第3話・処刑当日








  処刑当日。皮肉にも空は澄み渡っていた。

クランベルは、ヨワーゴ配下の者に引き立てられて、野外円形闘技場の中央に設置された、処刑台がある舞台へとやって来た。そこには罪人の首を切り落とすための、ギロチンと呼ばれる斬首刑の執行装置が用意されている。


 ここは老婆の話しにあった、獣人奴隷の闘技が行われていた血塗られた場所。ロマ前陛下により閉鎖されていたはずの闘技場は、奇しくも王妃クランベルの処刑の場として、現国王陛下の命により特別開放されたのだ。

 円形闘技場の客席は、すでに大勢のイモーレル人で埋まっている。罪人クランベルが姿を見せたことで一斉に会場が沸いた。



──まるで見世物ね──



 客席は異様なほどの熱気に包まれた。一度も公の場に姿を見せたことがない王妃。その彼女を一目見ようと特権階級者を始めとした、大勢の国民達が集まってきていたからだ。ワーという歓声に、昨日牢番である老婆から聞いた言葉が脳裏に蘇ってきた。



──奴らは死や流血が好きだ。この国は狂っている──



こちらに向けられる無数の目。それは好奇に満ちていて、ギロチンで首を刎ねられる王妃の死に様を、今か今かと心待ちにしているかに見えた。気味が悪かった。


「クランベル! 待ちかねたぞっ」


 クランベルが後ろ手に縛られて登場するなり、高台の中央客席から若い男性の声があがる。立ち上がった全身黒尽くめの男は、この国の王イオバだった。


「皆のもの。静まれぃ! これより悪女クランベルの処刑を執り行う。罪状を読み上げよっ」


 数年ぶりに見た夫のイオバは、以前と変わりないように見えた。深い闇を思わせるような緑髪に、黒くくすんだ緑色の冷たい双眸。やや神経質すぎる面があり、体付きは痩せ型。そのせいか肌が異様に白く見える。それは着ている服装の影響かも知れない。帽子や、上着やスラクスを始め、身に纏うマントさえも真っ黒。寵妃キミラの死を悼んでいるような装いだった。


 病的なほど肌が色白く感じられる彼は、手を挙げ意気揚々と声を張り上げた。その陛下の声に、観衆が静まり返った。静寂に包まれた闘技場にて、イオバに促されたヨワーゴが、仰々しくクランベルの罪状を記した書類を掲げ持ち、皆の前で声高々に読み上げていく。


 ヨワーゴが語ったものによると、強欲なミデッチ家貴族令嬢クランベルは、この国の王妃の座を求め、多額の持参金をちらつかせて今は亡き前陛下に、イオバ陛下との婚姻を認めさせた。


 婚姻後は、用が済んだとばかりに、お気に入りの侍従らを侍らせ離宮に引きこもった。

 王妃としての義務や、執務は面倒だと怠り、側妃に丸投げで、側妃の評判が王宮で良くなってくると、自分の立場がないとばかりに激高し、今回の毒殺を企んだ。

などと、一切、身に覚えのない事がつらつらと述べられていく。


 死人に口なしとは言え、今は亡きロマ前陛下の名前を持ち出し、自分達の婚姻は、前陛下がお金に屈したゆえの婚姻だったなどと、死者を貶めるような事がよく言えたものだと呆れてしまう。


 今までイオバは誤解しているのだと思っていた。誰かに唆されて、寵妃を毒殺したのはクランベルではないかと信じ込まされているのではないかと。

 そうでもなければこのように、クランベルの言い分も聞かず一方的にえん罪をきせて、処刑などするはずがないと思っていた。だが違うようだ。


 イオバと目が合うと、嘲るような笑みが返ってきた。それが気になった。彼の溺愛していた寵妃が亡くなって激高する気持ちは良く分かる。でも、それにしては手際が良すぎるのだ。


 処刑されると聞いたのは、牢屋に連れて来られた三日前のこと。この闘技場に集まった民衆からして、一日や二日でこんなに人が集まるはずがない。これは事前に周知がされていたのではないかと疑いたくなる。

 後ろ手に縛られている体を前に押し倒されて、思わず心の声が漏れた。


「私は何もしてない」

「黙れ。罪人」


 処刑人には最後の足掻きのように思われたようだ。冷めたい声が返ってくる。処刑人の手によって、断頭台に身を横たわらせたことで、観客席が一層、騒がしくなった。


「信じてっ。私は無実よ」


 悲しくも無罪だと主張する声は、誰の耳にも届かない。処刑人でさえ、余計な事を言うなと睨みつけてくるばかり。悔しさに涙が滲んでくると、非情にも観客席から興奮する声が上がった。


「早くその首を切りおとせ!」


 反論しても無駄だった。誰もクランベルの無罪を信じてはくれない。陛下の言葉を信じて、悪女を生かしておくのはこの国の為にならない。殺せと叫んでいた。

彼らは異常だ。処刑を催し事のようにしか考えていない。人の命の重さなどまるで感じられない声だった。


 目を閉じれば走馬灯のように今までの日々が思い出された。おまえはイモーレル国に嫁ぐ身。甘えは許されないのだと、父や祖父から我慢することを覚えさせられ、厳しく養育されてきた。


 でも、いつかはこの苦労も報われる日が来るのだと、イモーレル国へ嫁ぐ日を指折り数え、夫となる人物に会えることだけを楽しみにしてきた。

 イモーレル国の王太子は、家族を病で失い、大伯父である陛下の保護の下、育ってきたと聞いている。彼も次期王になる為に厳しく養育されていると、祖父らが言っていた。この辛く厳しい教育を乗り越えた彼ならば、きっとお互い分かり合えるはずと思っていた。それなのにはるばる海を越えて嫁いできてみれば、相手には嫌われてしまった。


 そして現在、その夫に死を望まれている。


 誰にも信じてもらえない辛さに涙がこみ上げてくると、ふいに執事のバンの姿が脳裏に蘇った。今まで困難に見舞われると、必ず彼が駆けつけて助けてくれた。



──バン…… ──



 心の中で麗しい執事の彼を思い浮かべ、これで最期かと、諦めた時だった。隣にずさりと何かが落ちたような音がした。それと同時に「キャ──ッ」と、言う悲鳴が聞こえた。そして辺りがどんどん騒がしくなっていく。


「うわああああっ」

「こっちくるなぁああっ」

「いやあああっ」


 辺りの騒々しさに、何が起きているのかと目を開ければ、正面の中央席から青ざめて立ち上がるイオバの姿が見えた。その後ろにヨワーゴがいる。彼らは慌ててその場から離れようとしていた。観客席も同様で、皆が我先にと席から立ち上がり、出口へと殺到するのが見えた。その後ろを黒い巨大な生き物が追い掛けていく。


「わああああっ」

「どけ、どけっ。邪魔だっ」

「陛下が先だ。先にお通ししろっ」

「嫌だっ。こっち来ないで」

「うわああ。あっち行け──」


 逃げ惑う人間をあざ笑うかのように、数頭の大熊が現れて追いかけている。恐らく野生の熊だろう。閉鎖されていた闘技場が開放されたことで、闘技場に染みついている古の血の匂いが風に乗り、鼻の良い彼らを呼び寄せたのだろうか?

 熊は人里離れた山に住むと聞いているし、滅多に人間の多い場所には姿を見せないと聞いていたが、その熊が闘技場に姿を見せ、観客達を追いかけ回していた。


 傍から見れば、熊に遊ばれているようにも見えるが、熊に追い掛けられている者達は、一刻も早くこの場から逃げ出したいと必死な様子だった。

誰もがみな、大熊から逃げることが最優先で、これから実行されようとしていた、悪女クランベルの処刑のことなど忘れ去ってしまったかのようだ。


 今の隙に逃げ出そうと、身を起こそうとしたものの、手が縛られているので、すんなりと起き上がることが出来ない。もがいていると体が急にぐいっと後ろに引かれた。ギロチン台から離れられた。

 その途端、後ろ手に縛られていた縄も、刃物のような物でぷつりと切られて解放される。誰かが助けてくれたらしい。ありがとうと振り返ったクランベルの目に映ったのは、二足歩行をして両手を挙げている巨大熊だった。



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