第35話
2人は一体何が起きているのか、これから自分たちに何が降りかかるのかまるで頭が追いつかなかった。訳が分からないという風に、2人はポカンと口を開きながらお互い目を合わせた。
「嘘だろ。だってさっき僕らはあそこから降りてきたんじゃないか」
「じゃあ、マチアス様は?どうやってここまで来るの?」
2人が混乱している間にも、コリンヌと子供は一心不乱に前方へ走っていく。子供とコリンヌが走る先はいくら見渡しても果てというものが見当たらず、海の水平線を見ているかのように延々と似たような野原の景色が続くばかりだった。
「コリンヌ、待ってくれ!」
ジュリアンがどんなに叫んでも、コリンヌは振り返りもしなかった。ジュリアンは自分の手と服を掴むポレットの両手を優しくほどき、彼女の目を真直ぐに見て言った。
「ポレット、僕はコリンヌを追いかけるよ。君はここでマチアスを待っていてくれないかな?」
「えっ、わたし一人で?」
「ごめん!」
ジュリアンは一言そう言い、コリンヌの方向めがけて走っていった。置いてけぼりにされ暫く呆然と立ち尽くすポレット。
(な、なによ。そりゃブラコンのお姉さんが大事なのは分かるけどさ。女の子を一人で置いていくなんて……)
自分よりもコリンヌを優先されたことにちょっぴりショックを受けたポレット。訳の分からない状況下での心細さも手伝い、寂しさと嫉妬心が彼女のハートをチクチクと刺した。
(べ、別にあいつに置いてきぼりにされたから寂しいとかじゃなくて……。レディファーストとしてどうなのよってだけなんだから!ふん、いいわよ。勝手にお姉さんを選びなさいよ。考えてみれば、愛しのマチアス様と2人きりになれる絶好の機会じゃないの!)
負け惜しみのようなプラス思考が、マチアスへの敬慕の情へと転化ていく。
(うふふ、穴が塞がっていようが駆け付けてくれるのがマチアス様よ。どっかの誰かさんと違ってね。ああ、これで久々にマチアス様と2人っきりになれるわ……)
ポレットはそう言ってマチアスと2人きりのデートの妄想を楽しみ始めた。ロエベ通りのラ・パホンテ-ズ(学校帰りに友人とよく行く庶民的なカフェ)で、マチアスとアベックストローでフロートを飲み合うシーン。マチアスが映画鑑賞の最中にそっとポレットの手を握るシーン。陽光の差す並木道で、ベビーカーを引きながらジュリアンと並んで歩くシーン。…………ジュリアン?
(ななな、なんでここであんたが出てくるのよ!)
目を瞑り頭をぶんぶんと大袈裟に振って頭の中のイメージを振り払ったポレット。霧のように散ったロマンチックな妄想の代わりに湧き上がってきたのは、何も悪くないジュリアンに対する理不尽過ぎる怒りだった。
(あんたってやつは、私の密かな楽しみに入り込んでまでマチアス様との仲を邪魔したいのね……私を置いてきぼりにした挙句にこの仕打ち……もう許さないんだから!)
彼女は穴が塞がった場所をちらりと見遣り、ボソリと呟いた。
「マチアス様、ごめんね。あのバカに一言いわなきゃ私の気が収まらないの」
ポレットはそう言って舌を出しながらニコッと笑い、今度はきっとした表情で前方を向いた。
「ジュリアン、覚悟しなさいよ!」
彼女はそう言い終わるや、体を前傾姿勢にして大きく息を吸い込んだ。そして、一気にスタートダッシュをするや、ジュリアンめがけて弾丸のように風を切り裂いていった。
◇◇◇
花々や草木の生い茂る空間が無限に続く中、コリンヌの手を引きながらボロをまとった子供は、追いかけてくるジュリアンをちらちらと振り返りながら走り続けていた。しかしボロをまとった子供はどう見ても6-7歳程度で走るスピードはたかが知れていた。ジュリアンは2人にあと数メートルのところまで追いついた。
「はあっ、はあっ、もう少しで追いつくぞ……」
すると、後ろからタタタタタタッ……という駆け足にしてはやたらと間隔の短い足踏みが後ろから聞こえてきた。その音は急速に大きくなっていく。
「な、なんだあ?」
ジュリアンが後ろを振り返ると、ポレットが凄まじい勢い、凄まじい形相でこちらに向かっている。
「ポ、ポレット?」
「ジューーーーリアーーーーーーーーン!待ちなさーーーーーーい!」
(す、すごい……まるでチーターだ。でも何で怒ってるんだ?)
何が何やら理解が追いつかないジュリアン。そしてポレットの鬼の形相と弾丸のようなスピードは子供の目にも入ったようで、その子は恐怖の表情を浮かべながらコリンヌに向かって何かを叫んだ。
「×〇〇×◆□×!」
2人は急に右方向へ転換した。ジュリアンが慌てて右方向を向くと、その先の野原の風景はいつの間にか崖の切り立つどこまでも広がる空洞の光景へと切り替わっていた。
「嘘だろ……ついさっきまで丘陵があったのに」
子供はコリンヌの手を引いたまま崖に向かい、2人はそのまま何もない空間に向けて大きくジャンプをした。ジュリアンは咄嗟に叫んだ。
「コリンヌ!」
「ジュリアン!」
叫んだ直後のジュリアンにポレットがラグビーのタックルのように下半身を掴み、2人はそのまま地面に倒れ込んだ。
「ジューーーーリアーーーーーーーン!あんた、私に恥を掻かせるだけじゃ飽き足らず、私の心にまで土足で入り込む真似までして……」
ジタバタと体をもつれ合わせながらなんとか立ち上がろうとするジュリアン。
「ポレット、離してくれよ!コリンヌが、コリンヌが……」
ジュリアンはそう言いながら急に崖に切り替わった地形の方向を指さした。ポレットは不満げな表情をしながら渋々その方向を見た直後、目が点になってしまった。
「へ?」
ジュリアンはその様子を訝し気に見ながら、ポレットの掴む力が緩んだことを確認してもそもそと上半身を起こし、ポレットの視線の先と同じ方向を見た。その先にはあり得ない光景が映し出されていた。
「空中を、走っている……?」
子供とコリンヌは崖に落ちていなかった。まるで崖の先の空洞など存在しないかのように、ある一点の方向に向かって、階段を駆け上がるように空中の上へ上へと移動していった。そしてその先には、両開き式の小さな石扉がいつのまにか表れていた。
◇◇◇
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