第56話 戸倉の受難
「よろしくお願いします!」
新しく赴任した古川が大きな声で挨拶する。
最初の印象は元気な人。明るくてバイタリティが溢れている。実年齢は家久より少し上だが、見た目だけだと彼の方が若々しく見えた。たまに四十代に間違われる戸倉とはまるで違う。
平田二中の男子バスケ部のレベルは高い。近年は成績も安定しており、区の上位には必ず入っている。前任者が有能だったこともあり、ミニバス経験者も集まっていた。良い成績を残すのも納得できるものである。
だが周知のように、公立校の教師は同じ学校にずっとはいられない。よほど特別な事情がない限り、この決まりが破られることはなかった。
そこで新しく顧問になったのが古川である。バスケ経験者であり、社会人のチームでもプレーしていたようだ。尤も他人に指導するのはこれが初めてらしい。
男女の違いはあれど、同じ部の担当である。接する機会も多くなるし、出来る範囲でサポートすることにした。いくら経験者といっても、色々と不備が出てくるかもしれない。
ただ当初はそこまで心配していなかった。
男子部員たちのレベルは高く、問題行為をするような生徒も特にいない。前顧問の教えもしっかり受けており、一年生たちも良い子たちが入っていたからだ。
古川はやる気と情熱のある人だった。
部活には活動時間が決められており、どこまで活動するかは顧問に任されている。当たり前だが、子供たちだけで体育館などを使うことは出来なかった。
当然練習を多くすれば、自分の生活時間を削ることになる。これに対する手当の少なさが、顧問という制度の解決すべき問題の一つだが、今は置いておく。
彼は時間を一杯まで使う男だった。戸倉でさえ、仕事の関係上、予定が取れないことがあり、限度まで使うことはない。
練習量は間違いなく男子の方が上回っていた。熱意がなければできないことである。この点に関しては素直に感心してしまう。
実際に練習中も元気だった。下手すれば部員より声が出ていたかもしれない。
「いいよ! 素晴らしい!」
彼の特徴は選手を褒めることだ。恐らくは意識してやっているのだろう。選手たちを乗せ、褒めて伸ばすつもりなのだ。
「オッケーだ。どんどんいこう」
ポジティブな声掛けを常にしていく。
悪いことではない。悪いことではないのだが――。
「あれは」
言いかけた口を慌てて閉じる。たまたま練習を見ていたのだが、あるプレーが目に付いたからだ。
それは戸倉からすれば、絶対に見過ごせないもの。
単なるミスじゃない。はっきりと選手の怠慢が招いたプレーだった。女子が同じようなことをしたら、間違いなく叱っている。怒鳴っていたかもしれない。
「ちょっと気になるね。気が抜けたのかな」
さりげなく古川に訊いてみる。指導者は彼なのだ。表だって注意するわけにもいかない。
「大丈夫ですよ。取り返せばいいだけです」
失敗したら違うプレーで取り返す。それに関しては同じ意見である。
「あまり言い過ぎても仕方ありませんからね。伸び伸びやらせましょう」
納得のいく道理である。
しかし許してはいけないプレーは確かにある。放置したら選手にとって致命傷になってしまうものだ。
だからこそミスした原因を明確にさせ、次はしないように気を付けさせる。そのために叱らなくてはいけない場面はある。
それでも同じミスを繰り返すこともある。だったらこちらも根気よく言い続けるのだ。直らないなら試合に出さないまでである。
といってもこれはあくまで戸倉の考え方だ。このチームの監督は古川である。彼の顔を潰すわけにはいかなかった。
(そういう考え方もあるっちゃあるけどな)
こんな風に練習をすればするほど、互いにズレが生じていた。見ている部分や考え方が違うのである。
人によって考え方や指導方法は違うもの。そんなこと戸倉が一番よくわかっている。
ただどうしても目についてしまうのだ。ああいうことを許してしまうと、良くない影響をもたらしてしまう気がした。
次に気になったのは練習方法である。
ドリブルやシュートなどの細かい知識は確かにある。実際に一対一などをしたら、戸倉は勝てないだろう。そういう技術はある人間だった。
彼の行う練習は毎日ほぼ同じものだった。別に同じ練習をすることは悪いことではない。反復することで身につけるものだし、基礎練習の大切さは充分わかっている。
だが使える時間は限られているのだ。仕事に納期が定められているように、大会の日にちは決っている。そこまでにやるべきことを絞り、教えるべき事を教えなくてはいけない。
『このチームは何が出来ないのか。何を出来るようにさせるのか』
長所を伸ばしてもいいし、短所を埋めてもいい。チームで出来ることを徹底してもいいし、相手の対策をしてもいい。いわゆる計画性を持たなくてはいけない。
(まだやってるのか。そんな時間ないだろ)
試合がすぐ近くに迫っているのに、単純なシュート練習やパス練習ばかりだ。アップでやるならわかるが、メインとして時間を費やしている場合ではない。もう出来ていることを延々とやり続けている部員もいるのだ。タイムマネジメントが出来ていると思えない。
戸倉から見てもやるべきことが残されているチームである。詰めようと思えば、いくらでも詰められるはずだ。
「普段の積み重ねが大切ですからね」
返ってきた答えである。その意見もわかるのだが、あえて言い返しはしない。大人としてぐっと飲み込む。
「こういう練習が流行っているみたいですよ。どこのチームが始めたんですかね?」
彼らに必要そうなものをピックアップして、世間話みたいなノリでアドバイスをしてみた。見るに見かねたのである。
「去年はこういうこともやってましたよ。子供たちもすぐにわかると思うよ」
他にもこれまでやっていた練習を、確認という形にして何度か古川に説明した。説教くさくならないよう気をつける。新人なので練習方法を知らない可能性もあるのだ。何をしていいかわからないなら、去年の練習を少しでも参考にすればいい。
「わかりました。ありがとうございます!」
実に気持ちの良い返事である。返事だけなら花丸を上げたいくらいだが、実際に行動へ移すことはなかった。これまでと全く変わらないのである。
余計なお節介として受け取られたか、あるいは口うるさい年長者として見られたか。恐らくは後者だろう。
何しろアドバイスしたこととは真逆のことをやり始めるからだ。人当たりは良い方なので、本音がまるで読めない。考えていることもわからなかった。
それでも何度か提案してみた。届いているようには思えないが、出来る範囲のことはしたかった。鬱陶しがられても構いはしない。このままじゃ子供たちが気の毒だからだ。
このときの男子は強いチームだった。当時の女子とは比べものにならない。多くのことが出来るし、先に行ける可能性がある。実に勿体ないことをしている。
(それだけじゃない。マズいことにならなきゃいいんだがな)
下手をすれば、チームが崩壊する恐れがあるのだ。これは単純な勝ち負けよりも深刻な事態である。
似たようなケースは耳にしてきたし、実際にこの目で見たこともある。気づかないのは本人ばかりである。
人間とは簡単に腐るものである。良い素材だろうが関係ない。自分だけの力で高い意識を保つことは中々に難しい。人とは楽な方に流れるものだからだ。見るのが子供なら尚のこと気を配らないといけない。
これもいいのか、あれも良いのかと子供たちは認識する。そういうことが当たり前だと感じていく。去年はダメだったけど今年は大丈夫なのかと自然に許してしまうのだ。
空気はどんどん緩んでいき、緊張感が欠けていく。無論、本人たちは集中しているつもりだろう。
しかし端から見ていると、その差がはっきりと出てしまうのだ。
走るべきところで走らない。抜いてはいけないところで力が抜ける。集中してればやらないミスなどを起こしてしまう。
こういった事を指摘されないなら、子供が気づくはずがない。締めるべきポイントや規律がなければ、簡単に崩れてしまうのだ。そんなチームが勝てるわけない。こういう姿勢は試合に必ず出るからだ。
今までの実績など関係なかった。どんなに良いチームだろうが、先代の遺産など容易く食い潰せる。子供だろうが大人だろうが、集団であれば当たり前に起こる事なのだ。
だが、どれだけ不安に駆られても、出来ることは限られている。戸倉は男子の顧問ではないのだ。
あまりにうるさく言ってへそを曲げられたら、最低限の意思疎通すらできなくなる。一年目の先生に対して、そんなことしたくない。
そうして言うべき言葉が削られていく。いくら言ってもわかってくれない相手に、何を伝えれば良いのか。教師という言葉で伝えなくてはいけない職に就きながら、実に情けないことである。
「彼らなら行けますよ。大丈夫です。楽しみです」
古川は子供たちを信じていた。とても前向きで熱意は本当に伝わってくる。人の好さは一つの美点だ。顧問として生徒には取っ付きやすいだろう。こういうところは戸倉より優れている。
彼には何が見えているのかわからない。楽観的とも取れるが、これ以上は踏み込めない。己の理論があるなら、それを見守るしかなかった。
限りなく脆いものだとしても――。
結果として、その年の夏は予選を勝ち抜くことはできなかった。
呆れることもなければ、哀しむこともない。予想が当たったことに対する満足感みたいなものもなかった。
(そりゃそうだろうな)
試合内容にも惜しかった点はない。大方が戸倉の思っていた通りに運んだ。序盤で相手にリードされ、後半になって差が開いていく。少しだけ点を詰める場面もあったが、相手を焦らせるほどではなかった。
バスケは流れのスポーツである。一本のシュートやミスで展開ががらりと変わることは多々ある。だから百パーセント勝てる試合はない。
しかし、勢いや流れだけでは覆せない事があるのも事実だ。
彼らは弱いチームには勝てたが、強いチームには粘れなかった。起こるべき事が現象として現れたのだ。極めて当たり前の結果が訪れただけである。
これでどうして失望などできるのか。もちろん悔しさや疲労感などもない。
泣いている三年生もいたが、戸倉からすれば泣く資格などないように思えた。本人たちはどう思っているかわからないが、全力を尽くしたとは思えなかった。
勝利するためにはやらなくてはいけないことがあり、やってはいけないことがある。番狂わせを起こした者たちは、ただ奇跡を待ち望んでいたのではない。そうなる要因を積み上げていた。
彼らはそれをしなかっただけである。泣く前にやるべきことがいくらでもあったはずだ。それを思うたびに、悲しみに浸ることに抵抗が生まれてしまう。
別に子供たちを責めているのではない。現状に甘え、緊張感がなくなったのは事実だが、全ての責任を被せるのは酷というものだ。
「負けたことは仕方ない。ちゃんと切り替えて、君たちの糧にしていこう」
どこまでも前向きで元気な人だった。こういうチームにしてしまったのは誰なのか。
「お疲れ様でした。色々と大変だったでしょう」
試合後に改めて古川を労う。指導者になって、初めての本格的な大会が終わったのだ。表には出さないが心労はあったはずである。
「やっぱりあの速さにやられてしまいましたね。こっちもシュートが入れば、流れが変わったんですけどね」
悔しそうに敗因を語っている。どうやら負けた理由に技術的なところを挙げているみたいだ。
「もっとテクニックを高めないとダメですね。相手のプレーは参考にしたいですよ」
(そこじゃないと思うけどな)
もちろん表情にはおくびも出さない。本人は本気で信じているからだ。あれこれと口出しするほど野暮じゃないし、言っても無駄だろうなと思っている。
『ビックリしましたよ。平田二中は決まりかと思ってましたから』
試合後に他の先生方に言われたものである。それほど二中の男子は確実だと思われていたのだ。少なくても技術的な部分で劣っているとは思えない。
戸倉からすれば仕方ないと言うしかなかった。内情は知っているが、周囲に言うべきことじゃないからだ。
(これも経験か。活かすかどうかは彼次第だ)
確かに結果は残念だったが、彼が顧問として仕事を果たしたのは本当だ。指導内容はともかくとして、練習時間をしっかり作ったのは評価しなくてはいけない。情熱はある人なのだ。そうでなくてはあそこまで時間をつぎ込めない。
指導経験を積んでいけば、いつかは気づくかもしれない。変わらない人間もいれば、変わる人間もいるのだから。
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