第18話・危機一髪!
翌日。クランベルは、リエールとライアンに連れられて王宮に来ていた。クランベルは、処刑されてすでに亡くなった事になっている。ライアンは陛下の不評を買い王宮への出入りは禁じられているので、万が一、二人の顔を知る者に会うと厄介な事になるのは目に見えているので変装することになった。
クランベルは、ブイヤール伯爵家の使用人お仕着せの、制服に身を包んだ侍従に成りすましている。どことなく不慣れな感じが初々しさを誘い、新人侍従に見えなくもない。長い髪は編み込んで茶色い鬘を被りその中に隠している。
ライアンは領主館で見せる老夫人姿になっていた。こちらは魔法で変身しているが、ライアンが魔法を扱えることを知らないリエールには、こちらはどこからどう見ても老夫人にしか見えず、元宰相が変装しているとは思えないほどの完璧さで、リエールは絶句していた。
そのブイヤール伯爵のお供として、付き添って王宮の中を歩く。クランベルは新米侍従役で、ライアンは伯爵の母親の妹という設定だ。
ライアンは地方に住んでいる母方の叔母で、王宮務めのブイヤール伯爵を頼って王都に来ている。今日はブイヤール伯爵の元を訪ねてきて、王宮務めの者らに解放されている庭園に足を運んだと言うことになっていた。
側妃はここの庭園がお気に入りで、ちょくちょく散歩に出てくるという。東屋に籠もると少なくとも、一時間は離れないらしい。昨晩、彼女が自分の知る『ロージ』なのか確認したいと言ったクランベルに、では王宮の庭園で遠目に観察したらどうかとリエールが提案したのだ。
クランベルは知らない事だが、その目的だけで王宮に来たわけではなかった。リエールは、ライアンとあることを計画中で、そのことを思うと上手く行くか気がかりで、胃がシクシク痛むような気がしていた。
「リエールさま。大丈夫ですか? どことなく顔色が悪いような……?」
「ああ。大丈夫です。お気になさらず。王宮の庭園は如何ですか? クラン……。あ、ベ……」
「初めて見ました。さすがにここは、陛下がお住まいなだけあって見事ですね。庭園も広くて迷子になりそうです」
リエールが名前を口に出そうとしたので、慌てて被せるように言う。ここでは『ベル』と言う名の侍従の役だ。傍から見たら、主人に気遣われる侍従なんて怪しいことこの上ない。
先ほどから気のせいか、王宮の警備兵や、近衛兵達が何度も見回りに来ているので、何か探られているようにも思えて気になっていた。
「何かあるのでしょうか?」
「最近、陛下の独裁的な態度が疑問視されてきているのですよ。初めは一部の貴族達から不評を買っていたようなのですが、それが段々と他の貴族達にも伝播して、地方貴族達はこの国から独立するのではないかと噂されていますし、王都周辺では何度か暴動も起きていますから、陛下としては、身の危険を感じ始めたと言うところでしょうか」
「そんなにも危ういことになっていたのですか?」
リエールの説明に、クランベルは顔を曇らせた。辺境伯領に逃れてぬくぬくと暮らしている間に、そのようなことが起きていたとは思いもしなかった。
「あなたが気になさることではないですよ。そうなったのは陛下の自業自得です」
元宰相のライアンの目は険しかった。陛下は最大の味方となる人を失ったのだと思った。一瞬、重苦しい空気に包まれたが、それを破るように花壇の隅からひょっこり、愛らしい存在が顔を出した。ふわふわの柔らかい亜麻色の毛をした野ウサギだ。瞳は琥珀色でどことなくコマを思わせた。急に姿を現した小さな存在に驚いたものの、クランベルは破顔した。
「あら。コマに良く似ているわ。おいで」
身を屈めると、円らな瞳を持つウサギは、鼻をヒクヒクさせながら近づいて来た。ライアンが微笑む。
「ウサギは警戒心が強いと言われていますけどね」
「私からコマの匂いでもしたのかしら?」
コマは、クランベルがこの国に嫁いでくる際に、同行してくれた獣人の一人でウサギ獣人だ。庭師として優れていて、辺境伯領でも領主館の庭師と管理人を務めている。野ウサギはクランベルから、仲間の匂いがすると思って近づいて来たのかもしれなかった。ウサギは警戒心が薄れたのか、クランベルの膝に前足を掛けた。その時だった。
「側妃さまがおいでです」
リエールの声が強ばる。自分達が歩いている方向とは逆側から、女性の集団が近づいてくるのが見えた。
集団の一番手前にいる可憐な女性は、銀髪で豪奢な衣装に身を包み、五、六名の女官を引き連れていた。その女性を一目見て、クランベルは間違いないと判断した。イオバ陛下の新しい側妃は、彼女の知るロージだった。
ウサギを抱き上げ頭を下げて、集団が通り過ぎるのを、やり過ごそうとしていたら側妃は足を止めた。
「あら。リエールじゃない? お久しぶり。キミラさまが亡くなってから、塞ぎ込んでいたと聞いているわよ。元気になった?」
「お久しぶりにございます。側妃さま」
クランベルの隣に立つリエールは、不服そうに顔を上げる。その不穏な態度から、早く向こうに行ってくれという気持ちが伝わってきて、クランベルは、頭を下げていて相手に顔が見えてないことを良い事に苦笑した。
「嫌だわ。リエール。あたしのことは以前のようにロージと呼んで。あたしが王宮で保護されていた時は、ロージって名前で呼んでくれていたのに距離を感じるわ」
「そんなわけには参りません。あなた様は陛下の側妃となられました。あの頃とは立場が違います」
「固いのねぇ。もう、そんなところも素敵だけど」
久しぶりに聞いてもイラッとする声音だ。見目の良い男性に媚びるような甘ったるい声。あの頃から彼女は全然変わっていない。何度聞いても不快だと思いながら、ウサギを抱きしめていると「ウサギ?」と、声が上がった。
「リエール。この子は?」
「見習いの侍従です」
「ふ~ん。さっきからウサギの匂いがすると思ったら……。顔をお上げなさい」
面倒な事になったと思って顔を上げると、彼女の視線はクランベルの腕の中に向いていた。唇から不穏な言葉が飛び出した。
「丸々して美味しそう……」
「側妃さま?」
「この子、頂戴」
「はい? あの……。見習いゆえ、側妃さまの側にあげるには問題があるかと」
リエールは慌てて、クランベルの前に立ちはだかって拒もうとした。それを見てロージは笑った。
「嫌だ。侍従じゃなくて、そっちのウサギを所望したいわ。あたしウサギに目がないの」
「ウサギですか? 飼われるのですか?」
ウサギは可愛いけれど、クランベルが抱き上げているのは野ウサギだ。ペットにするには衛生的にどうなのかと思った時だった。
バサリと音がして、ロージが腕を広げていた。両手が翼へと変化する。顔が小さく縮んで鳥となり首が長く伸びた。そして口が黄色く長い嘴へと変わった。
その姿にクランベルは、忘れていたことを思い出した。顔見知りとなったばかりのコマが、自分も獣化が出来たと言ってその姿を見せに来た時、その場にロージも居合わせたのだ。そして今のように変化してみせた。
「キャ──ッ」
「勿論、食べるに決まっているでしょう。なんて美味しそうなの。堪らないわ」
目を爛々と輝かせるロージの背後で、彼女付きだった女官達は、慌てふためきその場から駆け出した。
「ば、化け物──っ」
「側妃さまが──」
「誰か助けて──!」
クランベルはあの日のように、ウサギを抱いたまま、後ろに下がろうとした。腕の中のウサギは、怯えているのか必死にしがみついてくる。
「さあ、そのウサギをこっちに渡しなさい」
「嫌です」
首を横に振るクランベルに対し、ロージは目を三角につり上げた。
「あんた、あたしを誰だと思っているの?あたしはこの国の側妃よ。陛下の次に偉いのよ。そのあたしに逆らおうと言うの?」
「……この子は渡せません」
「生意気ね。そんなあんたはウサギもろとも喰らってやるわっ」
「ご容赦下さい、側妃さま」
「ベルっ」
ロージは怒りの衝動のままにクワッと大きく嘴を開けた。クランベルは咄嗟にウサギを抱きしめてその場にしゃがみ込む。リエールや、ライアンの声が飛んだ。
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