第16話・裸の王様
「イオ。どう?」
「おお。綺麗だ。ロージ、良く似合うよ」
「お姫さまみたい?」
着飾ったロージは、身に纏ったひらひらとした淡いピンク色のドレスを摘まんでくるりとその場で回る。すると花が咲いたようにドレスの襞が広がった。
それが可憐に見えてイオバは微笑んだ。
「きみは私にとってただ一人のお姫さまさ」
イオバは愛するロージを前に、幸せを噛みしめていた。まるで物語に出てくる王子さまにでもなったような気分だった。
この日、イモーレル王宮では夜会が開催されていた。この一年間、寵妃が亡くなったこともあり、イオバは喪に服す意味で、王宮での夜会を避けてきていた。
その喪が明けての夜会ということもあり、沢山の馬車が王宮に寄せられ、華々しく着飾った貴族達が集ってきていた。
その中で主役は何と言っても新たな側妃となったロージであり、その彼女をエスコートするイオバは晴れ晴れとした顔をしていた。
「ようやくロージを、皆にお披露目する事が出来る」
初めイオバは、ロージを側妃ではなくて、王妃にする予定でいた。乳兄弟のグイリオの協力もあり、彼の父親であるコーニル伯爵の養女にした。キミラ側妃の喪が明けたなら大々的に、彼女とのことを公表しようと考えていたのだ。
ところがそれをロージに話した途端、反対された。いくら自分が、陛下の信頼厚いコーニル伯爵の養女に迎え入れられたとしても、自分は記憶喪失であり素性も知れない女だ。皆が良い気持ちがしないだろう。そしてその事でもし、イオバが批難されたとしたら申し訳ない。
記憶喪失の自分が、この国の王であるイオバに愛されているだけでも身に余る光栄なことなのだ。これ以上の幸せを望んだなら罰が当たる。
自分はイオバの側にいられるだけで良い。これ以上の事は望まないと言った。それがイオバには大変好ましく思えた。
王妃だったクランベルや、寵妃のキミラにはない愛らしさと素直さが新鮮だった。クランベルやキミラは、賢しい口を聞き、イオバを時に苛つかせた。特にキミラは権力を欲していて、クランベルがいる限り、自分が王妃として愛するイオバと並び立つことが出来ないと嘆くから、つい愛している者の弱みで、彼女が望むように、王宮内では彼女を王妃のように遇するように、取り計らってやったのが徒となった。
いつしか生意気な態度を取るようになり、保護したロージとの仲を疑い、見咎めた自分に対して当てつけるように浮気をしたのだから。
ロージは奥ゆかしく、自分を立ててくれる。しかも王妃という立場には興味がなく、イオバだけの愛を求める。
この夜会でも、イオバがたまたま目をやった先に、女性がいただけで、「あたし以外の人を見たら嫌だ」と、嫉妬する。それが可愛らしくて仕方なかった。
こんな女性を自分は求めていたのだ。きっとロージは、自分の為に天界から舞い降りてきた天使に違いない。自分の腕に手を絡めてくる彼女が愛おしくて仕方なかった。
「さあ、ロージ。踊ろう」
ロージの手を引き広間の中央に立つと、王宮お抱えの管弦楽団が円舞曲を奏で始めた。それにあわせてロージと踊り始めると、紳士淑女達も周囲に集ってきた。
「ダンスは得意か?」
「大好きよ。好きな人と踊るのはもっと好き」
イオバの腕の中で、ロージは軽やかに舞った。イオバは彼女の言葉に気を良くする。周囲もイオバ達を微笑ましく見守っているようだ。
政略結婚で嫁いで来た王妃の手によって、若き王は最愛を亡くした。この場でのイオバは悲劇の王だ。
政略結婚相手が寵妃を毒殺し、王は王妃を処刑するに至った。その心痛はいかばかりかと、この場にいる貴族達は思っているはず。
この国の王として後継を成さなければならないイオバは、いつまでも亡くした側妃の為に心を痛めているわけにはいかない。悲しみに打ちひしがれる王の心に寄り添い、前向きにさせてくれたロージの存在は大きい。
銀髪に深い緑色の瞳を持つ彼女は、可憐で心優しい。そんな彼女が新たな側妃となる。どことなく儚げでか弱そうな彼女に皆が魅了されているようだった。参加している貴族達からは批難の声は上がらなかった。新しい側妃の誕生に皆が賛同してくれているようだった。
しかし、中にはそれを快く思わない者もいた。亡き側妃キミラの肉親や親族達だ。その者らに対しての配慮にイオバは掛けていた。そういったことは側近のグイリオに任せておけば大丈夫だと思い込み、自分からは何かする気はなかった。
その為、彼らが内心、どう思っていようが気にしてなかったのである。
キミラ妃とは付き合いが長く、彼女に片思いをしていたイオバは、彼女を何とか振り向かせようと、彼女の兄まで使って協力させていたというのに、今はロージに夢中になっていて、自分が強く望み、側妃にしたキミラの事など、すっかり忘れ去っていた。
キミラの実兄であるブイヤール伯爵のリエールは、苦々しい思いで、コーニル伯爵に取り入る者達を遠巻きに見ていた。彼は妹と外見が良く似ていた。金髪に碧眼で切れ長の瞳の持ち主で、妹が側妃で陛下の寵愛を受けていた頃は、女性達に言い寄られることもしばしばあったが、本人がそういった女性を嫌った為、拒んできた。
妹のキミラは向上心が強かった。才女でシオーマ帝国に留学経験があり、祖母の伝手で王族の屋敷で女官を勤めた経験もあった。その経験を買われて帰国後は、イモーレル王宮でも女官を務めていた。それを当時王太子だったイオバが見初めたのだ。
キミラは初め、イオバには全く関心がなかった。キミラはそれよりも女官としての仕事に誇りを持ち、常にプライベートよりも仕事を優先させるような生活を送ってきていた。それをブイヤールの協力の下、熱心に口説き落としたのがイオバだった。
イオバの熱意が妹に伝わって、正式な側妃となり6年。二人は仲が良く、その後も妹の幸せは続くと信じていた矢先の突然の死。死因は毒殺。側妃は王族の墓には入れないので遺体を実家で引き取り、妹の死にショックを受けながらも、葬儀をしめやかに行い、深い悲しみにくれていたせいか、王宮内の変化に気付くのが遅れた。
王宮からはお悔やみの手紙は届いたが、それも陛下の直筆では無く、誰かに書かせた物だった。
あれほど妹に傾倒していた陛下の対応とは思いがたく、問い合わせれば、妹は浮気をしていたのだと言う。陛下からその事を許しがたく思っていると聞かされて、打ちのめされていたら、妹を毒殺した犯人として、王妃が処刑されたと後日知らせが入った。
──王妃が妹を毒殺?──
リエールには、信じがたかった。婚礼の席でクランベルを一度だけ見たことがあるが、彼女は見た目冷たそうな冴える美貌の妹とは真逆の、柔和で清楚なお嬢さまという感じで、誰の目から見ても大変好ましく思えるような外見をしていた。
そのクランベルを、前ロマ陛下の遺言により、押付けられた妻としか思ってなかったイオバは、彼女を邪険に扱っていたが、参列していた人々は彼女を気の毒に思っていたくらいだ。その彼女が、陛下の寵愛を受けているキミラが目障りで毒殺した?
──そんなはずはない──
キミラは側妃になるにあたって、元宰相と密約を交わしていた。前ロマ陛下には許されなかった彼女の存在を、元宰相だったライアンは、ある事に妹も協力する事を約束に、公に彼女の存在を認めさせたのだ。
ライアンがいなかったら、側妃としてキミラは認められなかったと言っても良い。イオバは自分の一言で、彼女が側妃として、重臣らに認められたと思い込んでいるが違う。ライアンが根回しをしていたのだ。
その事によりキミラは、自分が望んでいた政務に王妃の代わりとして関わることが出来た。そしてそれはライアンにとっても、王妃を守る為に都合が良かった。
その事を良く知るリエールだからこそ、クランベル王妃は冤罪を掛けられたに違いないと思った。
不審を覚えて配下に調べさせると、キミラと陛下の仲が最近揺らぎ始めていた事が分かった。その原因となったのは、どこからともなく現れた記憶喪失の女。
キミラはその女を怪しく思い、何度か陛下に忠告したが、それを嫉妬していると誤解され、そのうち口うるさく思われて遠ざけられていた矢先、珍しく会食に招かれて同席した所で、食事に毒を盛られて殺害されたらしかった。
それに対して陛下は、「王妃がやったに違いない!」と、叫んだらしいが、その現場から考えれば一番、怪しい人物は陛下だ。今までキミラを避けていたのに食事に招いた。その食事に毒が盛られていたとなれば、陛下に命じられて、使用人の誰かが盛ったとも考えられるし、自分が疑われないように、「王妃がやったに違いない!」と、他の者に疑いの目を向けさせたとも考えられる。
陛下の一声で、王妃が犯人とされてしまったが、どう考えても離宮に住む王妃が、側妃の食事に毒を盛るには無理がある。
王妃は陛下を始め、王宮の者達に嫌われていた。陛下は王妃が誰かに命じて毒を盛った等と言い張っていたようだが、王宮内にその王妃の命を聞く使用人がいるはずがない。しかも毒を盛ったとされる使用人の追求は曖昧で証人も無く、捜査の方は、王妃が犯人と断定されるに終わったようだ。
葬儀の後、陛下はリエールに、「キミラが浮気していた、可愛さ余って憎さ100倍の思いだ」等と語っていたが、それは本当のことかどうか怪しく思えてくる。最近の陛下はどこかおかしい。病的なほど異様な肌の白さと言い、短気になりがちで癇癪を起こしやすいとも聞く。
リエールが出仕しなくなった王宮では、いま陛下の乳兄弟であるグイリオ卿が台頭してきている。素性の知れない女を、彼の義妹とした背景には、何か思惑がありそうな気がしてならなかった。
今となっては元宰相のライアンや、妹のキミラがいた頃が懐かしい。
リエールは、元宰相であるライアンを妹、共々慕っていた。父親がライアンと交流があり、ライアンが宰相職に就く前に一時、ブイヤール伯爵家で家庭教師をしてもらっていた縁があった。その時に幼いキミラも引き合わされて、共にライアンから教育を受けた事があったのだ。
そのライアンも今では、陛下から辞職を促されて領地に引っ込んでしまっている。
王宮にライアンや、キミラがいた頃はまだ、王宮内の統制が取れていた。陛下には最後の裁断を仰ぐようにしていたので、様々な問題に関しては各部署でその道に優れた者に任されてきていたのだ。
それが今では一度陛下の元にあげ、陛下が興味を惹いた案件のみ許可が申請されることになった。つまり陛下が必要ないと判断すれば、どんなに現状で必要性があるか説いても、陛下の許可が下りない限り諦めるしかなくなった。
しかも、陛下はその内容を理解出来ずに、専門用語など出てくると、「自分を馬鹿にしているのか?」と言って許可を出さない。その事で現場が混乱しているらしかった。
リ
エールは妹が亡くなった事で実質上、権力からは遠のいた。その自分には何も出来る気がしない。せめてライアンに今の王宮の現状を、定期的に知らせるぐらいが関の山だった。
広間の中央では、悲劇の王ぶる滑稽な男と、それを救った健気な女性ぶった側妃が、クルクルと踊る。側近グイリオの音頭で。
周囲の者達の内心、呆れた様子など何も気がつきはしないのだろう。心の中を顔に表すほど貴族という者は、柔な教育は受けていない。
誰もが口では賞賛しながらも、この国の先を憂いている。それに気がつかないのは恐らく陛下のみ。陛下が心を許しているロージとか言う女は、陛下の好む女性像を演じているだけ。それを恐らく指示しているのはグイリオで間違いないだろう。
イオバは自ら味方となるべき者を遠ざけてしまった。いつかはその事が、自分の首を絞めることに繋がるとは思いもしないで。
目を閉じれば、昨日の事のように妹のキミラと、陛下が政務について語り合い、仲睦まじく目線を交わしあうのを思い出せるのに、それを思うと空しかった。
踵を返し、大広間から抜けて廊下に出た時だった。一人の男に呼び止められた。
「ブイヤール伯爵さま。お帰りですか?」
「レセッシュ子爵」
「妹ぎみのこと、お悔やみ申し上げます」
かつて元宰相ライアンの元で、仕事を切磋琢磨しあった仲間の一人がいた。彼の言葉に、誰からもそのような言葉一つもらってないことに気がつく。陛下からも無かった。ため息が漏れた。
「王宮内も随分と変わったものだな」
「あなたが妹ぎみの喪に服している間に、コーニル伯爵派が全体を把握しましたからね」
「だからか。うちの者達がコーニル伯爵の縁戚の者達に、閑職へ追いやられたと零していたな」
「ライアンさまに扱かれてきた、僕達のような者達にはやりにくくなりましたよ。キミラ側妃さまがおられた頃はこんな事はなかったのに……」
自分達の意見が通らなくなったと彼は零した。キミラ側妃がいた頃は良かったと。
「これでは先々代の王の頃のような、独裁政治に戻ってしまいそうですね。ロマ前陛下が、せっかく臣下の言葉に耳を傾けて下さっていたと言うのに残念でなりません」
「……そうだな」
「ところでこの後、ブイヤール伯爵さまはご予定がありますか?」
「いや。特には無いが」
「ではもし、良かったら我が家にお越し頂けませんか?あるお客さまをご紹介したいのです」
「私で良いのかい?」
「あなたさまだから良いのですよ」
陛下の覚えめでたい時ならまだしも、今では王宮の勢力からも遠のいた。そんな自分に会って相手の者が得することは無い。会うだけ無駄では無いかと思ったのに、レセッシュ子爵に連れられて彼の屋敷に向かうことになった。
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