第62話 教皇夫人の依頼
「ラン!おはよう」
ギルドに向かうと、ランが待っていた。
「二胡!」
二胡を発見したランが、走ってくる。そのまま、二胡に抱きついた。
「おはよう!久しぶり…ではないか」
「そうだね〜。昨日ぶりだし」
抱きつかれたまま、二胡が言った。紛れもなく人生初なのだが、それには気づかないし気づいたところで何を思うこともないだろう。
「あ、ネックレスにしたんだね。きれいだよ」
ランの胸元に輝く紫のネックレスを見て、二胡が言った。
「へ!?あ、ありがとう…」
ランは照れてうつむいたが、満更でもないようだ。
「あ、ごごごごごめん」
冷静になったことでハグしていることに気づき、ランは顔を真っ赤にして下がった。
「? 大丈夫だよ」
なんでもないことのように、二胡が言った。
「で、でも、好きでもない子に抱きつかれるのは嫌でしょ…?」
「え?ランは好きでもない子ではないと思うよ?」
二胡の言葉に、ランが顔をさらに赤くする。
『御主人様…やりますね〜」
『これだから油断できないのよ、二胡くんは』
『いや、あれぐらい言うだろ』
『『は?』』
魔剣も色恋沙汰には疎いようだ。聖剣には彼女がいたが、魔剣にはいなかった。そういうところが二人の差だ。
「とっとりあえず、部屋にいきましょう。きれいにしといたわよ」
聖水の乙女の力により、二胡に下心がないことに気づいたランはなんとか立ち直り、二胡の手を引いて歩き出した。
階段を登り、見えてきたのは懐かしいギルドの部屋だ。
「そろそろ一ヶ月経っちゃうわね。どうするの?」
「あ、そのことなんだけど、俺王都に行こうと思ってるんだよね」
「そうなの?」
「うん。確か10日後には出発するんだ。それで、ランも一緒に送ろうと思ってるんだけど、行く?」
「もちろん!ありがたいわ」
ランはテンションマックスのようで、飛び跳ねて喜んでいる。
「よし、決まりだね。それで、今日はとりあえず王都での滞在費を稼ぎたくて。ランたちは大丈夫かな?」
「そうね。王都は聖水の乙女のお膝元みたいなものだもの。王様もいるし、お金には困らないわね。第一、屋敷を持ってるもの」
「そうなんだ」
ネザでは金欠気味だったが、そういう話を聞くとやはり国王との婚約話が来るだけのことはある。
「で、どこに行くの?」
「そうだね〜。う〜ん、傭兵は時間ないし、闇はわざわざ受けなくてもね〜。となると技工か冒険者か。行ってから決めよう」
「そうね」
階段を下に降りる。近いので、技工へ行くことにした。
「そういえば、ご飯は食べたの?」
「あ、うん。森を出る前に食べてきたよ。ラズが作っててくれたんだ」
「ラズって、あの闇の人よね?」
「うん。料理すごい上手なんだよ。美味しかったな〜」
「そう…」
孤児院で会ったとき色々と感じたのだが、それは言わないことにした。
ラズ本人は話されることを望んでいないだろうし、知ったところで二胡に特もないからだ。
「ついたわ。…なんだか騒がしいわね」
何やら怒号が聞こえる。恐る恐る中に入ると、着飾った女性が職員に捲し立てていた。
「冒険者の街が情けないわね!せっかく近いんだから、地の利を活かしなさいな。私は一縷の望みに賭けて、何日も馬車に揺られたのよ!」
酷く取り乱す…いや、慌てているようだった。
「あの…」
「何!? ってあら、他のお客さん?ごめんなさいね」
「いえ…。もしかして、教皇夫人様ですか?」
「あら、わかったの?…もしかしてあなた、ラン?大きくなったわね。気づかなかったわ」
「は、はい!お久しぶりです。びっくりしてしまいました。その、随分窶れられたようで…」
「そうね。一縷の望みだったのだけれど、無理そうだわ」
はあ、と夫人はため息をついた。
「どうかしたの?」
「あ、二胡。私、小さい頃教会にいたんだけど、その時かわいがってもらったの。教皇夫人様よ」
「あら、ランのボーイフレンド?よろしくね」
「はい。あの、どうかなさったんですか?」
「ちょっと、技工に依頼をね」
無理だったみたい、と笑った夫人は、酷く悲しげだった。
「なんの依頼をしたんですか?」
「ちょっとしたお守りなの。効果は絶大で、魔導具に近いのよ。息子が病で、侵攻が進んで…。それがあれば、助かるかもしれなかったんだけど…」
「まさか、彼が!?」
「ええ」
「そんなっ!あの、お話聞かせてもらっていいですか?二胡なら、もしかしたら…」
「まあ。…頼めるかしら?もちろん、お金は弾むわ」
「お金…」
ランの大切な人のようだし、助けられるのなら助けたい。そう思っていたのだが、お金まで。
願ってもないことだ。
「もちろんです。俺にできることなら」
「まあ、嬉しいわ」
二人は、以前王子妃と話した部屋へ案内された。
「なんてことはない、ちょっとした編み物で、ブレスレットなの。でも、材料が難しいのよ」
「材料、ですか」
教皇といえばおえらいさんなのだろう。その夫人が手に入れられぬほど、高価なものなのだろうか。
「とある魔獣の毛なの。ネザの近くにある森にいる、フェンリルという魔獣のね」
「ほう?」
フェンリルといえば、二胡の従魔だ。そういえば居たな、と二胡はなかなかに酷いことを思った。
「必要なのは長い尻尾の毛、しかも何本も必要なの。でも、そもそも毛すら手に入らなくて。もう、諦めるしかないのかしら…」
「あの、それならご用意できます」
「…え?」
まさか藁にもすがる思いで話した冴えない青年に用意できるとは思っていなかったらしい。とても驚いたようだった。
一方のランは、まあ二胡ならあり得る、といった感じである。
「あなたそれは本当なの!?全ての魔獣を率いる、魔獣の王たるフェンリルの!?」
「え、フェンリルってそんなに…?」
「当たり前よ!フェンリルがその気になれば、世界中の全魔獣が動き出すの。神獣とも呼ばれる、伝説級の魔獣なのよ!?」
さすがの二胡もびっくり仰天した。彼はそんなに大層な存在なのだろうか。年頃の悩める青年、といった感じだったのだが。
「えーっと、じゃあ呼び出すので気をつけてください。椅子動かしますね」
フェンリルが現れても問題ないくらいのスペースができたところで、二胡が笛を吹いた。
「お呼びでしょうか、二胡様」
久しぶりだが、前と同じようにフェンリルはそこにいた。
「ちょっとお願いがあって」
「は。何なりと」
「尻尾の毛を取らせてくれない?」
「えっ…。それはちょっと、くすぐったいんです」
躊躇う様子を見せたフェンリルだが、
「優しく取るから。ね?」
「は、はい…」
二胡に言われて渋々ながら承諾した。
「あの、何本取ればいい…ですか?」
夫人は良い姿勢で座ったまま気絶するという、器用なことをしていた。
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