6回目
落ちていく彼女を見た瞬間のその熱が、心の奥底で燃えている。
けれど同時に、何かが繋がったような冷たい感覚が脳髄を走り抜けた。
「先輩、荷物ってどこに置きました?」
「え?その棚にある筈だが」
「良ければ中身を見せてください」
「まぁ、構わないが」
棚の上から鞄を下ろそうとした遥さんが、ぴたりと動きを止める。
「ん?」
「どうかしました?」
「これは、私のものじゃない」
遥さんが取り出してきたのは、白いフリルのついた小さな鞄だった。確かに遥さんが手に持っている様子を見た事の無い小物だったし、前提として学校にこのサイズのかばんは持ってこないだろう。
「一先ず開けてみようか」
「迷いないですね?」
「ここに置いてあるのが悪いね」
暴論だが、非常事態だというのも本当の話だ。誰かの私物だったら謝ろう……鞄を開けつつ机に戻ってくる遥さんをそう思いながら眺めていると、いつにも増して困惑した様子で彼女が首を傾げる。
「ん?私の私物が出て来たぞ?」
ことり、と彼女が机に置いたのは、先輩のスマートフォンだ。
それと同時に、俺の疑惑が確信に変わった。
「やっぱりだ」
「説明してくれ、後輩君」
「俺、スマホを持ってたはずなんです。さっきまでは」
ループが始まる前。
遥さんから電子マネーをスマホで受け取り、それを確認した。だから俺はスマートフォンを持っていた。それだけは、確かな記憶なのだ。でも、今は持っていない。
「先輩も、さっきまで使ってましたよね?」
「……無い、な。このポケットにしまった筈だ」
あると思い込んでいた上、使うタイミングも無かったから気づけなかった。
「だが、その理論では鞄を確認させる動機まではわからないな」
「半分勘です。手荷物に干渉されているなら、何か鞄にも変化があるんじゃないかと」
実際、大きな変化が現れた。誰のものかわからない鞄から出てきた、先輩の私物。これは、行き詰った俺達の思考に降ろされた一筋の光明に他ならない。
「一旦この鞄は後で確認するとしよう。君のはどうなんだい?」
「それが……」
俺は、鞄を椅子の下に置いていた。
眼で見なくても、足を伸ばした感覚でわかる。少なくとも、椅子の下にはない。それに、この部室内にも見た範囲では存在していなかった。
「ここにはないと思います。あるとしても、見つけづらいところかと」
「そうか、じゃあ優先度は下がるな」
「あるかもしれない」よりも、「ある」の方が確定性が高いのは明らかだ。
ということで、この鞄を探るのが先決になる。
「と、いってもだな」
ガサゴソと鞄を漁る遥さんだが、反応は芳しくない。音からしても、ものが入っているような物音は聞き取れなかった。
「財布とスマホだけだ。質素だね」
財布を開き、中に入っているものを並べていく。と言っても、クレジットカードやポイントカードなど、一般的な物しか出てこない。財布は何もなしか……。
「良いだろう、本題はこれだ」
「スマホ、ですよね」
遥さんの顔を捉え、スマホがその
「嗚呼、後輩君。これを見てくれたまえ」
重苦しく、絞り出すような口調で先輩が呟く。
「これ、って」
「仮説は正解だったらしい。喜ぶべきなんだろうか」
「どうですかね」
映し出されたのはカレンダーの画面だった。
日付は、タイムリープが始まる前と同じ。けれど、その年号に違和感があった。今から、ちょうど八年後に年がずれている。
「写真も、メールも、私の知らないものばかりだ。これは恐らく、未来の私が使っているスマホなのだろう」
「八年後でも変えてないんですね」
「最近変えたばかりとは言え、八年か。余程思い出深かったか、買い替える時間も無かったかの二択だろうね」
後者な気しかしない、というとまた話がこじれそうだったので心の中で押し殺しておくことにした。今は、見つかったこの手掛かりを手放したくない。
「写真と言ってもめぼしいものはない。実験に使ったんだろうね。ほら」
無色透明な液体の入ったフラスコやら、ホワイトボードに手書きされた数式などが画像として保管されていた。先輩の言う通り、実験の記録用としてこのスマホを使っていたのだろう。
「あれ、先輩?」
「なんだい?」
写真は枚数こそ少ないが、ある程度周期的に更新されている。大体一か月に七枚程度は増えているっぽい。だが、このスマホが八年後のものなのだとしたら、噛み合わないところがある。
「一年間、写真が更新されてないんです」
「……本当だ」
今日の八年後から一年前、非常にややこしいが、要するに七年後の今月あたりから、写真が一切更新されていない。
「さっきの仮説が正しいのなら、この時期に私は研究を止めたということになるかもしれないね」
さっきの仮説。
遥さんが人前に出ることが無くなったのではないかという説が、これによって裏付けられた。実験をしていないのならば、実験用のスマホは使用しないだろう。
「七年後の私に何かしらが起き、研究意欲を喪失。そしてその翌年、存在理由を失った私は失意のままに自殺する。といったところだろうね」
遥さんは淡々と、自分の悲惨な未来について語った。
冷酷で、事実主義である彼女らしい姿ではある。でも、その小さな体に背負わせるには、辛く、重たい未来に見えた。
「これで情報が増えた。さて、どちらを考える?」
「どっち?」
「要因か、事実かだ」
「……あぁ」
研究第一で、生活や精神共に全てを研究につぎ込むような彼女が一体何故研究を止めたのか、そして自殺に至ったという「要因」。
不知火遥は、何故この高校で、ワンピースを着ているのかという「事実」。
この場に現れたスマートフォンは、何処へでも俺達を導くマスターキーになりかねない。だから、方針を決める必要があった。
この選択は、大きな岐路と成る気がした。
いくら時間は膨大にあるとはいえ、疲労疲弊は溜まっていくものだし、それだけじゃない気がする。真相に近づくために、ここは間違えられない。彼女の隣で培った直感が、そう囁いていた。
遥さんはこっちを真っすぐ見据えている。試すような視線だった。
「さては、もう決めてますよね?」
「勿論。だが」
にやり、と口角を上げて。
「君の答えが聞きたい。その理由によっては、私の意志も曲げてあげよう」
「光栄です」
まぁ、答えは元より決まっていたが。
「さぁ、いいたまえ」
「……俺は、要因を知りたいです」
「ほう?」
半月のように歪んだ眼光が、俺に次の言葉を促す。
「これは結局、過去の事を示す媒体です」
「そうだねぇ」
「だから、事実の方が少し遠い」
間接的にはここから繋がっているとしても、そこは少し遠い。
目の前で事態が起きていたとしても、そこに論理が繋がっていない。俺は、落下していく不知火遥に手を伸ばせない。
「とっかかりが多い方が、考えやすいと思います」
「堅実でわかりやすい。実に君らしい……が」
意地悪く、というべきだろうか。
俺の内心を見透かしたのか、何処か遠くを見る様な視線で俺を見つめながら彼女は口角を吊り上げた。
「
「……性格悪いですよね」
「ほんとにね」
本人を目の前にして、不知火遥への本心を晒し出せと言っているのだ。
性格が悪くて、酷くて。でも、ここで引くなんて選択肢はない。
「仮に答えが分かったとして、納得できないんです」
事実にたどり着いて。例えタイムリープから抜け出せたんだとしても。
その時の俺は、なぜ彼女が自死を選んだのかにたどり着いていない。
「遥さんが勝手に、俺の知らないまま死んだなんて」
「ははは、実に傲慢だな?」
「そうかもですね」
「あぁ、身勝手で、エゴに近い。だが」
タイムリープが近い。時間の狭間に意識が消えてしまいそうなその真っただ中でさえ、彼女は獰猛に笑って見せた。
「とても良い」
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