第11話

「ほらっ!もう来ちゃったじゃない!」


 シモーヌは大型の置き時計を見た。時計の針は6時丁度を示していた。


「凄いわね……時間ぴったりよ」

「私がお迎えするね!」


 ジャニーヌが可愛らしい足取りで玄関に向かった。


「おーい、こういう時は大人が出迎えるもんだ」

「ちょっとちょっと、みんな寝間着じゃない。そんな恰好で人前に出ないでよ!」


 シモンが相変わらずポレットを抱き抱えながらジャニーヌの後を付いていき、シモーヌも慌ててそれに続いた。


「いらっしゃ~い!」


 ジャニーヌが木製のドアノブに手を掛けてドアを開くと少し強めの風が家の中に吹き込んできた。ポーチに赤い薔薇の花びらがひらひらと舞い散ちる中、4人の目に飛び込んできたのはツイードジャケットを着こなした伊達男がボウ&スクレイプを華麗に決める姿であった。


「お初にお目にかかります、マドモアゼル。ジョゼット・アポリネール様の秘書を務めるマチアス・オビーヌと申します。本日はポレット様をお迎えに上がりました」

 

 ジャニーヌはこの男の姿が目に映し出された瞬間、身動きが取れなくなった。


さまが目の前にいる……)


 シモンもそのあまりに優雅な所作に口をぽかんと開けてしまった。


(あの時の男か。こりゃまるで恋愛小説の主人公だな……)


「マチアス様、お待ちしておりましたあ!」


 テンションぶち上がりのポネットは顔を真っ赤にしながら何故か両手でガッツポーズを決め、お姫様抱っこをしていたシモンの顎にパンチが入る格好になってしまった。


「ちょっとお、三人とも寝間着で出迎えるなんて……」


 一歩遅れて玄関に辿り着いたシモーヌは、細身のスーツに身を包んだ長身の男の姿が目に入った瞬間に手に持ったTシャツとハーフパンツをぽとりと床に落としてしまった。


「あ……あの……わたし……」


 しどろもどろのシモーヌに対し、マチアスはキラリと光る白い歯を向けた。


「マダム・アルカン。初めまして、マチアス・オビーヌと申します。早朝からお騒がせしてしまい申し訳ございません」

「いえ、お騒がせなんて……」


(うっわー!なんてイケメン……。いえ、イケメンなんてもんじゃないわ。もっと上位互換の表現じゃないとこの男の美しさは表現できないわ……)


 シモーヌは無意識に髪を手櫛で整えていた。


(マチアスってこの人のことだったのね。そりゃ面食いのポレットが夢中になるわけだわ)


 マチアスの後ろからジュリアンがひょっこりと顔を出した。彼はもじもじしながら勇気を出してポレットに声を掛けた。


「ポレット、今日はよろしくね」


 ポレットはシモンの両手からひょいと飛び降り、腰に両手首を当てながら自信満々の表情でジュリアンの前に立った。


「ジュリアン、今日はレディファーストってもんをとことん教えてあげるわ」

「あれ、なんで寝間着なの?」

「ふふふ、寝間着姿でも天使のようでしょ。私くらい可愛い女の子だとどんな服装でお出迎えしても何の失礼にも当たらないのよ」

「わーい、天使、天使ぃ!」


 なぜか大喜びをするジャニーヌを見て得意げなポレットの目の前に、シモーヌが例のTシャツとハーフパンツを差し出した。


「どんな格好でも問題ないならこの服を着ても大丈夫ね。ほら早く着替えちゃいなさい」

「えー!嫌、嫌よ!ねえマチアス様。レディがこんな野暮ったい服装だとテンション下がっちゃいますよねー」


 マチアスは苦笑いをした。


「ポレット様ご自身が仰っていたではありませんか。天使は何を身にまとっても様になるものです」

「着替えてくる!」


 ポレットはシモーヌから服を引っ掴みリビングに猛ダッシュで走り去っていった。それを見て呆れた表情をしていたシモーヌをマチアスは不思議そうな表情で見ていた。その様子に気付いたシモンが尋ねた。


「私の妻がどうかなさいましたかな?」

「いえ、どこかでお会いした気が……」

 

 ジュリアンがマチアスにひそひそと耳打ちをした。


「ママがね、ポレットのお母さんは昔女優をしていたって。すごく格好いい人だったって言ってたよ」

「女優?シモーヌ、シモーヌ……。ああ、思い出しました。あなたはもしや劇団「夜の海と月」のシモーヌ・アルノーさんではないですか?」


 シモーヌは顔を綻ばせながら頬を両手の平で覆った。


「やだぁ、もう大昔のことですわあ。今はシモーヌ・アルカンですの。鳴かず飛ばずの貧乏劇団でしたし。しかもほとんど男役でしたし……」

「昔、母に連れられて劇を見に行ったことがあるんです。当時は子供だったので筋はよく理解できませんでしたが、あなたの役だけはよく覚えています。あなたが劇中で見せたボウ&スクレイプを何度も真似したものですよ」

「もう、お上手ね……」


 彼女のおだてられて照れる姿はポレットそっくりで、ジュリアンは笑いを堪えるのに必死だった。そんなジュリアンをジャニーヌが顔を近づけてじーっと見つめてきた。上下茶色の運動着に着替えて急いで戻ってきたポレットがその様子に気付いて彼女に声を掛けた。


「なになに、どうしたのジャニーヌ。ジュリアンの顔に何か付いてる?」


 ジャニーヌが人差し指でジュリアンを指した。その表情には何故か非難の色が含まれている。


「あなた知ってる。いっつもたくさんの女の子に囲まれているジョウキュウセイだ!」

「そ、それは僕の弟だよ。僕は女の子に相手にされたことなんてないさ……」

「じゃあ私が相手をしてあげる女の子の第一号ってことね!あんた私に借りばっかり作ってるわね~。膨れ上がり過ぎないようにちょっとづつ返していきなさいよ」


 胸をどんっと叩くポレットを真似してジャニーヌも同じ仕草をした。


「じゃあ私ダイニゴウ!」

「あら、あなたは第三号よ。だって私が第一号なんですもの」


 声がした方向を6人が一斉に見た。そこには朝の柔らかな日差しに照らされた可憐な少女、コリンヌがいた。


◇◇◇

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