第17話・側妃は空からやってきた
レセッシュ子爵の住む館は、王都の中央よりやや外れた場所にあった。広い庭園の奥まった所に、白い小さな館があった。馬車で玄関前に乗り付け、中へ一歩足を踏み入れれば、数名の使用人達が揃っていた。
出迎えの中に奥方の姿はない。奥方は臨月を迎えた為、実家に帰省中と馬車の中で聞かされていた。使用人の前に立つ執事に子爵は聞いた。
「お帰りなさいませ。旦那さま」
「あの御方はどうしている? 失礼はなかっただろうね?」
「はい。同行された御方と、客間でおくつろぎの後、応接間でお待ち頂いております」
「こちらはブイヤール伯爵さまだ。あの御方に会いに来られた」
子爵は執事に伴ったブイヤール伯爵を紹介すると、応接間へと案内した。子爵に続いてブイヤール伯爵が応接間に入ると、久しぶりに会う人物が待っていた。白髪頭に、額や目の際に深く皺がよった、老齢の元宰相ライアン。ライアンには連れがいた。黒いフードを被った人物がその隣にいた。
「ライアンさま」
「久しぶりだね。リエール。キミラ側妃のこと、お悔やみ申し上げる。こちらは私の連れのベルさまだよ」
「ベルさま……?」
「ベルさまはぜひ、きみに会いたいと言われてね、ここにお連れした」
「ブイヤール伯爵さま。お久しぶりにございます」
そう言ってフードを被っていた女性は、それを取り払った。露わになった顔はもう亡くなったはずの王妃クランベルだった。
「クランベルさま……?」
「この度は、キミラさまを亡くされてどんなに力を落とされたことか……。お気持ちお察し致します」
リエールは顔色を失った。レセッシュ子爵が会わせたいと言っていた相手が、まさか処刑された王妃とは思いもしなかった。何の因果か、毒殺された側妃の兄と、その犯人とされ処刑されたはずの王妃が、顔を会わせる事になろうとは──。
本来なら実妹を毒殺された側として、批難する場面かも知れないが、リエールはそんな気になれなかった。
クランベルが夫の陛下から蔑ろにされてきたのは知っている。彼女には同情していた。彼女と陛下の婚姻は前ロマ陛下の悲願。前ロマ陛下は悪習となっていた因習を改善すべく、この婚姻を結び付けたはずなのに、イオバが戴冠してから横暴が始まり、現状はもっと悪く、以前の形に戻ろうとしている。
それに対し、何も出来ない自分を歯がゆく思っていただけに、彼女が処刑されたと聞き、とんでもないことが起きてしまったと愕然とした。
「生きておられたのですね?」
「ええ。本当なら妹ぎみを亡くされたあなたの前に、こうして姿を見せるのは、避けた方が良かったのかもしれないのだけど」
「いえ、こうしてお会い出来て良かった。あなたさまのことをお救い出来なかったことを不甲斐なく思っておりました。どうぞ、お許し下さい」
「ブイヤール伯爵。あなたが謝ることはありません。あなたは愛する妹ぎみを亡くされて深い悲しみにあったもの。他の事に気を回す余裕がなくて突然です。その事に対し、私は何も思っていません。ただ、あなたには私がキミラさまを毒殺などしてないことだけは、信じて欲しいと思って」
「勿論です。私はあなたさまが妹を毒殺したとは思っておりません。何かの間違いだと、いえ、何者かがあなたさまを冤罪に嵌めたのではないかと、ずっと考えておりました」
リエールは皆が信じているような、王宮側が公布したようにクランベル王妃が、キミラ側妃を妬んで毒殺したとは考えていない。恐らくこの場にいる者達もそう考えているのだろう。
そうでなければ、世間で言うところの被害者の兄と、加害者を引き合わせるような事はしないだろう。
「あなたも私を信じてくれるのね。ありがとう」
クランベルの目に光るものが見えた。ライアンが彼女の肩を抱く。妹の死で屋敷に籠もっていたリエールが全てを知ったのは後日で、噂にしても酷いものだった。彼女の処刑は闘技場で見世物にされたと聞いていた。
「噂には聞きました。闘技場であなたさまの刑が執行されたと。でも、熊が現れて中止になったのですよね? あなたさまは熊に襲われて亡くなったと、公布されておりましたが大丈夫でしたか?」
「大丈夫です。危ないところをライアンさまや、そのお仲間に助けて頂いたので」
「そうでしたか。本当にご無事で良かった」
リセッシュ子爵に椅子に促されて、それぞれ席に着くとライアンが礼を言った。
「リエールにはその後の事など、手紙で知らせてくれるので有り難く思っておりますよ」
「自分に出来ることと言えば、それぐらいしか思い浮かびませんでした。キミラを亡くしてから私は急速に王宮での立場を失い、陛下は側近のグイリオ卿に深く依存するようになってしまいました」
「グイリオ卿はコーニル伯爵家のご子息なのですよね? コーニル伯爵家は昔から、薬学に優れていると聞きます。そのグイリオ卿は幼い頃から、陛下の毒味係としても仕えてきたとか? 王家の毒味係は特殊だと言うのは本当ですか?」
「グイリオ卿が毒味係? クランベルさまはどちらでその話を……?」
「え? それは──」
クランベルから問われて、リエールは戸惑った。そんな話は聞いたことがない。グイリオ卿は幼い頃から陛下の側近として仕えていた。性格は大人しい方であまり目立たない方だ。彼が陛下の毒味係だったとは初めて知った。てっきり他の者が勤めているのだろうと思っていたのだ。
今回、彼の実家が新たな側妃の後見役となるまで、リエールは気にも留めていなかった。クランベルはもしかしたら触れてはいけないことだった? と、ライアンに目線を送る。
黙り込んだリエールに変わり、ライアンが口を聞いた。
「コーニル伯爵家では幼い頃から少量の毒を飲み、毒に体を慣らしていくそうです。その為に何人かの子供が命を落とし、唯一、生き残ったのがグイリオ卿らしいのですが、そのせいもあり髪の色が抜け、今の灰色の髪となったようです」
「……!」
「そのようなこと、初めて聞きました」
それもリエールは、初めて知った情報だった。陛下にグイリオ卿を紹介された時には、すでに彼の髪は灰色をしていた。この屋敷の主人、レセッシュ子爵も驚いていた。
「二人ともここで耳にした事は口外無用で頼みます。あのコーニル伯爵家は、歴代王族の産婆や乳母を務めながら、王家の秘密を握ってきた一族でもあります。その為、前ロマ陛下も無視出来なかった」
「それはもしや……?」
ライアンからの注意で、リエールやレセッシュ子爵は、王家の秘密に触れてしまったのだと気がついた。クランベルが知っていたのは、いずれ王妃となる彼女には教育の一環として、詳細が語られていたせいだ。
「この国は他国に比べ閉鎖的です。だから古からの間違った情報を、少しも疑う事無く貫いてきた部分もある。それがもっとも濃いのが王家なのです。例えば双子は忌むべき者だとか、どこかに障害があるとか、王に似てない色を持って生まれた子や、平民との間に生まれた子等、王家にとって存在していては都合の悪い子供を、密かに始末してきたのがコーニル家と言われています」
「確かに産婆であれば、取り上げた赤子に一番早く触れることになる。でも、王の子供として生まれたのに、害する事が出来るのですか?」
「それがコーニル家には、許されて来たと言うことですよ」
コーニル伯爵家は、王族の子供の生殺与奪権を握っていると言うことだ。恐ろしいと思うリエールらに、ライアンは言った。
「今までの歴代コーニル伯爵家は、あくまでも影の存在に徹してきました。王宮内では権力闘争は付きものですが、それから避けるようにしていた。現当主もそういったことには関心のない御方だったはずですが、今回の側妃の後見役になったと聞いて私も驚いております」
「その心境の変化には何があったのでしょう? あ。でも、ライアンさま。確かご当主さまは病気で寝付いているとも聞きます。そこに関係ありますかね?」
当主が寝付いているのならば、嫡男となるグイリオが密かに動いていると言うことかと、皆が警戒を濃くする。
「うむ。怪しいですね。リエールは何か聞いていますか?」
「いえ。キミラが亡くなってから、急にグイリオ卿が社交界に台頭してきたと言うことと、陛下が側近の中でも彼を特にあてにしていると言うことぐらいで。ただ、陛下が赤い色を極端に恐れていると噂になっているらしく、王宮務めの者から聞きました」
「赤い色?」
「何でもキミラと食事をしていた時に出されたメニューがトマト煮込みの料理だったらしく、それに毒が盛られていてキミラが倒れて、陛下はショックを受けたとか。それ以来、赤い色の食事を恐れているという話です」
「ああ。私も聞いたことがあります。陛下はキミラさまがお亡くなりになられた頃から、極度に食事を恐れているらしく、グイリオ卿か今の側妃さまと一緒でないと、取られないようになったようです。その側妃さまはもしかしたら、コーニル伯爵家の息の掛かった者とか?」
レセッシュ子爵が、リエールと顔を見合わせる。
「分からないな。新しい側妃に関してはこちらで調べても、ある日突然、王宮の中庭に倒れていて、それを通り掛かった陛下が保護したとしか分からなかった。名前はロージ。それ以外、何も覚えてなかったらしい」
本当かどうか分からないが。と、言えば、クランベルが「ロージ?」と、呟く。
「新しい側妃の名前はロージと言うのですか? ブイヤール伯爵。その女性は銀髪にオリーヴ色の瞳の持ち主で、保護欲を買いそうな感じではなかったですか?」
「お知り合いですか? クランベルさま」
「その彼女がもしも、私の知るロージならば、王宮の中庭に倒れていた理由は分かります」
「どういうことですか?」
「ロージは空からやって来たのですよ」
「空?」
「お父さまが言った通りでしたわ」
その言葉に皆が注目した。
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