2-8 捜査を振り返って

 関係者への聴取を一通り終えると、ユイトとロレーナは最後に憲兵署へと向かった。


 ただし、それは捜査をするためではなかった。むしろ逆で、今夜はもう捜査をやめるつもりだったのだ。


 トランシール公国での滞在中は、憲兵署の中で寝泊まりするように言われていた。「勇者様の身の安全を守るため」ということらしい。もっとも、ロレーナの扱いを考えると、「ウェアウルフを監視下に置くため」という理由もありそうだったが。


 ユイトを待ち構えるように、署には先に彼女が戻ってきていた。


「お疲れ様です、勇者様」


 憲兵というより使用人のように、カルメラは恭しく挨拶してくる。


 だが、それはあくまでユイトだけに向けたものだったようだ。ロレーナに対しては、牽制するように一睨みしていたのである。


 そのあとでカルメラは、すぐにまた愛想よくユイトに声を掛けた。


「お休みになられますか?」


「その前に、いくつかお尋ねしたいことがあるんですが」


「では、こちらへどうぞ」


 カルメラに先導されながら、二人は署内を進んでいく。丁寧なことに、すれ違う憲兵たちはその度にユイトに頭を下げた。


 案内された先は、会議室の内の一つだった。


「個人的には、ルースヴェインさんを一番疑っているんですよね」


 ユイトはいきなりそう話を切り出した。


 ただ元々犯人候補として怪しんでいたらしく、カルメラは特に驚きはしない。


「最後に被害者に接触したからですか?」


「ええ、トリックを仕掛ける余地があったんじゃないかと」


 店で飲んだあと、ルースヴェインは酩酊状態のヴラディウスを家まで送っていったのである。相手が酔っていたことや家まで一緒についていったことなどを利用して、何らかの方法で水瓶に毒を盛ったのではないだろうか。


「ただ特に動機がないのが…… 過去にトラブルなどは?」


「調べたかぎりでは見つかっていませんね」


「ヴラディウスさんが、ルースヴェインさんの奥さんに手を出したりとか」


「そのような話はありません」


 カルメラはきっぱりと断言した。


 憲兵隊は確立された捜査様式を持ち、さらには組織として多人数で行動する。細かな調査は最も得意とするところだろう。


 それでも見つからないとなると、本当に動機がないのか。もしくは、よほど見えづらい動機なのか……


「動機の件は一旦置いておくとして、勇者様はルースヴェイン氏がどのようなトリックを使ったとお考えなのでしょうか?」


「それは今いろいろと考えているところです」


 他人のことを疑っておいて、あまりに具体性のない返答である。しかし、『勇者様』の言葉だからか、「そうですか……」とカルメラは引き下がるしかないようだった。


 今度はロレーナが質問してきた。


「一番怪しいのがルースヴェイン・ストロングモーンなら、二番は誰でしょうか?」


「第一発見者のランスさんだね」


 彼に目をつけた理由は、ルースヴェインと同様に、トリックを仕掛ける余地があったことである。第一発見者の彼なら、何らかの痕跡が残る方法を使って水瓶に毒を盛ったとしても、その痕跡を現場に入った時に抹消できたはずだろう。


 だが、ロレーナはユイトとは異なる点に目をつけていた。


「そういえば、ランス・バーニィバーンは国外に一度も出たことがないと聞きましたが」


「ああ、その通りだ。本人や検問所に確認したから間違いない」


「中立派ではなく、孤立派だったということですか?」


「そう解釈するのが妥当だろう」


 また、そう解釈したいのだろう。カルメラの表情は満足げだった。


 そんな彼女の様子を見たせいか、反対にロレーナは険しい顔つきをする。


「では、ヴラディウス・ドラクリヤの口利きで議員になったというのは?」


「推薦者の一人なのは事実のようだな」


 今回もきっちりと裏を取っていたようで、カルメラは迷うことなく頷いていた。


 しかし、こちらの疑惑に関しては、彼女は否定的なようだった。


「ただヴラディウス氏の隠し子だという噂は、ランス氏だけに限ったものではない。たとえばマイヤ・ゼレイスのことは覚えているか?」


「ええと……」


「確か、検問官の方ですよね。荷物の検査をしてくれた」


 言いよどむロレーナに代わって、ユイトがそう答えた。入国する時に、検問所内で顔を合わせた眼鏡の女性のことだろう。


「父親がいないせいで、彼女にも似たような噂が立っています」


 その上、カルメラの言い草からすると、二人と面識があるので例として挙げただけで、マイヤ・ゼレイスの他にも同じ立場のヴァンパイアがいるらしかった。


 どうやら「誰それがヴラディウスの隠し子だ」という噂は、トランシール公国内では珍しいものではなかったようだ。であれば、ランスが隠し子だという説も当然怪しくなってくるだろう。


 少なくとも、カルメラはまったく信じていない様子だった。


「ヴラディウス氏は単親家庭や孤児への支援に積極的でしたからね。そこから出た融和派の陰謀論でしょう」


 ユイトは彼女ほど孤立派寄りの見方をするつもりはない。ランスが隠し子だという説についても、完全には否定しようとまでは思わなかった。


 だが、それゆえにランスが犯人だという説は却下していた。


「仮にランスさんが孤立派や隠し子だとすると、ヴラディウスさんを殺す動機はなくなるでしょうしね」


 もちろん、同じ派閥や親子ゆえの確執があったという風にも考えられる。ただルースヴェインが「二人の関係は良好だった」と証言していたから、その可能性は低いのではないだろうか。


「そういうことなら、ベルデ・クレーテの説はどうですか?」


 ランスに関する検証として、ロレーナは次にそう尋ねた。


 ベルデ曰く、ヴラディウスは毒を飲んで自殺した。第一発見者のランスは、残った毒を水瓶に入れて、他殺と誤認される状況にした……


「孤立派ないし父親の名誉を守るために、ランス・バーニィバーンが自殺を誤魔化したとは考えられませんか?」


「かえって名誉を傷つけるだけだろう」


 ロレーナの意見を、カルメラはそう一言で切り捨てた。


「どういうことですか?」


「他殺の場合、状況的に異種族の犯行の可能性も疑われるわけだからな。検問に不備があると国民に思われたら、孤立派の議員としては大打撃だろう」


 トランシール公国の政治体制は、必ずしも孤立派の議員による独裁的・専制的なものだとは言い切れない。ほとんどの国民が異種族への恐怖心や敵対心から孤立派に属し、また孤立派の議員を支持しているからである。


 逆に言えば、孤立のための政策に穴があったとなれば――異種族に検問を突破された上に殺人事件まで起こされたとなれば、議員たちは国民からの支持や信頼を大幅に失ってしまうことだろう。


 今回、国外からロレーナが招集されたのも、「対立しているウェアウルフなら、無理にでも検問体制の不備を指摘して、国の権威を失墜させようするはずだろう。逆にウェアウルフにすら検問の完全性を認めさせられれば、国民の支持をさらに高められるに違いない」という思惑によるものだという。


 このように孤立派の議員からすれば、たとえ可能性レベルだろうと、検問に問題があると国民に思われたくないのだ。


「僕もそこが引っかかっているんですよね。現象としては自然でも、心理として不自然というか」


 カルメラの推理に、ユイトもそう同意する。ランスに殺人の偽装が実行可能だったからといって、現実に実行されたとは思えなかった。


 第一にルースヴェイン、第二にランスと検証が済むと、カルメラは次に彼女の名前を挙げていた。


「勇者様は、ベルデ氏は疑っておられないのですか?」


「動機はありそうですが……」


 ユイトは曖昧にそう答える。


 と、そこで、事情聴取で聞きそびれていたことがあったのを思い出す。


「そういえば、ヴラディウスさんとは具体的にはどんな対立があったんですか?」


「一番は議員の推薦の件でしょうね。ベルデ氏からの要求を無視するどころか、他の議員たちにも聞き入れないように指示していたみたいですから」


 議員になるには、現職の議員三名に推薦され、なおかつ議会の三分の二以上に承認されなくてはいけない。だが、ベルデはその第一段階の時点で、孤立派の妨害を受けていたようだ。


「その他にも、家にコウモリの死体を投げ込まれたり、脅すような手紙が送られてきたり、彼女に対してさまざまな嫌がらせが行われていたようです。もっとも、これについてはヴラディウス氏本人ではなく、孤立派の市民がやったことだと思われますが」


 しかし、憎しみの矛先は、孤立主義を推進しているヴラディウスに向かってしまったのかもしれない。あるいは、ヴラディウスが裏で糸を引いていると思い込んでしまったのかもしれない。やはりベルデには動機があったと見ていいだろう。


「ただベルデさんには方法がないですからね」


「井戸に凍らせた毒を浮かべるというのはどうでしょう?」


「ルースヴェインさんの説ですか」


「勇者様もお聞きになられたのですね」


 井戸から水を汲む際、ヴラディウスに毒の氷に気づかれなければ、水瓶の中で毒が溶け広がって、自殺したように見せかけることができる。仮に氷を発見されてしまったとしても、毒を仕掛けたことは脅しになる。また、井戸の中で氷が溶けてしまったとしても、毒殺自体は遂行できる。


 こうしてどう転んでもいいような仕掛けをしたら、偶然にも一番上手くいった……というのがルースヴェインの説だった。


「しかし、たとえ偶然でも上手くいくようなトリックとは思えないですね」


 氷が水瓶の上に浮いているのに気づかないというのは、あまりにも不注意が過ぎるだろう。高齢だったとはいえ、今でも仕事や飲酒、はては女遊びにまで精力的だったヴラディウスが、それほど耄碌もうろくしていたとは思えなかった。


 カルメラも内心では無理のある説だと思っていたようだ。ユイトの反論を聞くや否や、「やはり、そうですか」とあっさり翻意するのだった。


「かといって、ロレーナ君の考えた氷を風魔法で運ぶトリックもなぁ。間取りを知っているルースヴェインさんでも無理そうなんだから、家に上がったことのないベルデさんには尚更無理だろうし……」


 属性魔法を精密にコントロールするのはヴァンパイアでも難しい。今日行った実験によって、ユイトはそのことを改めて実感させられていた。


「融和派のベルデ・クレーテには動機があるが、トリックを実行する余地に乏しい。ルースヴェインとランスにはトリックを仕掛ける余地はあるが、孤立派なので動機に乏しい……といったところですか」


「そうなるね」


 ロレーナの簡潔なまとめに、ユイトはそう頷くのだった。


 聴取で集めた情報は裏が取れた。これまでに出た仮説は検討が済んだ。新しい説は思いつかない…… 議論は煮詰まってしまって、誰からも発言が出てこなくなる。


 だから、ユイトは提案した。


「ずっと起きっぱなしだったし、今日はもう寝ようか」


「それでは、お部屋までご案内いたします」


 カルメラに連れられていった場所は、署内の二階にある一室だった。


 普段使っているはずの机やイスが端に寄せられ、代わりに普段は使わないであろうベッドが置かれていた。それもヴァンパイアが好んで利用する、遮光用のふたが付いたベッドである。


「空き部屋にベッドを運び込んだだけの簡素なもので申し訳ないですが……」


「いえ、十分ですよ」


「必要なものがあれば、何なりとお申し付けください」


 仮にも魔王を討伐して、世界を救った勇者である。命じれば、カルメラたちは物だろうと人だろうとなんでも用意しようとするだろう。もちろん、ユイトはそんなことをするつもりはなかったが。


 しかし、ユイトが何も要求しなくても、周りが自発的に申し出てくることはよくあることである。今回もそうだった。


「お一人で大丈夫ですか? 警護のために私も同じ部屋に泊まりましょうか?」


「それはさすがにまずいよ」


「勇者様はそんなことをなさらないでしょう」


「男は狼だよ。ウェアウルフの君に言うことじゃないけど」


 冗談交じりにそう断ると、ロレーナは「警護がいると落ち着かないとおっしゃるなら」と大真面目に答えた。笑うように命令しようかと思うほどの真顔だった。


 だが、ユイトが実際に命令したのは別のことだった。


「カルメラさん、一つだけよろしいですか?」


 物も人も必要ない。ユイトはたった一つ、彼女に聞いておきたいことがあったのである。


「あなたの立場はやはり孤立派ですか?」


「ええ、当然です」


 恥じるどころか誇るかのように、カルメラはそう答えた。


 彼女と別れると、ユイトとロレーナはそれぞれ用意された部屋へと入る。まだ警護に未練があるらしく、ロレーナはユイトが部屋のドアを閉じるのを最後まで見守る念の入れようだった。


 そうして一人になると、ユイトはすぐにベッドに体を横たえていた。


 日中は馬車で延々と移動をして、そのあとはヴァンパイアの生活リズムに合わせて夜通し起きて事情聴取を行った。ステッキが手放せない体のユイトには過酷なスケジュールで、眠気が限界に達していたのである。


 異種族から「棺桶のようだ」と揶揄される蓋を下ろすと、ベッドの中は真っ暗になった。疲れと暗さから、ユイトは早々に眠りにつく。


 だが、その眠りはしばらく経った頃に破られた。


 唐突に、部屋に甲高い音が響いたのだ。


 今のはガラスが割れる音だろう。部屋のガラスといえば、窓くらいにしかついていなかったはずである。


 ベッドの蓋を跳ね上げると、ユイトの予想した通りの光景が広がっていた。窓ガラスを突き破って、部屋の中に大きな岩が入り込んできている。


 そして、部屋の外には、コウモリのような翼を生やした人影が飛んでいた。


 ヴァンパイアが襲撃を仕掛けてきたのだ。

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