3回目
息を吸い込んだ。
意を決した。
「俺は、何があっても遥さんにあの景色を見せたくありません」
「論理的な根拠と理由を提示したまえ」
「在りません」
遥さんに倣って科学的な思考で突き詰めていくのなら、この行動は無駄でしかない。俺より優れた知能を持っている彼女が持つ情報を絞ってしまうのは、真実に迫るうえで悪手も悪手である。
でも、それでも。
「これだけは、譲れないんです」
「はは、良い顔をするねぇ」
対面に座った彼女は、困ったかのようにはにかんだ。
「仕方が無いな。可愛い助手の頼みだ、折れてあげるのも一興だろう」
「ありがとう、ございます」
ふっ、と胸を撫でおろす。
先輩に我儘を通すのは、初めてだった。
「感謝はいいさ。これは私なりの愛情表現だ……キスマークの代わりには、ちょうどいいだろう?」
「!」
首元を確認する。彼女が付けた傷跡は、残っていなかった。
「じゃあ、これは……」
「うむ、タイムトラベル説は消えたと言っていいだろうね」
肉体の変化及び傷害は次のループへは持ち越されない。それが分かっただけでも、一つ進展したと言えるだろう。それが答えに直接つながるか否かに問わず、情報というのは重要だ。
「拾える情報は集めていきたい。口ぶりからして、状況説明位ならしてくれるんだろう?」
「そのつもりです」
「光景は見せない」。裏返せば、口頭での説明自体は制限していない。
「タイムリープが起きるその瞬間、窓の外には何がある」
「先輩が、飛び降りています」
「……ふむ」
言葉を発するのを止めようとする
「詳しく話してくれ。それは本当に、私だったのか?」
「はい。俺が先輩を間違えた事、ありましたか?」
「……愚問だったねぇ。次、それは今の私だったか?」
「わかりません。何しろ一瞬な上に、顔が見えませんでした」
「そうか、そうか」
ホワイトボードに近寄り、遥さんはペン先を走らせていく。
「考えられる可能性は、まぁこれだろう」
でかでかと『未来の不知火遥』と書かれたホワイトボードが示される。
「また、ファンタジーですね?」
「時間が巻き戻ってるんだ。これぐらい無茶言っても、世界は許してくれる」
冗談めかして話す遥さんだが、彼女が仮説として立てた以上ある程度の筋は通っているのだろう。まだ、思い付きの段階なのは間違いないだろうが。
「一つ目は?」
「文字通り。過去への干渉が起きうるなら、ここが過去だとしても不思議はない」
つまり、未来に起こる筈の何かを覗き見ているのではないかという説だ。それならば遥さんが二人いるのにも説明がつく。だが、問題は。
「何故飛び降りるのか」
「そこだ」
俺からすれば彼女が自死を選ぶ理由は思いつかないし、対応から見るに彼女もそう思っているらしかった。
「だが、今はそれはどうにもできない課題なんだ。科学じゃ、人の深層心理は突き止められない」
「心あたりとかは、無いんですか?」
「全く。死を選ぶにはまだ知りたいことが多すぎるね」
あっけらかんとそう言い切る。自分が死んでいくという景色が目の前で繰り広げられる可能性を知って尚、彼女は強かだった。それに、少しだけ安心した。
「他の可能性を探るなら他世界の私の可能性だってあるが、課題は変わらない」
うんうん唸りながら、先輩はホワイトボードに何か書いては消してを繰り返している。手伝えることはなさそうだと思い、特に何も考えず外を見てみた。
やはり、変わらない景色がそこにはある。
並木が立ち並んでいて、夕日が沈もうとしている。一階では陸上部が走り込みをしているし、特に異常があるような光景では……
待て。
俺は、今走っている陸上部員の顔を知らない。確かに先輩のような記憶力も無い俺は全校生徒の顔と名前を一致させるようなことはできないが、見覚え位はある筈なんだ。でも、わからない。
「先輩」
「ん?」
「向こうの陸上部員、視たことありますか?」
「……いいや、無い。誰一人としてだ」
やっぱりだ。
少なくとも、俺らが知っている生徒にはあのような顔と体系の人は居ない。
「よくやった後輩君。これは、論理の裏付けになる」
そうか、窓が開けれなくて、外に干渉できないとしても。見れるなら、差異を見つけ出すくらいの事は出来るはずだ。考えろ、思い出せ。
今まで俺が見てきたものを。
論理を裏付けるかもしれない、何かを。
「っ、そうだ!」
「何か思いついたね?」
「先輩って、ワンピース持ってますか?」
「持っているが……」
「白ですか?」
「あぁ」
「いつくらいに買いました?」
「一昨年だね」
……だからなんだ?
思いついたから言ってみた者の、今んところ先輩の服を確認しただけの人になったな?とんだ不審者だぞ。
「うぅん……」
振り出し、と。
この時点で持っていないなら未来というのがもっと確定的になった気がするが……遥さんが持っている服ならその可能性はつぶれた。
「ふぅん?白いワンピースを着ていたんだね、私は?」
「そうですけど、それじゃなんにも」
「いや、そんなことはないね。明らかな矛盾だ」
「え?」
顎に手を当てて、くぐもった声で彼女は告げる。
「普通、私は白いワンピースを着ないんだ。特別な時でなければね」
「特別な時、ってのは?」
「実家に帰る時、詳しく言えば墓参りの時だけだ」
その論理を訊いて、驚愕した。
「先輩にそんな趣あるルーティーンが……!?」
「失礼じゃないかい?」
「すいません」
先輩はこう見えて、いや肩書通りにリアリストだ。創作や感情論については人並みの理解を示すが、それはそれとして思考の根本には原理と論理が存在する。中学の頃は悩みたくないから同じ服を数着買ってそれだけを着ていたなんてことも言っていたぐらいだ。
今はメディアで取り上げられたりすることもありある程度気を付けているとは聞いたが、そうだとしても意外だった。
「ま、理由はあるがそれ自体はどうだっていいんだ。不思議なのは、何故ここで私がワンピースを着ているか、という点だ」
「不自然ではありますけど、単純にそういう気分だったって事は無いんですか?」
「それ、自分の胸に訊いてみるといいよ」
「……無いですね」
遥さんが気分で自分のルールを破るなんてこと、ありえない。
ならば、結論は一つになる。
「ルールに、則っている?」
「そうなるんだろう。不可能な話ではない」
「でも、故郷に帰る時だけ着るんですよね?じゃあそれはおかしいんじゃないですか?」
「いや、そのルールに合致するのが実家しかないというだけだ。ここがその条件を満たす場所になったなら、私は選ぶ」
彼女だからこそ見つけられた糸口。
これは、何か真相に繋がっている気がする。
「その条件って?」
「私にも羞恥心はある。ので少し伏せるが、簡単に言えば追憶と郷愁だ」
「追憶……」
「昔の私の恰好をなぞることで、記憶を錆びさせないようにしている。私にとっても大きな転換点だったからね」
「なぞる」ことによっての記憶の再生。彼女らしい、合理的な行動に想える。けれど、そうし続けるほどに彼女が大事に抱え込む記憶というのがどれだけのものなのか。俺には、想像もできないような気がした。
「さて、話しこみすぎたねぇ。もう少しで、また起きてしまう」
「もう一回、ちゃんと見てみます。違和感が無いか」
「頼んだよ、助手君」
遥さんが背を向けるのを確認して、フォーカスを窓の外に合わせる。
(きた)
観察しろ。推測しろ。
やっぱり、身を包んでいるのは白色のワンピース。顔は髪で隠されて見えない。風でたなびく黒髪は、今の彼女のものよりすこし艶が無いように見える。手入れがされていない?足には、靴や靴下の類が装着されていない。
意識が、暗転する。
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