2-9 真昼の襲撃者
窓の外を飛ぶヴァンパイア。
その体は黒いマントに、その顔は不気味な白い仮面に覆われていた。
時刻はすでに正午を過ぎて、太陽が高く昇っている。日光で火傷するのを防ぐために、肌を隠さなくてはいけなかった――というだけではないだろう。
勇者を襲撃するにあたって、正体を見破られないようにしようと企んだのだ。
『店に入るのに、店員の許可は必要ないのでしょうか?』
『こういうお店や公共の施設は、開店と同時に「誰でも入ってきていい」と結界を放棄してるんだよ。出入りの時にいちいちやりとりをしていたら手間だからね』
公共の施設である憲兵署は、当然市民が自由に相談に行けるように開放されている。また、泊めてもらっているだけで、借りているわけではないので、部屋の所有権は特にユイトにはない。
そのため、結界に阻まれることなく、襲撃犯は割った窓から部屋の中に侵入してくるのだった。
ベッドから飛び出ると、ユイトはステッキを手に取る。仕込んだ剣を抜くためである。
すると、襲撃犯も銀製のナイフを構えた。
リーチの長さでは、仕込み杖を持つユイトに分がある。けれど、強化魔法については、魔王との戦いで怪我を負ったユイトよりも、ヴァンパイアである襲撃犯の方が
にもかかわらず、それでも迫ってくる刃から、ユイトは逃れることができた。魔王討伐の旅は後遺症だけでなく、戦闘の経験も残していたからである。
もっとも、すんでのところでなんとか身をかわしたに過ぎない。二度、三度と同じ攻防を繰り返せば、こちらの体力は尽きるし、相手にも慣れが出てきて、いずれは攻撃に
しかし、二度目の攻防が始まる前に助けが入った。
「勇者様! 御無事ですか!」
激しいノックとともに、ロレーナがそう叫ぶ。
だが、加勢が来ることは、襲撃犯に予想されてしまっていたらしい。
最初に土魔法で岩を飛ばしたのは、単に窓を破って侵入経路を作るためだけではなかった。重さでドアを塞いで、加勢が部屋に入ってこれないようにするためでもあったのだ。
「入りますよ!」
そうは言うものの、岩が邪魔になってドアは開かないようになっている。
だから、ロレーナは岩をドアごと吹き飛ばすのだった。
全身を覆う銀灰色の毛皮、長く突き出た鼻と口、鋭い爪の生えた四本の脚…… ウェアウルフが完全に狼の姿になれば、岩くらい障害にもならないのだ。
それどころか、ヴァンパイアでさえ相手にならなかった。
部屋に突入してきた勢いのままに、ロレーナは襲撃犯へと跳びかかる。ドアをぶち抜いてくるのはまだしも、ウェアウルフの脚の速さは予想しきれなかったようで、襲撃犯は攻撃をかわしきれない。肩口から噛みつかれ、傷から血が溢れ出す。
ただし、ウェアウルフには及ばないだけで、ヴァンパイアも強化魔法は得意である。ロレーナを力づくで振りほどいて、襲撃犯は狼の顎から脱出する。
完全に狼化したウェアウルフは、こと近接戦闘においては全種族でもトップクラスに強い。襲撃犯からすれば、距離を取って属性魔法で応戦したいところだろう。だが、屋内にいるせいで、そういうわけにもいかなかった。
加えて、署内の日勤や宿直の憲兵たちも異変に気づいたようだ。話し声と足音が続々と部屋に近づいてくる。
その結果、ユイトの命を狙うのは断念したらしい。
割った窓から、襲撃犯はコウモリ状の翼で飛び去っていくのだった。
「追え!」
部屋に入ってくるなり、カルメラはすぐに事態を察して指示を出していた。
部下の憲兵たちは遮光用にフードをかぶり、また飛行用に翼を生やす。そして、襲撃犯を追跡するために飛び立っていった。
さすがに空は飛べないからか、勇者の警護の方が重要だからか。ロレーナは部屋に残ったままだった。
「お怪我はありませんか?」
「君のおかげで何ともないよ。ありがとう」
もし彼女が助けにきてくれなければ、十中八九殺されていたことだろう。ユイトは本心からお礼を言うのだった。
ロレーナのおかげで、被害が出たのは物だけに限られた。襲撃犯が侵入時に壊した部屋の窓、救援のためにロレーナが突き破ったドア、それから狼に変身した時に破れた彼女の服……
やはり勇者の警護の方が重要なのか、ロレーナは自室に着替えを取りに行こうとしない。それどころか、ろくに裸体を隠そうともしなかった。見かねたユイトは、ベッドに使われていたシーツを彼女に手渡す。
「申し訳ございませんでした。まさか勇者様を相手に襲撃を仕掛けるような輩が現れるとは思わず」
「署に突撃してくるなんて普通は想定できませんよ」
深く頭を下げてくるカルメラに、ユイトはそう答えた。これも本心だった。
何か特別なことをしなくても、多数の憲兵たちが控える憲兵署を宿泊場所に選んだ時点で、十分な警備がなされていると見なしていいだろう。カルメラのミスとまでは言えないはずである。
しかし、謝罪をしても、相手から許されても、気が済まなかったらしい。彼女はただちに善後策を提示する。
「お部屋を移しましょう。それから今度は警護もつけます」
「警護なら私がやりますよ。あなたたちは信用できないですから」
憤ったような口調で、ロレーナはそう横槍を入れた。
対立するウェアウルフに見下され、さらには一方的に指示まで出されて、孤立派のヴァンパイアとしてはまったく面白くないだろう。だが、実際警護に失敗したばかりだったせいで、カルメラも不承不承引き下がるしかないようだった。
「……いいだろう。こっちは部屋と建物の外に人員を配置する。部屋の中の警備は貴様にやらせてやる」
また、部屋に関しても、警備を重視したところに移動することになった。最初は快適さを重視して、憲兵たちから離れた静かな部屋が用意されていたが、今回は安全のためにむしろなるべく近い部屋が選ばれたのだ。
そうして、ユイトは改めてベッドに入ったが、すぐには横にならなかった。
警護のために、彼女はベッドのそばで仁王立ちしていたのだ。
「悪いね。君も眠いだろうに」
「あれだけ眠れば十分ですよ」
狼には一晩中でも走っていられるほどの体力があるとされている。そのため、狼に似た姿のウェアウルフにも、似たような特徴が見られるのだ。
だが、そのことと心配になるかどうかは別の話である。
「そう? いくらウェアウルフでもきついんじゃない?」
「勇者様の命に比べれば、私の体調など大した問題ではありません」
「…………」
ロレーナの返答に、ユイトは黙り込んでしまう。
彼女の言い方に、自分は『勇者様』なのだと再認識させられたからである。
いや、彼女だけではない。
人間においては、議員のジョシュアと、憲兵のルドルフ。
ヴァンパイアにおいては、議員のランスとルースヴェイン、憲兵のカルメラ、研究者のベルデ……
今日は種族や職業だけでなく、年齢や性別まで異なるさまざまな人々と接した。それによって、自分がどういう存在なのかを改めて思い知らされることになったのだった。
「……僕が戦えなくなった理由は知ってる?」
「魔王との戦いの後遺症ですよね? 卑劣にも勇者様を道連れにしようと、魔王は自爆を図ったと聞きました」
確かに世間で流布している伝説では、そういうことになっているようだった。
「あれは僕が油断したせいでもあるんだけどね」
「そうなんですか?」
『迂闊にも敵の自爆に巻き込まれた』という結末では、救世主の伝説としては見栄えがしないからだろう。この話は一般的な記録や口承からは削除されてしまっているようだ。
しかし、単に見栄えの問題だけだとも言えなかった。
「とどめを刺す直前に、魔王が言ったんだ。『力を持つ者は必ず疎まれる。
「そんなことは――」
「ないとは言い切れない。僕が元いた世界でも、こっちの世界でも、英雄が悲惨な晩年を迎えたという例はしばし歴史に記録されているからね。
そう考えて、僕がとどめを躊躇ったところで、魔王は自爆を仕掛けてきた。仲間と運に恵まれたおかげで、幸い一命は取り留めたけどね。
いや、もしかしたら、魔王はわざと僕を殺さなかったのかもしれない。力を失ったことで、僕には功績だけが残ったから」
そのおかげで、魔王討伐後に、国家や民衆から命を狙われるようなことはまったくなかった。今回のような、個人単位で襲撃を仕掛けてくる者ですら稀だったくらいである。
「もっとも、魔王にも誤算があった。恐れられるか、敬われるかの違いで、結局僕が特別扱いされることには変わりなかったからね」
街を歩いているだけで、声を掛けられたり、手を振られたりする。握手やサインを求められることもしょっちゅうだった。
ユイトにだって、たまには一人で静かに散歩したいような時もある。いくら相手の行動が好意から来るものだとしても、そういう時はさすがに勇者であることに嫌気が差してしまう。
しかし、本当に嫌だったのは、握手やサインを断るようなことをすれば、必ず自分ではなく頼んだ方が批判されることだった。周囲は「遠慮しろ」「迷惑をかけるな」と言うばかりで、「いい気になっている」「調子に乗っている」という話には決してならなかったのだ。
魔王を討伐した救世主。生きる伝説となった英雄。そんな方のやることに間違いがあるはずがない。どうも彼らの中ではそういうことになっているようだった。
彼らは勇者という虚像を頭に思い描いていて、実像がそれに合わない時は実像の方を歪めて解釈している。理想の中の勇者を盲信しているのだ。
「元いた世界では僕のことを『佐藤唯人』として扱ってくれる人もいたけれど、この世界の人たちにとって僕は『勇者様』でしかない」
「…………」
さんざん『勇者様』と呼んで、それに見合った扱いをしてきたからだろう。ロレーナは口をつぐんでしまう。
「もちろん、嫌われるよりはいいけどね」
一個人としての自分を見てほしいとは思いつつも、周囲から嫌われないように、人前ではパフォーマンスを取ってしまっている自分がいる。今取り繕うようなことを言ったのも、結局はロレーナに失望されたくなかったからである。
それどころか、失望されたくないあまりに、ユイトは話を変えるほどだった。
「襲撃犯の正体は、僕にはヴァンパイアに見えたんだけど」
「間違いないでしょう」
ロレーナは即答した。まるで話題が元に戻ることを避けたがっているかのようだった。
「あれが密室殺人事件の犯人なんでしょうか? 真相に気づかれる前に、口封じに殺しに来たとか?」
「そう考えるのが自然だろうね」
混乱を避けるために、今回の勇者の来訪は公にはされていない。完全に秘匿していたわけではないとはいえ、第三者が来訪を知る機会は乏しかっただろう。
ユイトが素性を打ち明けた事件関係者の中に、襲撃犯が存在するという線の方が濃厚なはずである。
「おかげで、かえって犯人が分かった」
驚愕と感嘆から、ロレーナは瞠目していた。
犯人やトリックを説明する前に、ユイトはまず基本的な知識の確認から始める。
「ヴァンパイアが他人の家に入れるようになる条件は覚えてる?」
「家人に招いてもらった時です」
「もう一つは?」
「あとは家人が死んだ時にも……」
ロレーナの返答が語尾に向かうにつれて小さくなっていく。答えている内に、彼女も真相に気づいたようだ。
「そう、犯人は家の外でヴラディウスさんを殺して、そのあとで家の中へ運んだんだよ」
答えが分かったあとでは、ごく単純なことだった。
「睡眠薬を使って、被害者を家の外で眠らせる。次にロープか何かで拘束して、どこか人目のつかない場所にでも閉じ込めておく。その後、日没前の客が家に来ないような時間帯になったら、被害者を起こして無理矢理毒を飲ませる。
そうして家人である被害者が死ねば、当然家の結界は解除されることになる。それで今度は死体を家の中に運び込んで、あたかも自殺であるかのように偽装したんだ」
内容こそ単純だが、誰にでもできるトリックではないだろう。事件当日の行動や日頃の関係から、実行できた者は限られるはずである。
ロレーナもすぐにその名前を口にしていた。
「……となると、最後に被害者と接触したルースヴェイン・ストロングモーンが犯人ということですか」
「その可能性が最も高いだろうね。一緒にお酒を飲んだ彼なら睡眠薬を盛るのは簡単だったろうし、家に送るふりをして別の場所に運ぶこともできたはずだから」
一方で、別の者がこのトリックを実行するのは難しい。ルースヴェインがヴラディウスを家まで送ったとされる時刻は夜明け前だったのである。他に犯人がいた場合、もう出歩くのを控えて眠るような時間に、ヴラディウスを外に呼び出して睡眠薬を飲ませなくてはいけないことになってしまう。
『個人的には、ルースヴェインさんを一番疑っているんですよね』
就寝前の話し合いの時点で、ユイトはそう発言していた。そのことをロレーナは思い出したようだった。
「もしかして、最初からこのトリックを……?」
「アイディア自体は頭にあったよ。ただ水瓶に毒を入れた理由がどうしても分からなくて、自殺の線も考えていた。でも、今襲撃を受けたからね」
「水瓶の件はともかく、他殺なのはまず間違いないと」
「そういうことだね」
それこそ自殺説を唱えた際にランスが言っていたように、誰もがどんな時でも完璧に合理的な行動をするわけではない。まして殺人をする時には、まともな精神状態ではいられないはずである。犯人がうっかり水瓶に毒を入れてしまってもおかしくないのではないか。
「あとは動機の問題だね。これも正直よく分からないんだけど……」
「犯人がヴァンパイアである以上、ルースヴェインが怪しいのは変わらないですからね。取り調べで本人に吐かせましょう」
「拷問とかはやめてね。襲撃犯が無関係のケースも一応考えられるんだし」
もし冤罪だったとしたら、いやたとえ冤罪でなかったとしても、容疑者を拷問にかけるのは問題だろう。ロレーナが案外好戦的な性格であることは今日一日でよく分かっていたから、ルースヴェイン犯人説を唱えたユイトとしては気が気でなかった。
とはいえ、この説が最有力であることは間違いない。事件はもうほとんど解決したと考えていいだろう。二人の間に、弛緩したような空気が漂い始める。
しかし、その空気を破るように、カルメラが部屋に入ってきた。
「今ちょうど犯人が分かったところです」
「……そうですか」
ユイトの報告を、カルメラは喜ばない。むしろ怪訝そうな顔をしたくらいだった。
「――というわけです」
「その方法なら確かに可能かもしれませんが……」
具体的な説明を聞いても、カルメラの表情は訝しげなままだった。
事件の解決に気が緩んでいたユイトも、ようやく何か自分が思いもよらないような事態が起こっていることに気がつく。
「何か問題が?」
「元々私はその報告に来たのです」
躊躇うように一拍間を置いてから、カルメラは告げてきた。
「つい先程、ルースヴェイン氏が自宅で殺されているのが発見されました」
ユイトは思わず絶句する。
水瓶にも毒が入れられていたことや動機らしい動機がないことから、いささか疑問の残る説だとは我ながら思っていた。だが、これで自分の説は完全に破綻したことになる。
そうして放心してしまったユイトに代わって、ロレーナが反論を試みた。
「しかし、トリック自体は使えるでしょう? ルースヴェイン・ストロングモーンがヴラディウス・ドラクリヤを殺して、トリックに気づいた別のヴァンパイアが、同じ方法でルースヴェインを殺したのでは?」
「それはありえん」
「どうしてですか?」
「ヴラディウス氏と違って、ルースヴェイン氏には家族がいる」
事情聴取でルースヴェインの屋敷を訪れた時、玄関で二人を招き入れたのは本人ではなく夫人の方だった。
結界を解除したり張ったりする権限は、夫人も持っているのだ。
「だから、たとえ家の外でルースヴェイン氏を殺したとしても、結界は残されたままなんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます