第4話 横浜四丁目 再会

 神奈川県横浜市。根岸線の石川町というJR線の駅前。横丁にある雑居ビルの一階に青空麻鈴あおぞらまりんの経営する欧州雑貨を扱うショップ『シア・ノアール』がある。フランス語のその名の通り黒猫のイラストが描かれた看板。店の前に置いているロッキングチェアーの上で丸まっている本物の黒猫がいる。その名前をサリーと言う。何故この猫がサリーというのか。それは店主の麻鈴が魔女。魔法使いとして、あの「魔法使いサリー」を尊敬しているという理由だ。ただしこっちの猫のサリーは猫の姿をしているだけの使い魔にして、人間界で麻鈴がきちっと魔法の修行を行っているかを見届けるための監視役である。


 この店の二階には『逢野探偵事務所おうのたんていじむしょ』という看板がある。もちろんサリーの弟、カブやよしこちゃんの弟の三つ子たちがいるわけではない。探偵、逢野安間郎おうのやすまろうという男の探偵事務所だ。あまり流行っていない犬猫探しと浮気調査くらいの仕事しか無い事務所だ。しゃくれた顎に、伸び放題の髭、そしてぼさぼさの髪。刑事コロンボと金田一耕助よりは少しマシという程度の清潔感である。ただし奥さんがいるだけコロンボのほうが勝ちかも知れない。



「逢野さん、間違ってうちの郵便受けに届いていたわよ」

 事務所に入ってきた麻鈴は、応接セットの低いテーブルの上にポンと大型の封筒を置いた。

「おお、ありがとう」


 耳かきをしながら逢野は窓の外を眺めている。

「ねえ、これ依頼の手紙かもよ」

 間髪入れず、「そうだよ」と逢野が言う。

 麻鈴は眉をひそめた。

「なに? 知っているのに無視なの」と返すと、

「そう言う仕事もあるんだよ」と分かった風な応えを返す逢野。

 若さ故なのか、彼の行動に納得のいかない麻鈴は、その封筒を開けて、中身を確かめる。


『いろはにほへと

 ちりぬるをわか

 よたれそつねな

 らむうゐのおく

 やまけふこえて

 あさきゆめみし

 ゑひもせす  』


 一枚の便せんを顔の前に広げてみた麻鈴。謎だらけの手紙。

「いろは歌……」

 俯く彼女に逢野は「そら見ろ。悪戯じゃねえの?」と得意顔で言う。鼻歌なども聞こえてくる。


 麻鈴を不憫に思ったのか、サリーは小走りにその封筒に飛びついて、麻鈴の手から奪うと事務所の応接机に置いた。

「なにサリー?」

「ほれ、郵便番号欄、ここ読め!」としっぽで示す。

 よく見ると封筒の宛名。郵便番号を記入する赤枠には『777-7775』と入っていた。そして「番号間違い」と赤いスタンプが押されている。

「なにこれ?」

「まだ間に合うぞ。急げ!」

 サリーの言葉に麻鈴はハッとした。瞬時に郵便番号といろは歌の便せんを照らし合わせて気付いたのだ。

「逢野さん、助けを求めています!」と麻鈴。


 耳かきをしながら、マンガを読んでいた逢野は、不思議そうに顔を上げる。


「助け?」

「ほらここ」


 麻鈴は郵便番号の間違いを指摘、指さして教える。


「本来であれば横浜の石川町は231-0868なんです。同じ市内に住んでいる差出人自身の自宅は合っているんです。同じ横浜在住の人が市内の郵便番号を間違えるはずがありません」


「うん、なるほど。けど、それが助けと、どこで繋がるんだ?」


 耳かき棒をポンと机上に放った逢野。


「郵便番号欄。ここには数字の七が六回と最後が五になっています。これが文字数の指定コードだとすれば、抜き出せる文章があります。つまり七文字の末尾文字六回と五文字の末尾文字一回を組み合わせると文章が作れるのです」

「うん」

 もっともらしい麻鈴の言葉に頷く逢野。


「封筒の中の便せんの『いろは歌』。やってみますね。このいろは歌を、郵便番号欄の指定コード毎に七文字ごとに文字を拾って、最後の五文字目を拾う。すると別の文章を取り出す事が出来るのです。この手法を『折句おりく』とも言います」


「なんだそりゃ?」


「古来から存在する文学技法です。そしてこれは文学技法を真似た暗号文なんです」

「だってこれ、江戸期の手習い塾で教えられていた日本の歴史的な文字学習の歌だろ?」

「そうです。この歌の昔からの有名な解釈方法として、このいろは歌に詳しい人は皆が知っている事実です。そしてこの手法に洋の東西は問いません。似たような手法でアクロスティックっていうのもあります」


「ふーん」

 まじまじと便せんを見つめる逢野。


「で、アクロステックって何だ?」

「もともとはギリシアの言葉遊び。エンドラインを意味する、句頭や句尾、文頭文末の文字を別方向で読ませてしまう言葉遊びに由来します。もちろん暗号としても使われているのです。文字シャッフルのアナグラムと並んで初歩的な暗号に使われます」

「君はMI6の回し者か?」

「お褒めに与り光栄です。そしてそのルールに従って、語句の切れ目の最後の文字を拾って読んでみると……」


 麻鈴の簡潔な説明に、逢野は訊ねる。

「で。メッセージは?」

「文末をつなぎ合わせると、『とが無くてしす』と読めます」

「罪も無いのに、って事。えん罪か?」

「はい。普通に考えればえん罪と言うことかも?」

 その返事を聴きながら、既に逢野はハンガーのジャケットをさっと壁から取ると肩に引っかけて、事務所を飛びだした。


「助手、案内しろ! 手遅れにならないように」


 二人は早足で石川町の駅に向かっている。こういう時の逢野は使命感の塊になる。


「差出人の住所は磯子いそごです」

「よし、急ごう!」

「ダジャレ言っている場合か!」

 麻鈴の肩にのったサリーは、あきれ顔でぼやく。


 その声で麻鈴は気付いたように、

「あっ、サリーは電車に乗るときはこのバスケットに入って下さいね」と無理矢理頭から下ろして、手に持った猫用バスケットに手際よく詰めこんだ。

「くそ、こんな狭いところに閉じ込めやがって、オレは猫じゃない、っての」とぼやくサリー。

「見た目はどう見ても猫ですから。もうちょっとモフモフならご近所で人気者になれたのに」と笑う麻鈴。


 根岸線の磯子駅に降りた二人と一匹。

「住所は?」と言う逢野に、封筒を見せる麻鈴。

「滝頭か。市電保存館の近くだな」と独りごちる逢野。つかつかとバス乗り場の方に向かう。ちょうど良いタイミングでバスに乗る二人。ほぼそれと同時にドアが閉まり発車した。

 無言のまま流れる車窓を見て、坂道を上りながら滝頭の車庫にバスは着く。

 逢野は麻鈴の顔を見て合図する。

「ああ、『レジスター・いそごⅡ』というマンションの一〇三号室です」

 麻鈴の言葉に、すぐ目の前の大きな建物を見て、「それか」と指さす逢野。

「本当だ」

 都合良く目の前に目的のマンションは建っていた。

 

 マンションのエントランスには一人の女性が立っていた。プッシュナンバー式の集合玄関の前である。

 見た目三十代の後半、ナチュラルなメイクに腰紐の無い紺のワンピース。肩には小さなショルダーバッグを引っかけている。

「探偵さんですよね」

 人の良さそうな婦人は微笑みかけてきた。

 麻鈴は逢野に小声で、

「自分から名乗っちゃダメですよ。あくまで部屋を訪ねて、その部屋の住民と分かったときに本人の確認が出来る」と囁く。

「分かっているよ」と念押しされた小言を払いのける子供のように顔を曇らせる逢野。

「あなたは?」と麻鈴。

「あなたにお手紙を差し上げた四季流水子しきるみこと申します」

 麻鈴はすかさず手元の封筒の差出人の名前を確かめる。そこには確かに四季流水子とある。だがそこは抜かりの無い逢野、

「ではお宅でお話を伺います。ご自宅までご案内下さい」と彼女が間違いなくその手紙の住所の住人であることを確かめた。

 横では控えめに麻鈴が親指を立てて「ナイス!」と小声で頷く。


「あ、今日は部屋の改装を行っていまして、業者さんが出入りする予定になっているんで、近くの喫茶店のほうが落ち着くと思いますので……」

 流水子と名乗った彼女は、さりげなく自宅へいく事を拒んだ。

 ニヤリと逢野の口元が動く。

「守秘義務の生ずる職業ゆえ、ご自宅でお話をおうかがいすることが必須となります。では本日は立て込んでいるご様子なので、改めて出直して参りましょう」といとも簡単に引き下がった逢野。

「そうですか。それではもう少し落ち着いてから」と彼女。

 振り向きざまに彼女は、「お名刺を頂戴してもよろしいですか?」との言葉に、

「生憎、今日は慌てて出てきたため、忘れてしまったようです。手書きでよろしければ連絡先をご用意できます」と返す逢野。

「いえ、それではまた明日にいらして頂ければと思います」

 彼女の言葉に「分かりました。本日はこれにて失礼します」と踵を返す逢野と麻鈴。

 その時の流水子を名乗る女性の鋭い眼光を見逃さなかったのは、ペットかごの中のサリーだった。


通り雨とファミレス

 マンションのエントランスを出た逢野たちは、ポツポツと落ち始めた雨に掌をかざす。

「通り雨だな」

「あそこにあるファミレスで作戦会議といきましょう」

 麻鈴の提案に、逢野もこくりと点頭した。


「ご注文を繰り返します。日替わりランチのカレーをふたつと白身魚のフライセットを一つ、それにランチドリンクバーを二つでよろしかったでしょうか?」

「はい」

 麻鈴はウエイトレスがメニューブックを小脇に抱えて立ち去ってから逢野に提案し始めた。

「午後に私、インテリアショップの店員として、手紙の住所に配達に行ってみます。もし私に何かあれば、すぐに駆けつけて下さいね」

「おう、分かった。気をつけてやれよ。やばそうな雰囲気だったらすぐに逃げろ」と逢野。

「やばいのは相手だよ。麻鈴の使う未完成の魔法の餌食にされるんだから、命がいくつあっても足りたもんじゃ無い」とかごの中からぼやくサリー。

 逢野は長く鳴き続けているサリーに、

「こいつも腹減ったのかな? ニャーニャーうるさいな」とのぞき込む。

 むさ苦しい顔が目前に出てきたためサリーは「フゴー!」と牙をむいて睨む。

『その汚い顔を近づけるな!』と言っているようだ。



レジスター・いそごⅡ

 先ほどのマンションのエントランスに来た麻鈴。ルームナンバーを押すとインターホンに直結するタイプの呼び出しシステムだ。麻鈴はコンパクト形の手鏡を開いて、「メルティング・スプラッシュ!」と唱える。みるみるうちに彼女は小脇にインテリアのカタログ、黒い業務スーツに変身する。胸元のスマートフォン、映像音声アプリのスイッチをオンにする。そして「よし」と両頬を両手で軽くパチッと叩く。気合いをいれると、依頼主の部屋のルームナンバーを押した。


「はい。モニターから女性の声がする」

「逢野探偵事務所、インテリア部門です」と訳のわらない言い方をする。 

 インターホンの向こうの人間は分かったようで、かなりの小声で、

「今開けます。どうぞ」と意味深で快い返事を返した。するとすぐにエントランスの大きなゲートが開く。彼女の対応する声、それはまるで麻鈴が一人で訪問してくるのを待っていたかのような声色だった。


 一方のかごから出してもらったサリーは一〇三号室の庭先へと潜り込む。目隠し用に植えられた人の背丈ほどのお茶の木が垣根になっている。戸建て空間を意識した一階部分の部屋は、猫の姿のサリーにとっては入りやすい場所だった。


 やがて麻鈴はマンション内部のコリドーを歩き、部屋の前に着く。その目前には、さっきの女性ととてもよく似た女性が立っていた。彼女はカラフルなオレンジ色のトロピカルドレスに身を包み、躍動的で女性としての魅力もある装いだった。


 ドアを開けて一〇三号室の前で丁寧にお辞儀をする。すこし距離を近づけると、午前の女性と顔だちは似ているが、所作や表情の面では全く違っていた。ただ気になったのは心配になるほど、酷くやつれた表情で目尻にクマが出来ていることだった。


「こんにちは、お手紙を差し上げた四季流水子です。さあ、中にどうぞ」

 そう言うと、彼女は麻鈴を庇うようにそそくさと中に入れ、急いでバタンと扉を閉めてしまった。もちろんオートロックなので、勝手に鍵も閉まる。


 麻鈴はリビングに通され、ソファーを勧められる。高級マンションの快適な空間だ。庭に出る大きなガラスの開き戸に目をやると、その隅にサリーの黒いしっぽが上下に動いているのが分かる。


「実は何からお話しして良いのか、分からずにお手紙を出してしまいました」


 切り出したのは流水子だった。

「待って」と麻鈴。

「はい」

「実はさっきマンションのエントランスであなたのお名前を語った人がいて、この部屋に入れることを拒んだ人がいたんです」と麻鈴は先にいきさつを話す。

 流水子はため息を一つついてから、

「もうお会いになったのですね。それならお話は早いです。その事も含めてお話しいたします」と流水子は話し始めた。

「実は一年ほど前から私の中には、本人である四季流水子と灰戸代美はいどしろみという別人格が同居しています」

「???」

 いきなりのカミングアウトに麻鈴の頭の中は真っ白になる。『この件、探偵事務所の仕事なのだろうか?』という懸念も生じる。


「ある晩に寝て起きると、見慣れない服がハンガーにいくつもかけてあることに気付きました。それも私はあまり着ないダーク系の服です。誰か友人が置いていったのかと思い、しばらくは放置しておきました。ところがある日、スマホの着信履歴と発信履歴を確認すると、私がかけた覚えの無い番号が次々と記録されているのを知りました」

 淡々と話す流水子は、まるでミステリー小説の主人公のような落ち着いた振る舞いだった。

「解離性同一症? 多重人格症?」

 そう呟いた後、麻鈴は軽く親指の爪をかむ。もっともらしい推理だ。ミステリーの定番である。


 すると俯いた仕草に、不敵な笑みを浮かべる流水子。意味ありげに麻鈴を見つめている。明らかに顔が別人になっている。魔法の香りがすることをサリーは見抜いた。

『あの女!』


 勝ち誇った顔で流水子は言う。

「違うわ」

「へ?」

 きょとんとする麻鈴。展開がおかしい。しかもその声色に記憶がある。

「相変わらずお人好しの甘ちゃんね。暗号解読を出来たことは褒めてあげる。でも少々詰めが甘いようね。あなたが探偵事務所の下でショップを開いて、探偵とコンビで事件を解決している、って魔女仲間に聞いたのでお手並みを拝見しに来たのよ。かつての魔女ライバルとしてね」

 流水子は意地悪な顔をする。


 流水子は魔法のステッキを振ると、星とラメをあたりいっぱいに振りまきながら魔法の呪文を唱えた。

 白い古代ギリシア風の服、ドレープを身に纏う長い髪の姿。そして魔法の国のマントをかざした魔女が現れる。

「あっ、あなたは!」と麻鈴。

「ようやく思い出したようね」と流水子。

 この手の物語にはおきまりのクライマックスだ。


 ところが麻鈴は肝心の名前が出てこない。

「うーんと……」

 頭をかきむしり、「誰だっけ……誰だっけ」としかめっ面の麻鈴。

「おい! 魔法学校で同じクラスだったんだぞ」と流水子。額に汗。

「マコ……アッコ……メグ……チックル」※1

 一生懸命思い出そうとする麻鈴。

 ようやく閃いたようで、「あっ、ルンルン!」と指さす。※2

 すると流水子は大きな口を開けて全否定。

「違う! それ花屋の娘」

「そっか。じゃあ、チャッピーだ」※3

「それも違う! 私は車を運転するレッサーパンダの『使い魔』を持っていない」


 額に手を当てた流水子は「もういい。あんたが思い出すの待っていたら日が暮れちゃう」とため息。

「テヘペロ」と自分を小突く麻鈴。

「まあ、いいわ。七変化しちへんげを得意とし、神出鬼没しんしゅつきぼつ変幻へんげん自在のハマ小町こと、小野田小町おのだこまちがあんたの活躍を邪魔するから見ていなさい。そして魔法の国の書記職であるマジカルライターになるのは私。あんたの回想日記にもそう書いておきなさい」

 そう言うと小野田小町はどろんとその場を消えた。


 素直な麻鈴は仕方なく、自分の鞄から日記帳を出すと、新しいページに大きく『マジカルライターになるのは私』と書いた。忘れないうちにやるべき事をやっておくのが彼女の性分だ。

「そうじゃないだろう。あの女の言った『私』って、お前のことか?」と黒猫のサリーは窓の外から呆れ顔で心中、ツッコミを入れていた。


「連絡ねえな。時間もたないぜ」

 その頃ファミレス待機の逢野。ついにカレーライス三杯目に突入したこの男。更に上を行く大ぼけがここにいた。

 おなかを押さえながら「オレはキレンジャーじゃねえよ」と自虐のツッコミをしていた。※4

    了


※1・2・3 東映の魔女っ子シリーズなどの主人公。熟知していたらおじさんおばさんの仲間入り(笑)。Wikiによると、「東映魔女っ子シリーズ」は、第一弾の『魔法使いサリー』から、以下『ひみつのアッコちゃん』、『魔法のマコちゃん』、『さるとびエッちゃん』、『ミラクル少女リミットちゃん』、『キューティーハニー』、『魔女っ子チックル』、『花の子ルンルン』、『魔法少女ララベル』までを言うのだそうだ。筆者はキューティーハニー以後の作品は見た記憶がつゆも無い。創作に当たって調べなおした。何やってるんだか(笑)。

※4 『秘密戦隊ゴレンジャー』の黄色い人。いつもカレーばかりを食べている人。 

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