってそれを遺すのかという道筋。迷いなく、彼女はそれを辿っていく。
「私は秘密主義だからなぁ……何処に隠したのか……」
少なくとも、メモは確認していたし、写真は確認していた。
普通の人間が記録に使うような媒体は残っていない。それでいて、不知火遥が使いそうなもの……。
「あ、先輩」
「ん?」
「前、スマホで文章書いてましたよね」
「あぁ、確かにメモをスマホですることはあるが、それはもう……」
「いや、論文かなんかです」
「……そうか。それなら!」
遥さんの膂力は冗談抜きで小動物レベルなので、ノートパソコン等の機器を持ち歩くだけでも重労働だ。なので、殆どの文書──論文だとかそういうものも──はスマホで済ましている。
「あぁ、在った。名前のないファイル……!」
「見れそうですか?」
「いいや、ロックがついてるな。弱った、こういうのは私の範疇じゃないぞ……」
「どんな形態ですかね」
「確か……英数字と記号だけだな。ロック何てかけたことも無いものでねぇ」
遥さんのセキュリティ意識の低さが裏目るとはな……。
彼女が言うには結局全部発表するんだし、ぶっこ抜かれたとしても内容は頭に入っているのだから関係はないらしいが、正直心配しかなかった。未来では改善されているらしく、嬉しいやら今は障壁になっているやらで複雑な気持ちだ。
「技術的なものでいけないなら、先輩がかけそうなロック試してみたらどうですか?」
「安直な誕生日だとかは試したよ。駄目だったけどね」
「うーん」
なら、どうするべきだろうか。
思い出す、とも違うだろうか。先輩ならどうするだろうか。合理主義で、それでいて形式にもある程度の理解を持っている彼女なら。そう考えていくと、思いついたのは白いワンピースだった。
「なぞってみる、ってのはどうですか?先輩がワンピースを着るみたいに」
「ふぅん、あれは過去を浮かび上がらせるためのものだが、未来を想像するために行うのも悪くは無いか。採用しよう」
それでは、と一呼吸置き、スマホを机の上に放り投げる。
「情報を洗い出して行こうか」
ワンピースを着る、というのはつまり、あの時の自分を再現するということに等しい。それによって記憶が呼び起こされるというなら、今からするのはその逆。記憶、記録を洗い出すことで、そこに繋がる鍵穴を見つける。
「この論文は消えた俺の事を考えたものなんですよね」
「あぁ、推察だけどね」
「それで、誰にも見せないようにロックをかけていると」
「私ならそうするだろう」
怪しいのはやはり名前だとか誕生日だとかになるが、それはもう試したらしい。
不知火遥なら、どうする?なんでも記憶できる彼女の事だ。もし、ランダムに配置された文字列を記憶し、パスコードにしたなんてことがあれば……しらみつぶしするしかない。だが、それは最終手段だ。
「私ならそうする……私なら、か」
うわ言のように呟きながら、彼女は人差し指を走らせる。
そして、諦めたように笑った。
「すまないな、後輩君」
くるっとスマホが回り、その画面がこちらに向けられる。
ロックは、最早解けていた。
「え!?パスワードは!?」
「君の誕生日だ。きっと名前は入力できないだろうと思ったし、実際できなかったからね」
「どうやって……」
「単純な事だ。君が言ったんだろう?ワンピースを着るみたいにって」
「あ」
誕生日。
個人を特定するには不明瞭で、でも、個人が居たと信じ続けるには十分な要素である。名前を忘却しようとも、俺という個人を忘れないために彼女はもがき続けたんだろう。
これは、憶測だが。
このロックが仮に他人に見せないためのものではないのだとする。自分が掴んだ鍵を手放さない様、確かめ続けるための鍵穴なんだとしたらどうだろう。独りで、孤独で、本当なのかもわからないその存在を、微かな記憶だけで彼女は探し続けたんだ。
儚くもがき続けた彼女の願いは、今ここに叶えられた。
奇しくも、彼女自身の手によって。
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