第13話・執事のバンと出会った日



「お嬢さまっ。お嬢さま──!」

「お嬢さま、どちらですか? いたらお返事をして下さいっ」


 煉瓦通りのパン屋の脇道に入り込んだクランベルは、自分を探す乳母や護衛をやり過ごし、やれやれと表通りに姿を見せた。


「お返事したら見つかっちゃうじゃない。そんなことしないわ」


 彼女は富豪貴族ミデッチ家の一人娘。父や祖父母らに溺愛されている。常に一人にならないように、誰かが必ず側についていた。でも、彼女にとっては、それは監視されているように思えて息が詰まってならなかった。


 今日は乳母に連れられて、街に買い物に出ていた。その隙を突いて、以前からしてみたかった、一人で散策をしてみようと思い立ったのだ。

 乳母達はまさかクランベルが衣服店を出た瞬間、いきなり走り出すとは思いもせずに焦って後を追った。7歳のクランベルは、淑女教育も始まっていたので、人前で走るなんて予想外だったのだ。


 彼らを巻いたクランベルは、自分の計画が思ったよりも上手くいったとホクホク顔で、まずはしてみたかった買い食いに挑戦することにした。乳母に見つかったら行儀が悪いと叱られそうだが。

 先ほどから温かな湯気を立てている焼き芋売りに近づくと、一本買って齧り付いた。そこへ横から声をかけられた。


「お嬢ちゃん、どこの子だい?」

「おじさん誰?」

「迷子かな? お家まで送ってあげようか?」

「結構よ。一人で帰れるわ」


 薄汚い装いの中年男性が、クランベルに笑いかけてきた。その笑みは何だか気持ち悪かった。


「お嬢ちゃんみたいな子がこんなところに一人でいたら危ないよ。こっちにおいで」


 腕を強く掴まれてクランベルは抗った。焼き芋が手から落ちた。勿体ないと拾う間もなく腕を強く引かれる。


「嫌、止めて。離してっ」

「大きな声をあげるなよ。こっちへ来い」


 大通りを歩く人々に注目されそうになって、男は裏道へクランベルを連れ込んだ。見た目からいっても怪しげな男で、変な男に目を付けられたとクランベルは怖くなった。


「誰か──っ たす……!」


 助けを求めようとしたら、男の手で口元を塞がれた。


「騒ぐなよ。騒いだら殺す」


 物騒なことを男は言い出した。男の腕から逃れようにも、子供である自分は非力で男の拘束から逃れそうにもなかった。


「大人しくしていてくれれば、命までは奪いはしない」

「嫌だ。やだ、誰か助けて……」


 震えるクランベルに「誰も気がつきやしないよ」と、男はせせり笑う。


「良いとこのお嬢ちゃんみたいだが、護衛から離れたのが運の尽きだったな。だからおじちゃんみたいな悪い男に目を付けられるのさ」

「誰か──」


 7歳のクランベルでも、この男がこれからしようとしているのは、良いことではないと察しがついた。男が自分のドレスに手を触れた時、思い切り男の手に噛みつく。


「痛ててっ。こいつ──っ」


 男が怯んだ隙に逃げ出そうとしたのを、再び腕を掴まれた。


「嫌だ──っ。離してっ。離してってば──」


 命の危機を感じたせいか、思ったよりも大きな声が出た。


「黙れ! 殺すぞ」

「おまえ、そこで何している?」


 そこへ少年の声が響いた。濃紺の髪の少年は男とクランベルの間に、立ちはだかった。黄ばんだシャツにサスペンダー付きのズボン。けして身なりは良いと言えないが、彼の顔立ちは整っていて、品が良く感じた。少年の頭には縦長の耳があった。


「おまえ、獣人の餓鬼か」


 男は少年に凄んで見せたが、少年はにやりと笑った。それが自信に満ちているようにクランベルには感じられた。


「おっさん、いま憲兵を呼んだからな。すぐにこっちに来るってよ」

「な、なに──?」

「あ、こっちです。こっち、こっち」


 少年が表通りに向けて手を振ってみせると、男は慌てて反対側へと逃げ出した。


「くそっ。覚えていろよ」

「へへん。憲兵なんて嘘っぱちなのに」


 男が去るのを見送ってから、少年は得意そうに言った。それを見てクランベルは可笑しく思った。少年の瞳は宝石のようにキラキラ輝いて見えた。


「助けてくれてありがとう。私はクランベルよ。あなたは?」

「オレはバンクライン。皆にはバンって呼ばれている。きみのような子がこんな所にいてはいけないよ。お家はどこ? 付き添いの人はいないの?」

「家はミデッチ家よ。お供は巻いて来たからどこ行ったか分からない」

「ミデッチ家……!」


 少年は目を見開いた。その反応が気になったけれど、クランベルはその後に続いた少年の言葉に頷いた。


「そっか。じゃあ、僕のところにくる? シスターからお家の人に連絡をしてもらおう」


 そう言いながら少年は、ズボンに何度か自分の手を擦ってから手を差し出して来た。その手は荒れてゴツゴツしていたけど嫌とは思わなかった。


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