第20話
彼のきっぱりとした口調にコリンヌは眉をピクリと動かした。コリンヌは明らかに気を悪くした様子だが、マチアスは一歩も引く気がないようだ。
「入口が高い場所にあるからだけではありません。第2ルートに失敗した試練者たちの末路はご存知でしょう?」
「あら、マチアス。当家の使用人が主人に逆らうつもり?」
「私はジョゼット様の秘書です。コリンヌ様の
無言で対峙する二人の視線の間に激しい火花が散る。そんなピリピリとした雰囲気の中、ポレットがジュリアンにひそひそと耳打ちをした。
「そんなにやばいの?そのルート」
「うん、なにせ200年以上の長い歴史で第2ルートを選んだ者はたったの4人だけだからね」
「200年以上でたったの4人って……」
「4人のうち3人はアポリネール家の長い歴史でも指折りの子供たちだったらしいけど、その3人が手ぶらで帰ってきたんだ。そのうえ失敗した彼らには悲惨な末路が待っていたのさ。先代たちのほとんどが第2ルートを敬遠したのも無理はないよ」
「悲惨な末路?」
「一人はギャンブルで一族のお金を使い込んでそのままホームレスに転落。もう一人は離婚と再婚を繰り返した挙句に当家から絶縁され、引き取った子供15人を男手一つで育てながら貧乏のまま生涯を閉じた。もう一人は女の子の人形相手に一生自分の部屋に引き籠ったんだって」
「な、なかなかハードコアね。だからコリンヌが迷信とは言い切れないと言ったんだ」
マチアスが難色を示すだけの理由はあったのだ。しかしポレットにはある疑問が思い浮かんだ。
(ん?でも4人のうち失敗したのは3人?)
「ということはそのうちの一人は成功したってことよね?」
「うん、そうなんだ」
ジュリアンは嬉しそうにはにかんだ。
「その人が持ち帰った宝はなんとあの”書記官の娘”さ」
「ええ!?それあたしでも知ってる絵じゃない」
書記官の娘。約180年前に製作されたものの長らく所在不明になっていたため一時は実在さえ疑われたジュネの美術史に爛然と輝く油絵の傑作だ。30年前にこの作品が発見された当時は各紙の一面を飾るほどその話題で持ち切りとなった。窓辺で恋文を思案する少女の優美かつ繊細な姿を描いたこの絵画は現在ジュネが世界に誇る質・量ともに世界最大のルアール美術館に展示されている。ポレットが学校の行事でルアール美術館に初めて見学に行った時、ペン先を唇に当てた栗毛の少女を淡い色調で切り取ったその絵に一目で心を奪われた。
余談だが実はこの品、絵画収集が趣味であった7代前のアポリネール家当主が闇ブローカーから密かに買い上げた盗品であったため、発見当時は公にできず匿名で寄贈という形になった。ペリエ遺跡にはこのような表沙汰にできない宝物も多数収められているのだ。
「あの絵の前で恋愛祈願をすると恋が叶うって言い伝えがあるわよね。じゃあその人の願いって……」
「そうなんだ。偶然かもしれないけれど10年後、見事その人の願いが叶ったんだ。その人はずっと好きだった幼馴染と結婚できたのさ」
「素敵じゃない!」
思わず手をパンっと叩いたポレット。そのエピソードは恋愛脳ならぬ恋愛小説脳になりつつある彼女の琴線を見事つま弾いたのだ。
「それがパパの兄であるマルタン伯父さんなんだ。伯父さんはパパの会社で平社員として翻訳の仕事をしているけど、愛する人と結婚できて毎日すっごく幸せそうだよ」
「へえ~、本当に欲しかった幸せを手に入れたってわけね!地位や名誉よりも一人の女を選ぶなんて、あなたの伯父さんなかなかやるじゃない!」
嬉しそうな表情で話すポレットをポカンとした表情で見つめるジュリアン。彼は数秒間突き抜けるような青空を見上げた後に突然神妙な表情で下を向きブツブツと呟いた。
「そうだね、本当の願いを叶えるためにはリスクを恐れちゃ駄目だよね……」
その後ジュリアンは真直ぐで迷いのない瞳をポレットに向けた。空手の話の時に見せた顔と同じ、希望と挑戦心に満ちた男の子の顔。ポレットは顔が火照っていくのを感じた。
「だってそうだろ?これは"慈悲、知恵、勇気"のうちの……」
「勇気が求められている、でしょ?」
「ポレットも言っていたよね。僕に一番欠けているものは勇気だって」
二人の会話がコリンヌと無言で対峙していたマチアスの耳に入り、普段の彼らしからぬ焦った口調でジュリアンに訊ねた。
「ジュリアン様、本当に第2ルートを選ばれるおつもりですか?」
「マチアス。僕は今日何のためにここに来たんだよ?試練を乗り越えてアポリネール家の名に恥じない男児に成長するのが目的じゃないか」
「しかし……万が一失敗すれば落伍者の人生が待っているかもしれないのですよ?私はただジュリアン様に幸せになってほしいだけなのです」
ジュリアンは思い詰めた表情で下を向きながら自分自身に語り掛けるかのように呟いた。
「臆病者のまま中途半端な幸せを手に入れたって何の意味もないよ」
そして今度はコリンヌの顔を真直ぐに見た。この子誰だっけ?コリンヌはほんの刹那、目の前の男の子を弟と認識できなかった。
「コリンヌ、確かに魔女の水晶は僕が望む運命にぴったりかもしれない」
「ジュリアン、あなた……」
彼の顔を見ていたポレットの胸から認めたくない感情が咄嗟に湧き上がってしまったが、その思いを頭の中から追い払おうとして実際に頭をぶんぶんと振った。
(ないないないない!ありえないっつーの!)
「ど、どうしたのよ、ポレット?」
ジュリアンの今までにない表情のお次はポレットの奇行である。コリンヌもこの時ばかりはオロオロする他なかった。
「な、なんでもないわよ。なんでもないっての!」
(認めない、ぜーーーったいに認めないいいいい!)
ポレットは鼻から大きく息を吸い込み、数秒間のタメの後に突然大声で叫んだ。
「わああああーーー!」
遺跡中の空気がビリビリと震え、鳥という鳥が一斉に飛び立ち、3人の目が点になった。ポレットは絶壁の穴を指差しながら己を奮い立たせるかのように声を上げた。
「誰も見つけたことのない魔女の水晶、いいじゃない!それくらいじゃなきゃ張り合いってもんがないわ!」
大声を張り上げたことで少しだけ落ち着きを取り戻したポレットは、改めて女神像の真下に立ち岩石で作られた荘厳な遺跡を見上げた。古代人たちはおそらく原始的な工具のみでこの遺跡を作り上げたのだ。途方もない時間、莫大な労力、何よりも神を恐れ敬う信仰心が作り上げた人類の奇跡。古代人の魂が隅々まで宿る神々の住み家が卑小な4匹の羊たちを悠然と見下ろしていた。
◇◇◇
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