第31話

「魔女の……フィオーネ?」

「マルム北部のマルヴの森に住んでいたと伝えられている神話上の人物よ。彼女の森に迷い込んだ者たちは、その命と引き換えに未練の情がある死者の姿を再び目にできたというわ」

「マルヴの森?」

「ええ、マルムの地名はここから取られたの」


 ポレットは改めて壁画の女性を見た。


(この人が……魔女?)


 ポレットの目に映されたのは、おおよそ魔女という禍々しいイメージとはかけ離れてる儚げで美しい女性だった。その単純な線と淡く優しい色使いで表現された恍惚とした表情は何時間でも眺めていられそうだった。乱痴気騒ぎを起こしているように見えなくもない神々や半神半獣たちを引き連れながら水晶を掲げ笑みを浮かべる彼女は、まるで愚者をこの世あらざる何処かに導く聖者のようだ。


「魔女ってさ、先っぽが折れ曲がった三角帽子を被って黒紫のドレスを着たお婆さんじゃないの?」

ほうきに乗ったイメージは魔女が異端とされた中世以来のものよ。文献を見る限り、古代ジュネの魔女はシャーマンや巫女のイメージに近いわね」


 マチアスがコリンヌの説明に言い添えるかのように解説した。


「ただし歴史学者の間でも、魔女フィオーネが古代世界で神聖視されていたか異端視されていたかは議論の分かれるところです。彼女は古代でも、もしかしたら中世の魔女に近いネガティブなイメージで捉えられていたのかもしれません」

「ネガティブなイメージ?どんな?」

「死者を蘇らせ、生きている者の魂を奪い取るという伝説から、死神だと言い伝えている古記録もあるのです」


 死神……、魔女以上にそぐわない異名だ。ポレットはフィオーネの壁画が漂わせる神聖さと恐ろしいそれらの呼び名のギャップに増々ますます混乱してきた。


「でもでも、天使のような翼まで付けているし。こんなに綺麗な人だし……」


(それに……こんなに優しそうな顔をしているんだもの。聖母マリア様だってこんな表情はできないわ)


 ポレットにはふと、フィオーネが誰かに似ているという思いが浮かんだ。それは容姿でもなく、雰囲気でもない。絵から伝わるインプレッションがその人の魂の色や香りにピタリと一致したのだ。とても近しい人のはずなのに、しかしそれが誰かを思い出すことができない。モヤモヤを抱えた彼女にある疑問が浮かんだ。


「神話では森に迷い込んだ人は死んじゃうんでしょ?ならその死者に会えるっていう噂も森の外に伝えようがないじゃない。きっとこの人の美しさに嫉妬した連中の悪質なデマじゃない?まあ神話にこんなこと言っても仕方ないけれど」


 コリンヌがマチアスに代わって答えた。


「これはジュネ神話の正典にはないエピソードだけれども、森に迷い込んだある旅商人たちの一部が生還したと伝えられているわ。理由までは書いていなかったけれど、彼女が命を奪わずにそのまま森の外に返した者達もいたってことになるわね。外典によると、生き残った者たちの一部がフィオーネの存在を外の世界に広めたことになっているの」


 コリンヌは疲れたようにため息をついた。


「まあ何千年も前の他愛のない昔噺の1つよ。フィオーネも実在の人物ではなくて想像上の産物でしょう。それよりも……」


 コリンヌは腰に両手の甲を当てながら見下ろすようにポレットを見た。


「子供はどこに居るのかしら、マドモアゼル・ポレット?」


 その視線により、夢から醒めたような表情で辺りをキョロキョロするポレット。


(あ、やべ……すっかり忘れてたけど……)


 当然子供どころか4人以外の人影はどこにも見当たらない。


(そんな……確かにこの目で見たのに……)


 その時ジュリアンが何かに気付いたように行き止まりの壁の方を指さした。


「ねえ、あれなんだろう?」


 3人はジュリアンが指さした方を一斉に向き、驚きの表情を浮かべた。淡い燭台の光が薄っすらと照らし出しすその影が、赤と青に光る目を4人に向けていたのだ。ポレットの言う通り、ボロボロの服を身にまとった子供だった。コリンヌは口を押えてその子供を見た。


「うそ……、本当に子供だわ。どこかから迷い込んだのかしら……」


 マチアスの子供を見る視線はどこか訝し気だ。


(この子も女神像を登ってここに来たということか?もしや警備が警戒していた盗掘者の子供か?)


「ほらあ、言った通りじゃない!」


 腰に両手を当てて顎を上げたポレットが勝ち誇ったように言った。しかしジュリアンの子供を差す指がわなわなと震え始めた。


「み、みんな、あの子、体が透けてるよ……」


 ポレットは勝ち誇った表情のまま心拍数が一気に上昇し、その顔がみるみる青ざめていった。そして、震える眼球をゆっくりとその子供に向けていき、その姿が目に入った瞬間、ポレットは絶叫を発した。


「んきゃあああああああああ!!!」


 そのままふらふらとへたり込んしまったポレット。子供がゆっくりとこっちに向かってくる。


「い、いやあああ!来ないでえぇー!」


 縮こまり、目を瞑り、両手を頭の上に載せながら叫ぶポレット。しかし子供が向かった先はポレットではなくコリンヌだった。その子供は不揃いな髪の毛から覗かせる邪気のない眼を呆然と立つコリンヌに向けた。


「あ、あの……」


 子供は戸惑うコリンヌの背中に半透明の両手を回して抱き着いた。


「●×△〇…………」


 その子供が聞き慣れない言葉を発した後、コリンヌはまるで子供が言っていることを理解したかのように小さく頷いた。


「●△〇△△〇×××!」


 子供はコリンヌの体から手を離した後に何かを叫び、行き止まりの壁に走っていった。そして3つの穴の一番左に足を掛け、そのまま滑り落ちていった。


「待って!」


 コリンヌが子供の後を追い穴に向かって走り始めた。


「コリンヌ、行っちゃだめだ!」

「コリンヌ様!」


 ジュリアンとマチアスの掛け声も虚しく、彼女は一番左の穴に足を掛け、そのまま滑り落ちていった。


◇◇◇

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