1回目

 湿り気の多い、不愉快な風が俺の頬を撫でる。俺の対面には、遥さんが座っていた。言葉も交わさないまま、二人は目を合わせて


「「え?」」


 全く同じタイミングで、困惑をぶつけ合った。


「後輩君、マジックを見せるなら先に言ってくれ」


「奇遇ですね、新しい実験かと思いました」


 本当に困惑した様子で額を触る彼女の様子を見るに、彼女が干渉して起きた何かしらではないようだ。彼女は隠し事こそするものの、嘘はつかない。それだけは、確信していることだった。


「うーん?確かに私は立ち上がったはずだが」


「俺もドアの前に居ましたしね」


 数秒前に在った自分の影を探すように、視点をドアの方へと動かす。


「後輩君、ドアを開けようとしてみてくれるか?」


「?いいですけど」


 戸に歩み寄り、手を掛ける。体重をかけてみて帰ってきたのは、先ほどと同じような岩でも動かそうとしているのかと思う程の重たい感触だった。


「開かない、です」


「ふぅむ、そうか、そうなるだろうな」


 ぶつぶつと独り言をつぶやき、遥さんは手のひらに文字を書き始めた。

 何かおかしなことが起きていると確信しつつも、彼女のその動作を見て安心する。彼女、不知火遥には一つ習慣がある。実験で在ろうと、発明で在ろうと、その一部始終を何かしらのメモという形で保管する。そしてここからは隣で見続けていた俺の経験則だが、あの状態に入った彼女が答えを出せなかったのを、視たことが無い。


「……科学の基本は仮説と検証だ。だから、実に非科学的だが、私は一つ仮説をここに提唱する」


 ピタリ、と彼女の指が一点を指す。

 それは、壁にかかった時計へと向かっていた。


「私が記憶している限りでは、あの時計は先程、唐突に私たちが椅子に瞬間移動する寸前よりだ。その現象が起きてからの時間差を考えれば、その時点では十五分ほど巻き戻っていたのだろう」


「巻き戻る?」


「そう、本当に、信じがたい事ではあるが」


 遥さんが腕時計を手首から外し、ことんと机に置く。

 彼女がため息交じりに、その説を言葉にした。


「私達はタイムリープした可能性がある」


 彼女の言葉を、一瞬理解できなかった。

 言葉の意味自体は解っている。時間跳躍、ある地点からある地点までの時が一気に移動するという意味の単語である。けれど、その言葉が自分に向けられているということが飲み込めなかった。


「時計がずれただけ、って可能性は」


「残念だが、私の時計も戻っている。他の場所にある二つの時計が同時に故障するなんてことは……まぁ、タイムリープよりかは大きい可能性ではあるな」


 どちらか片方ならまだしも、遠く離れた場所にあったうえで、どちらも別の部品がそれぞれ干渉しあって時を刻んでいる精密機器が同時に同じだけズレるなんてことは、限りなく低い可能性であることは俺も遥さんもわかっていた。それでも、彼女は力なくそう笑った。


「……」


 再び腕時計を手首に戻す遥さんを横目に、窓へ視線を移す。

 本当に、時間が戻っているのだとしたら、もう一度彼女は飛び降りるのか?


「何か見えるかい?」


「あ、いや、何でもないです。綺麗だなって」


「君にも夕日を楽しむ感性が残っているとはね」


「馬鹿にしてます?」


「いいや全然」


 俺に倣うように遥さんは夕日を見る。橙色の光に照らされて、遠くを見つめるその姿は非日常の中にあっても……いいや、だからこそ、とてつもない程美しく見えた。

 遥さんは窓の外を眺めたまま溜息を一つ吐き出し、数回自分の頭を指先で突いた。


「リラクゼーション的な効果で思考が回るかと思ったが、私の頭は景色では動かないらしい」


「でしょうね」


「馬鹿にしてるかい?」


「いいえ」


 ずっとドアの前に居るのも変かと思ったので、椅子に座りなおす。


「仮にまた十五分後、時間が戻るとして。君と雑談に花を咲かせるのも一興だが、出来る事はしておくべきだろうね」


「例えば?」


「例えば、この部室を散らかしてみる、とか」


「なんで……あぁ、成程」


 自分たちがタイムリープしている、というのは仮説にすぎない。

 それを真実にするには、今以上に根拠が必要だ。そして、物の場所を変えたり形状を変えたりする、というのは、手っ取り早い証明になる。


「後輩君はランダムに実験器具を床に配置してくれ」


「先輩は?」


「私は器具を割る。心苦しいが、仕方のないことだ」


「ホントに思ってます?それ」


「どれだけ器具を破壊しても実験という名目が私を守ってくれる。これ以上心強いことはないだろう?」


「そうですか……」


 即ち破壊衝動を合法的に満たせるという事らしい。先輩の財力で補填している器具もあるのだし、人為的に落として割ったとしても糾弾されることはないだろうに通常時ではやらない辺り、地味に律儀な人だ。

 やる必要が無いだけ、という理由も大きくはあるのだろうけど。


「それじゃ、検証しようか」


「了解でーす」


 棚に手を掛け、ラインナップを見る。地面に配置する俺は何でもいいとしても、先輩はガラス片を踏んだら危ないし面積の少ないものの方が良いだろう。


「試験管で良いですか?」


「うむ、破壊するのが目的だからね。好きなものを選んでくれ」


 三本程縦長の円柱を掴み取り、背後で待っていた遥さんに手渡す。


「何かこう、謂れも無い背徳感を感じるねぇ……あれ、後輩君?」


 俺が掌いっぱいに実験器具を抱えていた時に、後ろから困惑したような声が響く。振り返ってみれば、窓を見て不思議そうに首を傾げている遥さんが居た。


「君、窓閉めたかい?」


「いいや、というかさっき見た時は……あれ?」


 確か、時間が戻る前は開いていた筈だ。それで遥さんと一緒に夕日を眺めていた時は……どうだったっけか。しまっていた気もするし、開いていた気もする。


「私も、君も、窓に手は加えていないはずだ」


 遥さんは窓のノブに手を掛け、全く動かないそれを見てわかっていたと言わんばかりに肩を落とした。


「やっぱり、完全に密封されている、か」


「ドアが開かないのと同じですかね?」


「恐らく。何かしらの力が加わっていると考えた方が良いだろう」


 遥さんの運動神経を加味して元々飛び降りる選択肢は無いに等しかったが、いざという時の脱出経路まで潰されてしまっているようだ。


「まぁ、何処からか風は入っているようだし、気にすることも無い。検証を続けようか」


「そう、ですね」


 屈みこんで、一個ずつ実験器具を置いていく。何個かは地面に転がしたりして、出来るだけランダムな配置になるように努力する。部室の反対側からは、パリンと軽快な音が響いていた。


「経過時間は十三分と少し。次があるんだとしたら」


「もう少し、ですか」


「そうだねぇ。ま、備えろと言っても無茶だろう」


 試験管を割りながら冗談交じりに呟く。

 時間が巻き戻るんだとしたら、人間に出来る事はそうそう無い。けれど、一つできることがあるとするのならば


「先輩、一応見たらどうですか?巻き戻ったりするのが見れるかもですし」


「ふぅん、時間跳躍ではなく一瞬で巻き戻っている可能性もあるか。良い提案だね、そうするとしよう」


 遥さんが頭を下げたのを見て、胸を撫でおろした。

 情報共有という意味でも、彼女にこれから飛び降りるであろう者を見せておくというのが正しい判断であるとはわかっていた。それでも、出来なかった。いくら彼女と言えど、死にゆく自分を見て、無傷で居られると思わなかった。


 傷ついて、欲しくなかった。


「49,50……来るよ、後輩君」


「おっけーです」


 うわ言のように返事をしながら、一点に意識を集中させる。

 見間違いであってくれと、祈りながら。


「っ……!」


 影が、落ちる。

 今度は確信した。その艶やかな髪も、身長も、体形だって、彼女のものだ。彼女は、不知火遥は、何故かこの校舎から飛び降りる。そして、それに続くように、時間が飛翔する。


 意識が、暗転する。

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