05話

「おはよ」

「おはようございます」


 ここにいたのは偶然ではないのだろう。

 雨も降っているのによくやる、別に学校に着いてからでも十分だと思うが。


「か、加登君はさ、雨って好き?」

「嫌いでも好きでもないです」

「そ、そうなのね」


 なんで昔からそうだった喋り方に変えるだけでここまでぎこちなくなるのか。


「あんたでいいですし、嫌ならあの喋り方でもいいですよ?」

「ふぅ、大丈夫、このままにするわ」

「火森先輩がいいならいいですけど」


 その割にはそれきり喋らなくなったから歩くことに集中をした。

 学校に着いたらすぐに別れてそれぞれの教室へ、雨でも関係ないとばかりに既に登校してきている生徒達は楽しそうにしている。

 冷めているというわけではないがああして盛り上がれるところを羨ましく感じるときはあった。


「朝、おはよう」

「おう、おはよう」

「朝は静かだね」

「朝でも賑やかだ、いいことだ」


 同じ空間で盛り上がっているのに変なことを言う、あ、朔夜がということならそれは正しいが。

 将太がいなければ基本的にはこんな感じだ、声も大きすぎないから聞きたくないなどという考えになったことはない。


「違うよ、朝士が静かだって言いたいの」

「お、ちゃんとした名前で呼ばれたのは久しぶりだ、将太も基本的には相棒としか言ってこないからな」


 妹はお兄ちゃん、母は昔から朝呼びだからそれを朔夜が真似をした形になる、父はあまり話しかけてこないし、名前で呼んでくることは一切ない。


「じゃあこれからは朝くんって呼ぶね」

「その呼び方は将太にだけしてやれ、ちょっと廊下に行くか」

「いいよ」


 廊下は雨の音がよく聞こえて落ち着く。

 壁に背を預けて適当なところを見ていると「朝の真似ー」と彼女も同じようにしていた、楽しそうだ。


「朔夜、昔のことだけど実は一度だけ本気になろうとしたときがあるんだ」


 将太がいるから無理という考えが頭のほとんどを占領していたが期待をしてしまっていた自分もいたのだ。

 でも、期待をするだけでなにがどうなるというわけではないからいまも言ったように動こうとした自分がいただけだった、結局、一度も動くことはなかった。


「それって付き合う前のこと?」

「そりゃあそうだろ、付き合っているときに動こうとしたら最悪な奴だ」


 そのタイミングで動いてもこちらにはデメリットばかりしかない、あとはそんなときに頑張れるわけがないのだ。


「ちゃんと行動でアピールをしてきてくれたらよかったのに」

「でも、ずっと昔から将太のことが好きだったんだろ?」

「それはまあ……そうだけど、なにもされなかったら分からないままだよ」


 後悔はしていない、寧ろ動いていた場合の方がずっと気になって嫌になっていたと考えているぐらいだ。

 情けなくてもそのおかげで助かることもあるのだということを知った、それに付き合えなくてもこうして一緒にいられるだけで十分だろう。

 決して言い聞かせようとしているわけでもない……はずだ、そういう経験が多すぎてちゃんとできているのかが不安になるときもある。


「おい相棒、俺のいないところで朔夜にアピールをするとか悪い人間だな」

「違うよ」

「だが朔夜と同じ意見だ、動かないとなにも始まらないだろ」

「はは、アピールをするのが悪いことなのにそれは矛盾しているな」


 こういう関連の話をしているときは部活のときと同じようなテンションになるな。

 正直、このときの将太は苦手だ、とことん合わない。

 普段はにこにこと楽しそうなのも大きい、そういう露骨な差ってやつにそれこそ分かりやすくやられてしまうというわけだ。

 高校生にもなってこのメンタルで大丈夫なのか? 社会人になんかなったらあっという間に精神がやられてしまいそうだ。

 だからといってわざと怒らせて耐性を作ろうだなどという考えにもならない、というか実行不可能だった。


「朔夜は返すよ」

「どこに行くんだ? 別にそこまでは求めていないぞ」

「ちょっと散歩にな、空気を読んだわけでもないから勘違いをしてくれるなよ」


 単純に離れたくなっただけでしかない。

 適当なところまで歩いて適当なところで教室に戻る。

 SHRまでみたいに余裕があるわけでもないのに終わった瞬間に友達と集まって盛り上がれる彼ら彼女らが眩しかった。

 それこそ青春を送っている、つまり学生らしい。

 将太も朔夜もちゃんとできていてすごかった。


「あんたは行かないの?」

「火森先輩も行かなくていいんですか?」


 近づけば必ず相手をしてくれる、だから一緒にいたいなら行くべきだ。


「友達がいるところだとちょっとね」

「おかしいですよ、俺が将太といるときでも近づいてきたじゃないですか」

「将太は別でしょ」

「別じゃないですよ、いまはともかく初対面のときならそうなるはずです」

「別だよ」


 装っていたのは少しだけ弱いそういうところを隠すためでもあったのか? それなら俺は余計なことをしてしまったことになる。

 とはいえ、やはりこれが本当の喋り方ならそれでいいだろという考えがなくならなくてこのことに関してはなにも言うことができないでいた。




「玲亜ちゃん、朝ちゃんが来たよ」

「え、あ、それをなんで私に言うの?」


 加登君の目的は将太だろう、残念ながらいまはいないから無理だけどちゃんと答えれば大人しく帰る。

 寧ろここで残ることを選択したら驚くよ、あんまり知らなくても全く知らないというわけではないからあの加登君がそんな選択を!? となる。


「え、だって朝ちゃんが玲亜ちゃんを呼んでくれって言っているからだよ」

「お母さん、流石に嘘をつくのはどうかと思うよ」

「違うって、本当に朝ちゃんが玲亜ちゃんといたいって言っているんだよ」


 しょうがないから行くか。

 本人がいるみたいだからどうせすぐに本当のところが分かる、裕理さん――お母さんが勝手に言っているだけだったとね。


「あ、すみませんいきなり来たりして」

「将太はいまいないんだよ」


 ちなみに母がいるところではまだあの装った喋り方しかできない。

 気になるものは気になるから仕方がない、だというのにこの子ときたら――っと、いまそれは関係ないよね。


「あ、将太はいいです、ちょっと火森先輩に用がありまして」

「は? え、風邪でも引いているの?」

「ちょっと外でいいですか?」

「いいけど……」


 どうした、なにが起きた。

 あれからも普通に一緒にいられているけどただ一緒にいただけでなにかがあったというわけではないんだけど……。


「火森先輩、手を出してください」

「はい――これは?」

「映画のチケットです、恋愛映画みたいなので友達と観てきたらどうですか」


 漫画なんかでは見たことがあるけど正直、こういうことは初めてだ。

 まあ、仮に手に入っても自分で観に行くだろうから当たり前か、いや、それにしたって敢えて私じゃなくてもいいよねという話。

 そもそも友達は全員同性で同性と恋愛映画を観てどうするのかと言いたくなった。


「朔夜ちゃんにあげればいいのに」

「この前、観たみたいなんですよ、だから友達とどうですか」

「なら君と行こうかな、丁度二枚あるみたいだからさ」

「作っている人には悪いですけど恋愛映画を観るような趣味はありませんね」


 うん、言うと思った、それに変に受け入れられても困る。

 でも、やっぱり同性と観るような趣味もないからこのまま行くことにした。


「捨てるのももったいないから諦めてよ」

「喋り方、やっぱり戻すんですか」

「あ、そういえばそうね、お母さんに聞かれたくなくてあれにしたままだったわ」


 どうなんだろう、どっちが似合っているのかが分からない。

 分かっていることはこれからも彼や将太の前でしかこれを出さないということだ、余程のことがない限りはそうしようと決めている。

 この喋り方に戻して楽になったこととかも特にないしね、なんなら母達に見せているあの喋り方の方がいい感じすらするわ。


「裕理さん相手にそんなことをする必要はないでしょう」

「そりゃ私だってできれば自分を見せていきたいけど気になるのよ」

「変な人ですね」


 変な人とはなんだこらぁ! と叫びたくなったものの、なんとか我慢ができた。

 既に商業施設内に入っているというのもある、この中にある映画館を利用しないのであれば電車が必要になるから自然とこうなる。

 うん、だけど休日ということもあって滅茶苦茶混んでいる現実を前に結局内のそれが漏れてしまった。

 とにかく映画だ、それなりにいても人数制限があってそこまでごちゃごちゃしていないからさっさと移動しよう。


「あれ、玲亜だ」

「お、まさかこんなところで会うとは」


 この前の途中離脱の日に参加していたメンバーの一人だった。

 正直、この遭遇は嬉しくない、友達が来たりすると加登君が変な遠慮をするからだ。


「それはこっちが言いたいことだよ、映画なんて興味がないって言っていたじゃん」

「あーだけどこの子がくれてね」


 ちなみに行かないための嘘などではなかった、約一時間半ぐらいしてじっとしておくのは辛い。


「え、そ、それってデートってことっ? きゃー!」

「盛り上がっているところ悪いけど、これはそんなのじゃないよ、ねえ?」


 って、無視かい、思いきりこちらを見ていたのになんでよ。


「火森先輩、早く行きましょう」


 かと思えば話しかけてくるし、なんならこちらの腕だって掴んでいる。

 この短時間で彼らしくないことをしすぎだ、これは彼の意志で、ではなくて将太か朔夜ちゃんになにかを言われたというところだろうな。


「ということだからまた今度ね、それと勘違いをしないように」

「うんうん、そういうことにしておくよ、またねー」


 ふぅ、疲れる、休日はなるべく家から出るべきではない。

 あと友達も離れたのにどうして腕をまだ掴まれたままなのか、映画を観ることが好きではないと知って逃げられないようにしているのだろうか。


「俺も捨てたくなかったからまず朔夜に聞いて、それから火森先輩にという感じです」

「朝陽ちゃんじゃ駄目だったの?」

「『男の子の仲がいい子がいないからやめておくよ』と断られました」

「じゃあそこから私にとなってもおかしくはないか」


 異性の友達は朔夜ちゃんか私ということになるからそうだ。

 なら最初からチケットを貰わなければよかったのにと言おうとしたけど、口にする前にあまり断れない存在だったことを思い出してやめて移動したのだった。




 くそ、将太の奴め余計なことをしやがってと内で吐き捨てる。

 変なことをしてくれたせいでこんなことになった、先輩も先輩で表面上だけは受け取っておくぐらいで済ませてもらいたいものだがな。

 大して仲良くもない相手と全く興味がない恋愛映画を観るというのはかなりきつい、だから今度は似たようなことがあってもちゃんと断る。


「加登君、私のことは名前で呼びなさい」


 いまなら聞こえなかったふりができる、いや、爆音だから本当にそうなのだ。

 恋愛映画を観ているからってそれに合った冗談を言うのはやめてほしい。

 それとよ、朔夜と観に行ったのだって俺なんだぞこれ……。

 将太の奴が鳥肌が凄くなって無理だとか言うものだから朔夜にどうしてもと頼まれて断れなかったのだ。


「終わったわね」

「……ですね」

「さっき言ったこと、ちゃんと守りなさい」


 名前が好きなのか、玲亜は独特だと思うが本人が気に入っているのであれば仕方がないか。

 こういうところで俺が断れるならこうはなっていないということでこうなってしまった時点で詰みだ。


「朔夜ちゃんは将太と行ったのよね? それはもう甘々な雰囲気だったんでしょうね」

「あ、俺なんですよ」

「は?」

「ですよね、俺も同じ反応になりましたよ」


 なんであのとき先輩はいてくれなかったのか、いつもみたいに来てくれていれば朔夜だって俺となんか行かなくて済んだというのに。

 タイミングが悪いというやつだよな、まあ、単純に休みの日に一緒にいるような仲ではないということだが。


「いや、なんであんたが朔夜ちゃんと行くのよ、そこは将太でしょうが」

「狙ってなんかはいませんよ」

「朝陽ちゃんの言う通りあんたって嘘つきよね、『昔のことだけど実は一度だけ本気になろうとしたときがあるんだ』とか言っていたくせに」


 待て、なんでそのことを知っているのか。

 いやまあ、知られたところで過去のことだからなにも不都合はない、が、もしいちいち聞いたのだとしたら馬鹿だ。


「まあいいわ、玲亜、さあほら呼びなさい」

「玲亜先輩」

「玲亜か玲亜さんでいいわよ」

「それなら玲亜さんで、喉が渇いたのでどこかの店に入りませんか?」

「いいわよ、あんたから誘ってくれるなんてこの先、あんまりなさそうだからね」


 将太と朔夜がチケットを押し付けてこなかったらこうはなっていなかった、というか一度二人で観に行ったのに何枚持っているんだよとツッコミたくなる件だ。


「朝士君って呼んであげようか?」

「好きにしてくれればいいですよ」

「それなら朝士ね、私だけ名字で呼び続けるのも変だから。あと、今日はこのままあんたの家に行くから、朝陽ちゃんとも話したいのよ」

「分かりました」


 朝陽の部屋で寝てもらえば問題もない、本当のところがどうであれ女子同士のすぐに上手くやれるところはすごいと思う。

 ご飯は夜に出て食べに行ってもいい、朝陽や母が作ってくれるということなら甘えればいい。

 まあつまり、先輩が泊まることになってもいつも通りでいられることは確定していることになる。


「あんた分かってんの? 私がこのタイミングでこう言うということは泊まるってことなんだからね?」

「別に泊まりたいならそれでいいですよ、朝陽も明日は部活もありませんから夜更かしをしようとすると思います」

「ふーん、一応言っておくと私は朔夜ちゃんみたいなタイプじゃないからね」

「そろそろ出ましょうか、騒ぎすぎなければ別になんでもいいんですよ」


 もう六月も終わる、食後なんかに外でゆっくり過ごすのもいいかもしれない。

 どうせこういうことを言っておきながら最初から最後まで朝陽と過ごすだろうからそうやって時間をつぶすしかないのだ。

 最悪の場合は将太を呼ぼう、朔夜が関わっていなければ怖い顔をされることもないから頼ればいい。


「朝士、ちょっとスーパーに行きたい」

「菓子でも買いましょうか」

「そうそれよ、甘い物があれば朝陽ちゃんもずっといてくれるだろうからね」

「ですね」


 ここで夜ご飯を買ってもいいがどうする、って、先輩に聞けばいいか。


「私の分もとなると多く消費することになってしまうし、外でとなるとあんたは無駄にお金を使わなければならないのよね? でも、やっぱりお世話になるのも違うから私はここでカップ麺とかを買っていった方がいいわよね」

「あ、玲亜さんがいいなら外で食べるのでもいいですよ、あんまり行かないので楽しめます」

「あ、そう? なら夜になったら出ましょう、たまにはいいわよね」

「はい、玲亜さんが行きたいところに行くので決めておいてください」


 というわけで当初の目的通り、数点の菓子だけ買って店をあとにした。

 先輩が先程から楽しそうなのは朝陽とゆっくり過ごせるからだろう、あとはちょっとのチケットを無駄にしなくて済んだというそれもあるのかもしれない。

 だが、俺からすれば理由がどうであれいいことに見える、不機嫌な状態でいられたら駄目になるからこうして安定してもらえるように頑張ろう。


「今日は珍しいあんたが見られて大満足よ」

「意識をして変えているわけではないですけどね」


 今日先輩のところに行ったのは何度も言っているように押し付けられたチケットをなんとかするため、振り向かせようとして家に行ったわけではない。

 映画を一緒に観ることになったことなんかも先輩がそうしただけで俺は関係していないので勘違いをしないでほしい。


「嘘よ、いつもとは全く違うわ」

「そんなつもりはないんですけどね、映画館で玲亜さんの腕を掴んだのだってあまり時間に余裕がなかったからですよ?」

「はは、どれだけ認めたくないのよ」


 いやだから……って、こうしてすぐに終わらせようとしていない時点で駄目なのか。

 朝陽だってこのことに関しては味方になってくれないだろうからやめよう、このまま続けても通常通りの先輩にすら勝てやしない。


「下着を身に着けているとはいえ、裸の将太を見なくて済むのはいいことだわ」

「そんなことを言ってあげないでください、将太だって泣きますよ」

「泣かないわよ、それどころか『ここの筋肉がすごいだろ?』と見せてくるわ」


 まあ、どうしても耐えられないならはっきりと言えばいい。

 だからそこまでいっていないのなら優しくしてやってほしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る