タイムリープまで、あと15分

獣乃ユル

0回目

 暖かい陽光、と形容するには、いささか不愉快な風が窓の隙間から流れ込んできた。今日の日付は八月十七日、天気は晴れ。湿度は、視るだけで憂鬱になるので確認するのを止めた。外から聞こえてくる運動部の怒号は、この気温の中であろうとも健在だ。もっと暑苦しくなるので控えてほしい。


 棚の中に仕舞われたビーカーやら試験管やらの割れ物も、心なしか暑さで歪んでいるように見える。


「あっつ」


「部室はエアコンが無いからねぇ」


 困った、とばかりに頭を振り、俺の対面に座る女性は微笑んだ。腰まで伸びるほどの長髪が、彼女の動きに合わせて揺れている。


 彼女の名前は不知火しらぬいはるか、高校二年生で、俺の一つ年上だ。彼女と俺の関係は部活の先輩後輩、その位である。

 彼女を一言で表すならば、才色兼備。人形のような現世離れした美貌を持ち、その上人類の中でも類まれなる頭脳を兼ね備えた、絵にかいたような才女だ。

 けれど文武両道ではない。運動神経は控えめに言って生まれたての小鹿に体力で負ける程度しかない。


「先輩の権力でエアコン付けれないんですか……?」


「可能ではあるだろうが、必要性を感じなくてねぇ。あれだ、心頭滅却すれば……」


「火もまた涼し、ですか。流石ですね」


「光栄だよ。けれど、君がそこまで言うなら検討しておこうか」


「え、ほんとですか?」


「ホントさ。でも、工事期間も考えれば今年は無理だろうね」


「うえ~……」


 思わず机に突っ伏し、唸り声をあげた。


 俺達が今いる場所は校舎二階、『科学研究部』の部室だ。良く間違われるのだが科学部は別として存在している。そっちは部員二人の寂れた研究部とは異なり、数十人の生徒を抱えて繁栄しているらしい。

 科学研究部は「部」と呼称されているものの、実際のところそんな大層なものでは無い。先輩は天才である為、偶にその分野を揺るがすような発明や発見をする。その功績を、「何処かの天才、不知火遥」のモノではなく「科学研究部の部長、不知火遥」という肩書と共に世界に送り出すための場所だ。

 つまり学校側が、世界レベルの生徒を私たちが育てたって実績が欲しいらしい。大人も大人で大変なようだ。


「……そういえば、何で先輩はこの学校来たんですか?冷房ないし、偏差値がずば抜けて高い訳じゃないし、冷房ないですよ?」


「どれだけ冷房を引っ張るんだい君は。それに、教室にはあるだろうが」


「それはそうなんですけど。じゃなくて、ほんとに気になったんです」


 彼女の目を見据えてもう一度質問をすると、彼女はおもむろに顎に手を当てた。


「正直なところ、面白い理由なんてないさ。引っ越し先から一番近所の高校がここだったのと……」


「と?」


「ん~、今は止めておこう。いつか、君にも話すさ」


 思わせぶりに肩をすくめ、彼女は視線を遠くに飛ばす。


「は~い、了解です」


「物分かりの良い後輩を持つと気が楽だねぇ」


 遥さんは両手を広げて、体重を椅子へと預けた。

 妙に俺があっさり引き下がっているように見えたかもしれないが、これには理由がある。一つは、彼女はこう見えて結構意志が強い。決めたことは曲げないし、その意思を湾曲させようとする力があるならその力を捻り潰し、前に進む。そんな人である為、遥さんが決めた事にはなるべく口を挟まないようにしている。

 もう一つは、別に追及するまで気になってたわけじゃないってことだ。居心地の悪い空白を埋めるための、話の種ってやつでしかない。


「そこで、物わかりの良い後輩君にお願いがあるんだが」


「緑茶ですか?」


「いいや、麦茶の気分だね」


「らじゃー」


 遥さんのお願い事の七割はパシリ、二割は面倒ごと、一割がその他だ。その他に含まれるものも大抵パシリに近いので、その点八割パシリと言っても差支えはない。パシリと呼称しているものの、大抵彼女はついてくるので只の買い出しかもしれないが。

 ちなみにこの割合は平常時であって彼女が苛ついている時は変わってくるのだが、今は関係ないだろう。俺も、思い出したくないぐらい胸糞の悪い話だ。


「お代は電子マネーでよかったかい?」


「良いですけど……前みたいにバカみたいな桁数入れないでくださいよ?」


「ふふ、善処するよ。あれは私の明確のミスだったからねぇ」


 一応先輩後輩という平等な立場であろうと善処してくれている遥さんは、パシリに当たってスマホにお金を振り込んでくれる。


 それは有難いけれど、一度ただの買い出しなのに数百万入金されたことがあった。その時は様々めんどくさい出来事が誘発してそれはもうしっちゃかめっちゃかになったのは記憶に新しい。それ以降は反省したようで、ある程度良識を持った金額にしてくれるようになった。少なくとも万は越えない。


 ぴろん、とスマホに通知が入る。

 ペットボトル一本に四桁は普通の感覚なら多すぎるのだが、何回言っても治らないのであきらめた。


「それじゃ、買ってきますね」


「頼んだよ~」


 今日は彼女も動く気が無いらしい。熱気は、幾ら天才と言えど辛かったようだ。


 椅子から立ち上がり、背後にあるドアへと歩み寄る。

 引き戸となっている扉に手を掛け、ひら……。


「あれ?」


 戸が、開かない。

 建付けが悪いだとか、老朽化だとかそう言った類の話ですらなく、何かしらの工事によってドアと壁が接着されたかのようだった。音も立てないまま、その扉は一つも動こうとしない。何度も力を入れて開けようとしてみるが、それでも動かない。


 尊厳を捨てて全体重をドアに掛ける。

 それでも、ドアは僅かにも動かない。


「……後輩君はいつから、私と同レベルの膂力になったんだい?」


「ハムスターレベルはちょっと侮りすぎですよ」


「それはそれで私を侮りすぎだ。鼠程度はあると思ってもらおうか」


「小動物なのは変わりないんですね」


 確かに、遥さんが缶珈琲を一人で開けられなかったときは流石に驚愕したが……


「じゃなくて、開く開かない以前に動かないんですよ」


「んん?いくら文明に取り残された灼熱の部室とはいえ、建付けが悪くなるほど年月は経過してない筈だが?」


 言葉を紡ぎつつ遥さんが歩み寄ってくる。そして扉に手を掛け力を込めたが、開かない。流石に疑問を感じたのか、彼女の眉間に皺が寄った。


「本当だ。少なくとも鍵はかかっていないようだが」


 取り付けられた鍵穴を見る。

 施錠された様子はなく、ボンドなどで接着されているという訳でもなさそうだ。というか、鍵がかかっているなら開かないことには納得できたとしても、動かないことへの回答ができない。


「質の悪い悪戯ですかね?」


 どうやったのかはわからないが、ドアを開かないように生徒の誰かが手を加えた、といったのが一番有力な可能性だろう。そんなことをされそうな人間は丁度隣に居る訳だし。


「まぁ確かに、私は嫉妬されるべき人間ではあるけれども」


「言い返せない自画自賛が一番よくないですよ」


 そんな会話を繰り広げながらも何回かドアを開けようとしてみるが、結果は何も変わらない。戸に取り付けられた硝子から廊下を覗いてみるものの、ドアを抑えているような人影も、物体も見えなかった。


 悪戦苦闘する俺の姿に、遥さんが声をかける。


「とりあえず、教職員を呼ぶべきだろう。私達よりかは対処に手慣れているだろうし」


「ま、それが一番ですね」


 とはいえどうやって呼ぼうかな、なんて思う。

 そして、ふと後ろを振り向いた。


 窓の向こうで、沈みかけた陽が橙色の光を放っている。薄明が名残惜しそうに空を舞って、校舎の周りに立ち並ぶ木々を照らしていた。一階の廊下で走っているのは運動部だろうか。汗水たらしながら、青春の一コマを今も刻み続けている。

 いつもの、変わらない風景だ。だから、いま見えているコレは、夏の暑さが見せた陽炎か、幻覚なんだと思った。


 人影が、窓の外にはあった。在ったというのも変な話だろうか。

 だってそれは、高速でのだから。


 白いワンピースが、下から吹き抜ける風に押されてたなびいている。艶やかな黒髪が、高速で落下していく体に追いつけずに空へ向かって伸びている。その美しい肢体が、力なく垂れ下がっていた。


 きっと、幻覚だ。飛び降りる人が、今ここに居るのか?

 平日の夕方、生徒もいる中で私服で侵入して、飛び降りたというのか?いいや、それ以前に


 あの人が窓の外にいる訳が無いんだから。見間違えるわけも無い、ここに入学してから何回も、何十回も見たあのシルエットを、誤解するわけも無い。

 いま、この校舎から落ちて地面へと向かっていくあの影は


「先輩?」


 その姿が、額縁のような窓のフレームから外れる。その瞬間

 俺の意識は暗転した。

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