4回目

「白いワンピース。手入れされていない髪。靴の類は付けられていなかった」


「鞄や手荷物は」


「無いです」


 記憶が風化してしまう前に、一気に言葉を紡ぐ。

 流石に今の彼女と比べた体形の変化や身長までは一瞬で確認することはできないが、身に纏ったものの特徴ぐらいなら視認できる。


「流石だね。君の動体視力と洞察力には毎度驚かされるよ」


「記憶できないから意味ないんですけどね」


「外付けHDDくらいにならなってやるさ」


 本体より性能が良い外付け機器なんて前代未聞だな。


「手入れされてない髪……かぁ」


 納得いかない、という様子で遥さんは机に肘をつく。


「何か心当たりが?」


「私は人前に出るから髪を整えるんだ」


 どれだけ実験が立て込んでいる時であろうとも、彼女は身だしなみを整えてやってくる。他人からの印象は良い程お得、とは遥さんの言葉だ。


「つまり、遥さんが人前に出なくなったと?」


「そうなるんだろうが、考えられるかい?」


「うーん」


 要するに、誰からも見られないということだ。

 家からも出なければ、恐らくメディアに取り沙汰されることも無くなった。実験も、多分しなくなっているという事なのだろう。そういう事なら


「無い、と思います」


「そうなんだよ。発表を奪うというのは私の根幹を奪うのと同義だ」


 研究欲、そしてそれを他人に伝えたいという使命。

 それを、失う。


「逆、何じゃないですか?」


「逆とは?」


「根幹が奪われたから、何もできなくなった」


 研究ができなくなったから彼女としてアイデンティティを投げ捨てた、のではなく。自己を確立する要素を失ったから研究もできなくなり、人前に出られなくなった。


「それなら、自害する理由にも説明はつくねぇ」


「でも、先輩が研究以上に大事にしてることなんてあるんですか?」


「優先度という話だと、一つを除いてない」


「それは……」


 なんですか、と言いかけた口が噤まれる。

 すごく、いやそうな顔をしていた。ピーマンが食卓に出てきた子供のような、嫌悪感だけを一点に集めた表情をしている。


「すいません」


「英断だね」


 これ以上踏み込んだら命を失いそうな気がするし、何も知らなかったこととしよう。


 だがそれはそれとして、大きく情報は集まった。


「一旦、整理していいですか?」


「良いだろう。それによって見つかるものもあるだろうからね」


 遥さんのように、ホワイトボードの前に立つ。


 項目1:科学研究部 部室

 扉、窓共に開閉は不可能で、密室状態にある。何故か気温は一定に保たれている。


 項目2:タイムリープ

 十五分ごとに行われ、今のところ先輩の体内時計の十五分と一致しており、ズレはない。タイムリープが起こるまでに発生した事象は全てなかったこととされ、それは肉体にまで範囲が及ぶ。だが、記憶や思考は例外である。

 原理は不明。


 項目3:未来

 学校内で走り込みをしている陸上部員を、俺たち二人は知らなかった。ということは、元居た世界とは別のものが外に広がっている可能性が高い。そして、一旦未来だと仮定することにした。


 項目4:不知火遥

 先輩は、タイムリープが起きるごとに飛び降り自殺をする。

 服装は白いワンピースだが、先輩は普通、墓参りの時にしか白いワンピースを着ない。ワンピースを着る条件である「追憶と郷愁」が、この高校で満たされた可能性がある。

 先輩の髪は一瞬でわかる程整えられていなかった。つまり、人前に出なくなった可能性があり、実験や研究を行っていないのかもしれない。


 項目5:脱出条件

 いまだ不明。


「こんな所、ですかね」


「書くのが早いねぇ」


「特技ですから」


 遥さんの独り言や返答をメモしていた時に身に付いた特技だ。最初の頃は先輩の思考ペースに追いつけず地獄だったが、なんだかんだで役に立つので今は感謝している。


「やっぱりきな臭いのは未来の私だろうな」


「一番わかりやすい、ってのもありますしね」


 タイムリープが起きたことで同時に発生した異変の中でも一際大きなもので在り、それでいて不可解な点も多い。不可解というのはつまり、それだけ考える隙があるということになるのだ。


「だが、タイムリープと直接の関係があるかと言われれば薄いと言わざるを」


「いや、そんなことも無いと思います」


「ん?」


 確かに、超常的な現象と一個人の生命というのは結びつかないように感じるが、今だけは異なる。だって部室ここにも室外あっちにも「不知火遥」は存在するのだから。


「わかりやすい矛盾点なんです。同じ時間軸に、二人先輩が存在してる」


「ふむ、それは盲点だったか。飛び降りという事象じゃなく、存在にこそ違和感がある」


 だからどう、という結論は出せないが、タイムリープという異常の中に遥さんが組み込まれたことと、窓の外で遥さんが飛び降りるのは因果関係があるような気がしてならない。


「次はまぁ部室ということになるだろう」


「部室、ですか」


 何故、外に出ることができないのか。どうして、ここの空気は澄んでいるのか。先に考えたいことが多くて後回しになっていたが、触れてみれば他と負けず劣らず不可思議が多い場所ではある。


「密室についての疑問だが、君のおかげである程度、選択肢が増えた」


 遥さんが扉の向こうにぴっと指をさす。


「外と部室内は、全くの別世界だ。恐らく、時間軸からして違う。それが過去であるのかはわからないが、それが繋がる矛盾が起きないために部屋は隔絶されている可能性がある」


 開けられないのではなく、元々繋がっていない。それはそれで扉としてどうなんだと聞きたくなるが、扉に罪はないだろう。


「外に出てしまえば私と未来の私が同時に存在する。その矛盾を起こさないため、ここは断絶された」


「ん~……」


「その反応も仕方がないさ。仮説の上に仮説を重ねる様な汚らしい論理だ。それでもって、全く科学的ではない」


 自己保全のような感じで矛盾を防ぐというのは筋が通っているような気がしながらも、根拠に欠ける。こんな状況なら仕方が無いが。


「直感、ぐらいに考えてくれたまえ」


「不知火遥の直感って聞くと、酷く当たってる気がするんですが」


「それはまぁ、否定できない」


 世界レベルの科学者の経験から放たれる直感だ。俺の推理より信頼できる気さえしてくる。


「そんな不知火遥の直感なんだが」


「はい」


「これ、行き詰ったような気がするね」


「……はい」


 正直なところ俺も思っていたし、だからこそ整理という手段を取った。情報を並び替えれば何か見つかるんじゃないかと考えたからだ。結果から言えばその目論見は確かに叶ったが、根本の問題は解決しなかった。


 その問題とは


「如何せん情報が不足しているね」


「それなんですよねぇ」


 この狭い部室の中で出来うることは、余り多くはない。それでいながらも、相手が未知の事象であるというのが厄介だ。ノウハウも、セオリーも無い。手探りでしか進む方法が無いんだ。


「君は頑張ってくれているが、だからと言ってだ。終点がわからないというのは果てしない旅路になってしまう」


 深淵を手探りで歩いていったとして、何処が終わりなのかわからない。というか、何処に向かえばいいのかもわかっていない。


「このままじゃ、どうにもできない。これは先輩として、私が言わなければいけない真実だよ」


「……」


 諦めを含んでそう言っている訳では無いのだろう。

 私も考えるから、お前も考えろと。この袋小路をひっくり返すような、そんな番狂わせを引き起こして見せろと。彼女は、そう言っているのだ。


 視線の向こうで落下していく先輩も、思考の行き止まりの中では、霞んで見えた。

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