5回目
「ということで、遊ぼう後輩君」
「文章の繋がりがわかんないんですけど??」
行き詰って絶望した感じの雰囲気だったのでは?と思う俺を置いて、彼女は立ち上がる。
「リフレッシュという奴だよ。私だって、年中アイデアが浮かんでくるわけでもない」
「一旦離れる、と」
「そういう事だ」
スランプを脱するためには何もしないが正解になることがあるように、休むというのは理解できることではある。
「けど、遊ぶって言ってもなんも無いですよ?」
科学研究部室は雑多だが、そのほとんどは研究の為でしかない。娯楽が無いのは勿論、絆創膏などの小物も無いのだ。硝子で指を切る度に保健室まで行く羽目になる。
「遊ぶ、というのは一例に過ぎないさ。必要なのは新しい刺激だからねぇ」
「つまり、何でも良いから目新しいものをするべきだと」
「うむ、ということで」
机をグルっと一周した後、俺の眼前に立って彼女は手を広げた。
「ハグをしよう」
「……どっか、ねじとか外れました?」
「科学者の自制装置が機能してると思うのが間違いだよ」
「そんなことはないでしょ」
知らないけど。
会話を一ターン回した所で彼女は冗談を止めると思っていたのだが、俺の目の前で手を広げたまま静止している。そんな様子だから、ただ見つめあっているという謎の状況が生まれていた。
「「?」」
「あ、されるのが好きなタイプかい?」
「そういう問題ではないですけど」
さぞ不思議と言った様子で遥さんは首を傾げた。
「じゃあ何でだい?」
「いや、逆にハグしてきたら嫌ですよね?」
「そんなことは無いが」
「はぁ」
駄目だった。
「何でハグなんですか?」
「専門ではないから詳しくはわからないが、脳内物質云々の作用に効果的らしくてね」
微かにではあるが、そんな文献を読んだ記憶はある。リラックスできたり幸福感を得られたりみたいなのは知っているが、だからと言ってそれが理由に直結するわけではないだろう。
「試してみたい、と?」
「あと普通に知的好奇心もあるかな。折角こんな状況だしね」
「何が折角なんですか」
「わかってないねぇ君は。今ここで何をしたって、一つも痕跡は残らないわけだ」
密閉空間になっているため外からの干渉も無ければ、時間が巻き戻って体に起こした変化はゼロになるため未来に残るものはない。それはわかる……わかるけど。
「だからって羞恥心は無くならないんですよ」
「それが私はわからないねぇ。親愛を示して何処が恥ずかしい?」
「しんあっ……!?」
顔の温度が数段あがるのが分かった。
だから嫌なのだ。彼女は、俺に対して愛を示すのに躊躇が無い。それも恐らく、愛玩動物に向けるタイプの愛なのが質悪い。俺がどんな気持ちで……
いいや、やめよう。惨めになるだけだ。
「それとも、私と密着するのは嫌だったかな?」
「嫌です」
「即答!?」
がびーん!と絵文字が浮かんできそうな程ダイナミックなリアクションをした後、寂し気に顔を伏せて呻きだす。
「そう拒絶しなくてもいいだろう……?ちょっとぐらいうぬぼれさせてくれても……」
「……理性がもたないから嫌って言ったんです」
殆ど毎日顔を突き合わせて喋っているというのに、嫌いな訳がないだろう。嫌だと言ったのは単純に、不知火遥とハグをするというものの難度の高さを嫌がっただけだ。
どれだけ本質が意外と抜けてるところのある研究大好き運動神経小鹿女子高校生だったとしても、外見が美少女で在ることに変わりはないのだ。それも、簡単に愛を囁いてくるタイプの。
無理だろ。健全な男子高校生だぞこっちは。
「だから、嫌です」
「うぅっ、一回だけ、一瞬だけ!いや一瞬じゃサンプル不足だろう、一時間!」
「十五分しかないのに?」
「四回やればいいだろう!」
「リフレッシュどころの話じゃなくなりますけどね」
「別にいい!」
なんだか変な熱量を持ち始めた先輩が俺を説得しようと身振り手振りまで付けて言葉をぶつけてくる。知的好奇心の為ならばこのぐらいはする。それが、不知火遥という研究者なのだ。
「そんなに気になるなら、女子の友達とかとすればよかったじゃないですか」
それならこんな特殊な状況じゃなくてもいいだろうし、俺が理性と本能の狭間に揺れる必要も無くなる。ハグというものを体感したいならそれだけで
「ん?何を言っているんだ後輩君?」
「え」
「私は、君とハグをしたいと言っているのだが」
「……また出た」
「なんだその反応は。傷つくぞ?」
すぐに口説こうとしてくる。これで居て恋愛感情は全く感じない。
「私は君としてみたいと言っているんだ。他の女子としたって意味がないだろう?」
「じゃあなおのことしませんから」
「何故!?」
無作為に選ばれた一人として俺がハグをするならば、知的好奇心だと納得させれることも無くはない。だが、俺個人としては駄目だ。
「ハグは一旦忘れて、別の事にしましょ」
「ふぅん、君が言うなら仕方がないか」
どうにか折れてくれたようで、胸を撫でおろす。
これでもっとわかりやすくて実行しやすい何かになってくれるはず──
「キス」
「却下」
「添い寝」
「却下」
「じゃあ……」
「先輩?」
「何だろうか後輩君」
「怒りますよ?」
「悪くないプランだね。一度味わってみたい」
一時間ぶっ通しで思考し続けたのは流石の彼女でも辛かったのか、疲労と混ざって無敵になり始めている。説教という手も取れなくなったならどうしろって言うんだ。
「色恋沙汰に傾きすぎです。もっと遊びってあるじゃないですか」
「といっても、民俗学には疎くてね。かくれんぼくらいしか──」
「民俗学?」
遊ぶことを、学生なら知っている筈の事を、「疎くてわからない」と言ったのか?そのほとんどを、知らないというのか。
ああ、そうなんだ。漸く気が付いた。
彼女は、遊び方をあまり知らないのではないか。天才として育ってきて、紙とペンだけが手元にあって。どう生きて来たかはわからない。でもお前は、彼女が普通に友達と笑って、出かけに行くような話を聞いたことがあるのか?
飛び降りる彼女は、一人だったのかもしれないだろ。
毎日、いつも俺より先に。
ずっと、俺を待って椅子に座っている彼女が。誰かと話す様子もなく、たった一人で。俺が部室に入ってくるたびに嬉しそうに笑う彼女が。
記憶が混ざっていく。記憶の中で佇む彼女が、酷く孤独に感じて仕方が無かった。ならもう、する行動は決まっていて。
「ちょっ!後輩君!?」
「すいません、先輩」
遥さんの体温が伝わってくる。
咄嗟に、何も考えずに彼女を抱き寄せていた。彼女の孤独を察してしまったから。俺が見ないふりをしていた真実に、触れてしまったから。
「ごめんなさい。ごめんなさいっ」
「な、何を言って」
「先輩がどれだけ一人だったのか、気づいてあげられなかった……っ」
ずっと近くに居たのに、俺は気づけなかったんだ。彼女がそれを孤独だと思っていなかったんだとしても、それはきっと。
「……真面目だな、後輩君は」
ぽん、ぽん、と後頭部に小さな衝撃が二回走る。俺が慰められているんだと気づくのに、そう時間は要らなかった。
「確かに、私は独りだった。寂しいと思うこともあった」
けれどね、と文章を繋いで。
「さっきも言っただろう?君が居る。私は、大丈夫だ」
はっきりとそう言い放つ彼女の、その向こう。窓の外。
飛び降りていく不知火遥の姿が、哀しく思えた。俺は、このループがあったから彼女の孤独に気が付けたのかもしれない。なら、あの不知火遥は?恐らくこれを経験していない俺は、彼女の孤独を知り得たのか?
遥さんの腰あたりに回していた手が、無意識に窓の向こうへ向かって伸びる。
そこにはもう、影は無かった。
「絶対に、助け」
意識が、暗転する。
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