1-6 勇者の伝説
捜査のために、ユイトとロレーナは夜の国へ――ヴァンパイアの国へと向かう。
事件の現場となったトランシール公国は、ここミッドガルド王国東部のエスター市のさらに東に位置している。だから、二人は馬車を手配するために、まずは街の馬車待機所に足を運ぶことにする。
その道中のことだった。
「勇者様!」
ユイトの姿を見つけた街の人間がそう声を上げていた。
種族を問わず、この世界の大きな街のほとんどには、ユイトの像が建てられていた。剣を握り締める雄々しいポーズ、細身ながら鍛え上げられた肉体、幼さを残しつつも精悍な顔つき、そして勇気に燃える瞳……
まだ十代だった頃に作られたものだが、今でも当時の面影は残っている。おかげで、ユイトの顔は人々に広く知れ渡っているのだった。
「勇者様だ!」
「勇者様~!」
「勇者様、万歳!」
一人が反応したことで、周りもユイトの存在に気づいたようだった。二人目、三人目と、連鎖するように次々と声が上がる。
先を急いでいるのだから、一人一人に返事をするわけにはいかない。しかし、せっかく声を掛けてくれたのに無視をするのも悪いだろう。そこでユイトは人々に向けて手を振ることにする。
すると、「勇者様ー!」といっそう大きな反応が起こった。その結果、ユイトの存在に気づいた者たちがさらに増えて、ますます歓声は巨大なものになった。彼らも無視できないとユイトがまた手を振ると、今度も「勇者様――!!」と大きな反応が起こり……以降はこれを繰り返すことになるのだった。
そうやってユイトが大観衆に応えながら歩いていると、横からロレーナが尊敬の眼差しを向けてきた。
「さすがにすごい人気ですね」
「歓迎してくれるのは嬉しいけどね、迂闊にポイ捨てもできないから参るよ」
「勇者様はそんなことなさらないでしょう」
「それはそうだけど……」
したくなったことなら何度かあるので、そこまで絶対視されても困ってしまう。
「こっちの世界に来るまでは、勇者様じゃなくてただの学生だったんだけどなぁ」
ユイトは思わずそんな愚痴をこぼすのだった。
手を振り続けている内に、ようやく馬車待機所までたどり着く。ここでも勇者としての威光が発揮されたようで、御者との交渉は驚くほどスムーズに成立した。
落ちるのを防ぐために帽子を押さえながら、ロレーナがまず馬車へと乗り込む。
さらにユイトが転ぶことのないように、彼女は乗り口から手を差し伸べてきた。杖をついているのを見て、気遣ってくれたのだろう。
しかし、ユイトはなかなか彼女の手を取らなかった。
「どうかされましたか?」
「いや、帽子がね」
「?」
不思議がるロレーナに支えてもらいながら馬車に乗り込むと、ユイトはそのまま席に座った。それを見て、ようやく彼女も腰を下ろす。
そうして正対する形で座席に着いたことで、ロレーナの帽子がますます目についた。
宿屋で一度脱いだ時以外は、彼女はずっと帽子をかぶったままだった。ウェアウルフ特有の耳を隠したままだったのだ。
つまり、街の人間たちに対して、彼女は自分が異種族であることを隠し続けていたのである。
「物理法則や自然環境なんかは大体同じなんだけどね。元いた世界は、この世界ほど種族に差がなかったなと思って」
「そうなんですか?」
「せいぜい肌や髪の色が違うくらいかな。この世界の基準ならひとまとめに人間扱いで、全員同じ種族ってことになるだろうね」
「それじゃあ、種族間で対立することもないんでしょうね」
「それがそうでもないんだけど」
この世界ほどではないが、元の世界でも人種や民族による対立は存在していた。歴史を紐解けば、この世界と同じくらい対立が激しかった時代もあったようだ。一概に元の世界の方が平和的だったとは言えないだろう。
二人が座ったことを確認すると、御者は馬車を出発させた。
馬のスピードに沿って、街の景色が次々に通り過ぎていく。その様子に、ユイトはなんとはなしに目を向けていた。
大量の荷物を運ぶ少女。氷で冷やした魚を売る男。転んだ傷を一瞬で治す少年。手をかざして薪に火をつける女……
「あと元の世界には魔法がなかったね」
「魔法がない? それは不便そうですね」
何度にも分けて荷物を運んだり、魚を塩漬けにして保存食にしたり、治るまで傷を放置したり、調理の度に火起こししたりしなければいけないのを想像したらしい。ロレーナは眉根を寄せていた。
「代わりに科学が発達していたからそうでもないよ。僕らで言ったら、この世界は中世、いや近世かな? それくらいの感覚だからね」
「キンセイ?」
「ざっくり二百年から五百年くらい前だね」
なかには、エルフのように原始的な採集生活を守り続けている種族もあれば、ドワーフのように先進的な金属研究を進めている種族もある。ただ平均的に見れば、概ね中世や近世のヨーロッパ程度の文明レベルだと言えそうだった。
「だから、元の世界にはこの世界にないものがいろいろあったよ。テレビ、スマホ、カラオケ、インターネット…… 移動も馬車じゃなくて自動車を使ってたしね」
「自動で動く車ですか」
「それが操縦する必要はあるんだけど」
「自動とは?」
言われてみれば、確かにおかしな名前である。おそらく、『エンジンによって自動でタイヤが回転する』というような意味合いなのだろうが。
「僕がいた頃には、完全に自動で動く車も開発中だったけどね。もう十年経つし、そろそろ実用化してるかなぁ」
まだまともな蒸気機関すらないような世界である。ユイトの言っていることが、ロレーナにはさっぱり分からなかったようだった。
「勇者様は本当に異世界から来られたんですね」
「うん、召喚魔法で呼ばれてね」
元の世界で、目の前に突然白い光が現れたかと思うと、その光が徐々に広がっていき、最後には視界が真っ白になった。そして、まともな視界を取り戻した時には、もうこの世界にいたのだった。
と、そう答えてから、ユイトは気づく。
「ちなみに、『ヴァンパイアが国内で召喚魔法を使って、呼び出した異世界人に殺人を行わせた』……というのはまず無理だよ」
家を所有することで張られる結界は、ヴァンパイアにだけ有効で、それ以外の異種族には効果がない。当然、異世界人に対しても無効である。
そのため、異世界人なら結界を突破して家に侵入し、水瓶に毒を盛ることもできそうに思えるが、この仮説はある理由から成り立たない可能性の方が高かった。
「フェアリーの予知魔法によって選ばれた人物が、選ばれた場所で、選ばれた時刻にだけ、召喚魔法を使えるようになるんだそうですね」
「知ってるんだね」
「勇者様の伝説の始まりですからね。ウェアウルフの間でも当然有名ですよ」
「伝説かぁ……」
大仰な響きに、ユイトは苦笑を浮かべるしかなかった。
しかし、ロレーナは茶化すつもりはなく、真剣に言っているようだった。
「約百年前、突如この世界に、魔王を名乗る謎の存在が現れた。魔王は闇魔法でモンスターたちを支配下に置くと、彼らに世界各地を襲わせた。この侵攻により、いくつもの街や国が消え、世界が滅ぶのも時間の問題かと思われた。
「しかし、その時、異世界から勇者が召喚された。世界の現状を憂えた勇者は、各地を旅して回りながら、聖剣と光魔法で次々にモンスターを倒していき、最後には魔王城まで乗り込むと、壮絶な戦いの末に見事魔王を討ち取った。こうして世界に再び平和が訪れたのだった。
……これが伝説でなければ何なんですか」
ロレーナはムキになったように反論してきた。勇者本人の言葉だというのに、まるで第三者が勇者を貶したかのような言い草である。
だが、ユイトからすれば、やはりこの『伝説』は誤解もいいところだった。
「モンスターを倒せたのも、魔王を討伐できたのも、僕だけの力じゃないよ。パーティメンバーの、いや旅を支援してくれたみんなのおかげ」
「被害者のヴラディウス・ドラクリヤもそうだったとおっしゃっていましたね」
まだ戦果も少ない初期の頃から、彼は資金を援助してくれていた。あれがなければ、旅が頓挫していたとしてもおかしくなかっただろう。決して、独力で魔王討伐を成し遂げたわけではないのだ。
「それに魔王戦の後遺症で、今はもう戦うような力は残ってないからね」
魔王は闇魔法でモンスターを従属させるだけでなく、強化させることまでできた。魔王の死後、従属は解けたものの、強化は残ったままだった。そのせいで、現在でも世界各地ではモンスターによる被害が出続けていたのである。
このモンスターの対策として、冒険者と呼ばれる職業の者たちが討伐に当たっていた。元勇者パーティのメンバーの中にも、冒険者として今なお旅を続けている者がいる。
ただ肝心の勇者本人は、もはや杖が手放せないような体になってしまっていた。そのため、戦いからはすでに身を引いていたのだった。
「しかし、たとえ戦えなくても、勇者様はその頭脳で今回のような事件をいくつも解決されてきたのでしょう?
魔王討伐後、勇者はそれぞれの種族内の問題や種族間の対立の調停に乗り出し、以前とは別の形で世界平和に貢献するのだった……と伝説にもあります」
「それも僕だけの力じゃない。みんなと旅をしてきた経験のおかげだよ」
危険を予知可能なフェアリー、属性魔法に長けたエルフ、武器防具を整備できるドワーフ、罠や鍵の解除が得意なハーフリング、家事や野営の技術を持つブラウニー……
パーティ内に限っても、さまざまな種族と接してきた。旅先で知り合った人々まで含めれば、この世界のすべての種族を網羅しているはずである。ユイトは単にその経験で得られた知識を元に、講演を行ったり推理を行ったりしてきただけのことだった。
「ただ異種族のことなので、勇者様のその後のご活躍はあまり耳にする機会がないんですよね」
「聞きたいの?」
「すみません。そういうつもりでは」
畏れ多いとばかりに、ロレーナはすぐに否定した。顔つきこそ狼のような冷静さと獰猛さが同居しているが、ユイトに対する言動はむしろ主人に忠実な犬のようだった。
「それじゃあ、クイズ形式で話そうかな」
ちょうど今から密室殺人事件の捜査に向かうところなのである。頭の体操として、そんな趣向も悪くないだろう。
「事件の概要はこうだ」
ユイトはそう話を切り出した。
事件はエルフの集落で起きたものだった。首吊りに見せかけた絞殺死体が見つかったが、被害者の家の鍵は施錠されていた。
トリックは風魔法を使ったものだった。突入のために玄関のドアを斬るふりをして、鍵を中に入れる時に斬った跡が分からなくなるようにしたのだ。
そして、動機は三角関係によるものだった。閉鎖的な生活をしていたために逃げ場がなく、加害者は思い詰めて凶行に走ってしまったのである。
「まだかかりそうだね」
「そうですね」
外の景色を眺めながら、ユイトとロレーナはそんなことを言い合う。
まずミッドガルド王国内にあるバーナという街に向かい、そこを中継地としてトランシール公国を目指すという予定になっていた。しかし、まだそのバーナの街すら見えてこない。
「せっかくだし、もう一問付き合ってもらおうかな」
「ええ、お願いします」
「今度のは謎を解いたわけじゃなくて、単にその場に居合わせたってだけなんだけどね」
それはちょうど今のように、ユイトが馬車に乗っている時に起こった事件だった。
「乗り合い馬車に、エルフの女性とドワーフの女性が同乗した。移動の最中、ドワーフは気分が悪くなって吐いてしまい、それが隣にいたエルフにかかった。けれど、このことでエルフは怒るどころ笑いだしていた。さて、何故でしょう?」
問題文を聞いて、ロレーナは真っ先にあることを確認してきた。
「『エルフの女が変人だった』というような単純なクイズではないんですよね?」
「そうだね。これは推理ゲームというよりも水平思考パズルで、常識や固定観念に囚われていると解けないっていうものだから」
他にもシチュエーションパズルやウミガメのスープといった呼び方があるが、考え方としてはどれも同じで、柔軟な思考力や発想力が必要とされるものだった。
「逆に言えば、どれだけ不可解な状況に思えても、聞けば納得できるような理由がちゃんとあるよ」
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