第19話・謝れば済むという問題ではないけど、ありがとう


 ロージの嘴がこちらに……と、思った時、こちらに向けて駆けてくる者があった。高らかな蹄の音と、もうもうと立ち上がる土煙。それらが一気に押し寄せて来たと思ったら、何かが打撃を受けたような「ドンッ」という大きな衝撃音と共に離れていく気配があり、何が起きたのかと目を開ければ、見慣れた燕尾服姿が目の前にあって、「あ~れ~」と、言いながら、鳥人間が空高く飛んで行くのが見えた。


「さすがバン兄。容赦ない。バン兄の一蹴りって凄いね。あいつ、雲の上まで飛ばされたよ」


 腕の中にいたウサギが、思わずと言ったように口を聞いて、クランベルは驚いた。


「もしかしてあなた、コマ?」

「うん。黙っていてごめんなさい。少しでもベルさまの為に情報を集められないかと、ウサギになって潜んでいたんだ」


 そう言ってウサギは、クランベルの腕の中から飛び降りて、見慣れたウサギ獣人の姿に戻った。コマは獣化してウサギ姿でこの王宮の庭に潜んでいたらしい。


「コマ。無茶したら駄目よって、あれ? あなた達は確か伯爵領でお留守番していたはずよね?」

「それがそのバン兄がさ、ソワソワしちゃって落ち着かなくてさ……」


 コマが説明しようとすると、それに割り込むようにバンが真顔で言い切った。


「ベルさま。ご無事で良かったです。あの女に以前のように怪我でも負わされたらと冷や冷やしました」

「あれはだいぶ前の事じゃない。あの時はウサギになっていたコマを庇って、腕を軽くすりむいた程度で……」

「あなたさまに傷などとんでもない。あの女にどこか傷つけられたらと思うと生きた心地がしませんでした」

「大袈裟よ。バン。大丈夫。私はどこも傷ついてないわ。その前にあなたが助けてくれたからありがとう」


 バンに両手を握られて、クランベルは恥ずかしそうに顔を赤らめた。それを慈しむように見つめるバンを見て、「あ~あ。見てられない」と、コマは顔を背ける。ライアンとリエールも同意するしかなかった。

 短くも長くも感じられる時間。バンから目を離して我に返ったクランベルは、ライアンやリエール、コマに困ったような目を向けられている事に気がついた。


「あの、そう言えばリエールさまにコマ達の事を紹介していませんでしたね。コマは──」

「自己紹介ならとうに終わっているよ。僕とバン兄のことは、ライアンさまがリエールさまに紹介してくれた」

「そうなの? ライアンさま。ありがとうございます」


 呆れたようにコマに言われ、居たたまれない思いに駆られながらライアンにお礼を言うと、リエールが聞いてきた。


「ところでロージさまは獣人なのですか? 鳥人間のような不思議な姿になっていましたが、何の獣人なのですか? あのような姿、初めて見ました」


 獣人の獣化は、その者が持つ獣の本質──本来の姿に変わることで知られている。それを知るからこそ、人間としては獣人を恐れる者も少なくない。

 例えば熊の獣人ブルアンは熊に、ウサギの獣人コマはウサギに、馬の獣人バンは馬にといった具合に。リエールは鳥女の姿をしたロージを見て、あれが本質なのか? もし、そうならあんな姿をした生き物が存在するのかと驚いたようだ。


「あれは半鳥人化現象です。彼女は獣人ではなく、鳥人なのです」

「鳥人……? 獣人とは違うのですか?」


 リエールは、側妃の両腕が羽に変化し、顔が長い嘴を持った白い鳥に変わったのを見て大層驚いていた。それも完全に白い鳥に変化するのならまだしも、変化が途中で止まったせいで、頭から腰までが鳥で、その下は人間のまま。鳥の頭をした人間が、ドレスを着ている状態が奇妙に思われて気持ち悪く感じたようだ。


 獣人であるライアン達は、鳥人の変化に抵抗がないようだが、人間のクランベル達には衝撃が大き過ぎる。以前、ロージにあのような姿で襲われかけたことのあるクランベルも、彼女の半鳥人化現象を目撃したのは、これで2回目となるが慣れる気がしなかった。


「リエールさま。驚いたでしょう? 獣人慣れしている人でも、鳥人のあの姿には、抵抗を感じる人も結構いますから」

「クランベルさまは平気なのですか? 私は獣人には慣れていますが、鳥人を見たのは初めてです。しかもあのような姿になるとは……。鳥人はあれが普通なのですか?」


「私も初めて見たときは腰を抜かしました。鳥人は鳥に変化できるのですが、私も詳しくは分からないのですが、あれは半鳥人化現象と言って稀に起こるらしいです。鳥に変化する途中で、何らかの齟齬が生じて変身が途中で止まった状態と言いますか……、恐らく彼女の場合は、大好物のウサギを見つけてしまい、異様に興奮して気が焦った事で、あのような姿になったものと思われます」


「シオーマ帝国には、鳥人は結構いるのですか?」

「この国では獣人しか見かけませんけど、帝国を始め、海を越えた大陸では、鳥人もちょくちょく見かけますね」

「そうなのですか? 勉強になります」


 リエールは、クランベルの言葉にイモーレル国の小ささを感じた。世界は広い。海向こうの大陸には様々な人種がいるのだと改めて自覚させられた。

 そして昨日不可解に思っていた、クランベルの言葉に納得がいった。


「昨晩、クランベルさまは、陛下とロージさまの出会いについて、彼女が中庭に倒れていた理由として空から来たと言っていましたが、それは彼女が鳥人であり、鳥の姿になって王宮に来たと言うことだったのですね? 漸く腑に落ちました」

「そうです。それなら可能だと思いまして。恐らく彼女が変化した鳥とは気がつかなかった狩人が、鳥の姿で飛んでいた彼女を矢で射て、怪我を負った彼女は中庭に墜ちたのではないかと思います」


「なるほど。それならば調べの中にあった、中庭で肩を怪我して倒れていた女性を、陛下が発見したというのも納得です」

「あとはそうなると、ロージはどうやってこの国まで来たかなのですが……。ロージは獣人の住むエルド国で暮らしていたはずなのです。その獣人国からイモーレル国までは、海を越えて来なければなりません。かなりの距離があります。飛んでくるにしても無理があります」


「ベルさま。それはこの国の渡航記録を調べてもらえば良いのではないでしょうか?」

「渡航記録? ああ。ひょっとしたらロージは、何らかの事情で、エルド国からこの国へ向けた船に乗り込んで来たのかも知れないって事ね? バン」

「はい。あのロージの事ですから、先ほどの半鳥人化状態で獲物を探し回っているときに、たまたまイモーレル国行きの船に誤って乗ってしまい、我に返った時には船が出てしまった為、降りられなくて、この国にたどり着いてしまったという可能性が無きにしも非ずかと」


「そうね。ロージならあり得そう」

「お二人はロージさまについてお詳しそうに感じますが、あの御方とお知り合いですか?」


 クランベルがバンと頷きあっていると、リエールが不審そうに聞いてくる。


「以前、私の亡き伯父上の葬儀で、伯父上の妻子を名乗り現れたのがロージとその母親だったのです。ところがそれは嘘だったようで、我が家からすぐに追い出されました。その後、どうしているかと思っていましたら、まさかこの国で再会するとは思ってもみませんでしたわ」

「……!」

「ミデッチ家との間にそのような確執があったとは。そうなるとあの御方の記憶喪失と言うのも怪しいですね」


 クランベルの告白に、リエールは訝る様子を見せた。「キミラは亡くなる前に、あの子はどこか胡散臭いと、私に言っていました。話していることの信憑性に欠けると。よくよく話してみればおかしな事に気がつきそうなものなのに、誰も気がついてくれないと零していました」


「彼女のそれが特性ですからね。人を騙すのが得意なのです」

「バン」


 リエールの話しを聞いて、バンが物知り顔で言う。クランベルはそこに多少、バンの彼女に対する嫌悪感のようなものを感じ取って、それは言い過ぎだと止めようとしたが、それにライアンも同意した。


「私も聞いたことがあります。鳥人の中には、自分が得するために、他人を騙して損害を与えるのを、悪いと思わない一族がいると。厄介な者達だと聞きました」


 その者達は特殊な一族で、鳥人の中でも嫌われているらしい。と、ライアンは補足した。確かに彼女達の行っている行為は詐欺なので、他人にあまり好まれることはなさそうだ。


「なんかベルさま。噂をすれば影と言うけど、また厄介な女に再会しちゃったよね。しかもとんだ因縁だよね。ミデッチ家の財産狙いで乗り込んで来た女の娘が、今度はこの国の王をたらし込んで側妃だなんて。あのロージのことだから、ベルさまがこの国の王の下へ嫁いだと聞いて、悔しがって後を追って来たって事はないよね?」

「それはさすがにないと思うわ。コマ。もう嫁いでから6年が過ぎているのよ。彼女は処刑された私の後に、側妃に収まっているのだから偶然でしょう?」


 それまで皆の話に耳を傾けていたコマが言った。クランベルは彼女がそのつもりで行動を起こしたなら、遅すぎないか?と言いたかったが、他の皆は違ったようだ。


「いえ。コマの言う通りかも知れませんね。今まで6年間も放置されてきたクランベルさまを、陛下がそこまでして処刑したがったのは、ロージに唆されたのかも知れませんよ」

「えっ? どういうこと? バン」


「ロージと陛下の出会いが最近だったってことですよ。それまでは陛下は、キミラ側妃に夢中で思考はまだまともだった。そこへロージが現れた。ロージはきっとキミラ妃の揚げ足を取るような行動を取り、彼女を悪く思われるように周囲を誘導したのでしょう。印象操作など、ああいう女はお手の物ですよ」


「私も亡き妹からロージについて、色々と相談を受けていました。彼女は当然現れて陛下の関心を惹き、記憶喪失だと言っているが疑わしいと。陛下には何度か彼女は怪しいから身元調査をと申し出た事もあったようですが、ロージさまがキミラに疑われて辛いと、陛下に先に泣きついていたようで、陛下から記憶喪失で他に頼る者もいない者を虐めて楽しいのかと、叱責されたと言っていました。実際には妹が彼女の面倒を見ていたのですが、気に喰わないと陛下にすぐ泣きつかれて、影で悪く言われていたようです」


 その頃から妹のキミラは、陛下に対する想いが薄れてきたようでしたとリエールは言った。


「それにしてもあの側妃の落ち着きのなさと、半鳥人化していたせいとはいえ、瞳孔が開きっぱなしの状態は変でした。何かおかしな薬でも盛られているような……」


 ライアンが思案にくれる脇で、クランベルやリエールの脳裏を掠めたのは同じ人物だった。

 グイリオは、薬草や毒に長けたコーニル伯爵家の嫡男。もしも彼が何らかの毒草を用いて、ロージを自分の言いなりにさせているとしたら?

 リエールはごくりと喉を鳴らした。


「誰が裏で操っていると?」

「ロージは直情的なので、あまり慎重な方ではありません。誰かが筋書きを用意して、彼女をそのように振る舞わせている気がします」

「そうなるとやはり疑わしいのは、彼女の後見役となっているコーニル伯爵家の嫡男、グイリオ卿でしょうね」


 クランベルが自分の見解を述べると、ライアンがそこから推測を立てた。するとクランベルがしかし……と、浮かない顔をした。


「だとしたらライアンさま。コーニル伯爵家の狙いは何でしょう? ロージの側妃の後見役について、外戚政治を狙っていた? でも、あれではロージが鳥人だとばれて無理でしょう? この国は獣人でさえ蔑まれているのに」

「計画が杜撰ですね。側妃さまもなぜ正体を明かすような真似をしたのか。これではまるで鳥人を王宮に連れ込んだイオバ陛下に、批難の目が向くようにしたとしか思えない」

「もしかしたらそれが狙い?」


 ライアンとクランベルが顔を見合わせる。その隣で、クランベルは忘れていたことを思い出した。


「ねぇ、そう言えばバン。コマ。二人とも領地でお留守番だったはずでしょう? いつの間に王都に来ていたの?」

「それは……」


 クランベルは、誤魔化されてくれなかったかと、バンとコマは目配せあう。


「二人とも」


 腰に両手を当てて、威圧してくるクランベルを前にして、バンとコマは耳を折った。


「もしかしてこっそり獣化して後を追い掛けてきたの?」

「「申し訳ありませんでした」」


 バンとコマの声が被さる。


「もう、謝れば良いって問題じゃないのよ。ここでは辺境伯領とは違うのだから……」


 今回、ライアンと二人での王都入りを、帝国から付いてきてくれていたバン達には危険だと止められていた。それを押し切って、ライアンと来る事を決めたのはクランベルだ。

 クランベルは、この国では処刑されたことになっている。その死んだはずの人間が再び、王宮に姿を見せれば動乱が起こるのは間違いないと、反対されていたのだ。


「でも、ロージに襲われそうになっていた時、助けてくれてありがとう」


 何だかんだ言っても、最終的に頼りにするのは帝国から付いてきてくれた仲間達だ。彼らの存在に助けられている部分は大きい。そこには感謝していた。



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