第57話 理想と現実


「で、どうなったんです?」

「見りゃわかるだろ」

 この飲み会を開いていることが、何よりの答えである。酒を飲みながらどんどん肩が落ちていった。

「鉄人戸倉をこんなに疲弊させるとは。とんでもない大物ですね」

 個人に対して、ここまで不満を抱くのは珍しい。軽口を叩くときはともかく、普段は他人を悪く言ったりしない人である。だからこそ色々と溜め込んでしまうのだが、今回はよっぽどみたいだ。

「いいんですか? 敵チームに内情ぶちまけてますけど」

 他の学校の先生と飲みにいくのは悪い事じゃないし、実際に古川も行っている。

ただ今回はあまりにも内容がディープだった。

「耳でも塞ぎましょうか」

 遅まきながら耳に手を当てる。家久たちはまだしも、藤宮は男子の顧問だ。普通に大会で当たるのである。

「小清水先生はしなくていいですよ」

「あっ、すいません。つい流れで」

 付き合いで耳を塞いでいる。相変わらず人が良い。

「ばれたところで困らん。変わることなどないからな」

 どこか投げやりな態度。無責任なのではなく、諦めの念が浮かんでいる。話を聞いている限りでは、内情を知っても問題なさそうだ。特殊な練習などしているはずもない。


「でも納得できましたよ。そんな状態なら、確かにああいう試合になりますね」

 この間の練習試合を思い出す。一人一人の技術はそれなりに高いが、まとまっているという印象がなかった。試合も東大原中が勝利した。

「出来る子はいたからね。個人能力だけを見たら、うちの男子より上かもしれない」

 素直な感想である。彼女の目から見てもそう見えたのだ。

「あれ、金城くんは」

「彼はまた別ですよ。一緒にしてはいけません」

 同じ目で見てはいけない選手である。立っているラインが違い、玄だけが突出しているのだ。他の男子もレベルが低いわけじゃないが、やはり他の強い中学に比べると落ちる。


「今年って二中はどこまでいったんですか」

 家久が顧問になったのは、夏の地区大会が終わってからだ。その辺りの事情はわからない。

「ベスト4にも行けなかったよ。個人は良くてもチームはバラバラ。似たような展開さ」

 先日の練習試合を観ていないはずだが、戸倉には内容が手に取るようにわかるのだろう。きっと何度も観てきたからだ。

「今までの実績があるから新入生は集まるのさ。学区が違うのにわざわざ通う生徒もいたんだよ。以前までは地元のミニバスチームとも繋がりがあったからな」

 学校側の都合が合えば、学区外でも入学することは可能だった。チームの先輩が入学すれば、縁が出来るし、入部してからやりやすくもなる。

 それまでほとんど関わりのなかった中学に、クラブチームの子が集中するときは、こういう事情が絡んでいることもある。

「一時期に比べて数は減ってきたけどな。近年の成績を見てれば納得だが」

 当たり前だが、学区を超えて入学するのができないときもある。そういうときはわかっていてもその中学に入るしかない。区立中学を自由に選ぶのは難しいのだ。

 期待して入学したのはいいが、待っていたのは希望とはかけ離れた現実。子供や親からしたら笑えない話である。

「それでも充分なくらい面子はいるぞ」

 情報の精度がどこまで高いかはわからないし、入学前の子供からどんな評価をされているかもわからない。

 だが少なくても練習だけはさせてくれるのだ。学校によっては練習がほぼないこともあり、顧問がバスケを知らない事もザラにある。

 それに比べれば、遙かにマシな環境に見えるだろう。

「あれでどうして勝てないんだよ」

 思わず愚痴を零してしまう。言いたくなくても言ってしまうのだ。自分が顧問になったときとはスタート位置が全然違う。羨ましくて仕方ない戦力を毎年持ち続けていた。

 ようやく新入生に有望株が入ってきたが、ここに来るまでどれだけ大変だったのか。戸倉から見れば、情けない事をしているとしか思えないのだ。


「毎年、同じことを繰り返している。何も変わらないよ」

 予想通りといえば予想通りである。古川は今年で三年目らしいが、一年目とほとんど変わっていないらしい。もちろんチームが変わることもなかった。

「それどころか年々チームは酷くなってる。困ったもんだ」

 驚きはない。緩んだままいけば、それがチームの基準となる。緊張感のなさは練習のクオリティを落とし、本来の効果を得られない。

「似たような練習ばかりな上に集中力も落ちているからな。ただ流されるままに練習をやってるだけだ。積み重ねる量は減るわな」

 一日毎に一段一段重ねていくのではない。数週間やって、ようやく一段重ねられるかどうかだ。思った通りにいく訳がない。

「自分たちで気づけって言っても、難しいですからね」

 男子は肉体の成長が顕著に表れ始める。身体が大きくなり、スピードも上がれば、自他共に上手くなっているように思えるだろう。表面的なものに目が暗み、勘違いは加速していく。

「入学時より下手になっている部員もいるかもな。本人たちは気づいていないかもしれん」

 以前は出来ていたことが出来なくなる。別に珍しい話ではない。技術を積み重ねるのは大変でも、失われるのは簡単なのだ。

「人間は楽をするものですからね。そういう空気に流されるものですよ」

 自分から苦しい道に行くのは難しいことだ。そうしなくちゃいけないと頭でわかっていても、行動に移せるかは別である。


(? どうかしたのかな?)

 ふと藤川に目を向けると、顎に手を当て、何やら考え込んでいる様子だった。何か思うことがあるのだろうか。気にはなったが、会話が流れてしまったので声をかけられなかった。


「だから指導者が気づかなくちゃいけないんだがな。肝心の本人がわかってないんだよ」

 同じ失敗をずっと繰り返しているのだ。戸倉からすれば、録画した映像を見ているようなものである。

「チームが崩壊していく様をまざまざと見せつけられたよ。やるせないものだ」

 学生時代から色々と指導を勉強してきて、似たような事例も知っている。それでもどうにもできないことはある。戸倉に能力があっても、手が届かないことはあるのだ。


「なんだか悲しいですね。せっかく強かったのに」

 小清水の呟きがリビングに響く。ここにいる全ての者の気持ちだ。相手のチームだからというのは関係ない。

「そういうもんですよ。積み重ねるのは大変でも、壊れるのは本当に簡単です。それくらい組織は脆いものですよ」

 どれだけ有能な組織でも簡単に壊れる危険性を秘めている。たった一人でもそれが出来てしまうのだ。実に呆気ないものである。

「ガツンと言ってやればよかったのに」

「できるか。相手はお前じゃないんだぞ」

 この数年間、戸倉は戸倉なりに何とかしようとしてきたはずだ。出来る範囲でやれることは全てやったと思える。知り合いだから擁護する訳ではない。

 そもそも彼は男子の担当じゃないのだ。本来なら無関係なのである。彼を責めるのはお門違いというものだ。

「熱意はある人間なんだけどな」

 話を聞いている限り、古川は決して悪い人間じゃない。チームのために動いているのも本当だ。自分や戸倉よりも真面目といって良いかもしれない。そうでなくては時間を費やすことはできない。

 ただそのやる気や情熱が致命的に噛み合っていないのだ。努力するべきポイント。向かうべき方向が大きくずれている。

「悪意のないのが余計に複雑ですよね」

 仮に古川が目に余る行為をしているならば、戸倉だって黙っていない。どれだけ越権行為だとしても、はっきりと悪い点を指摘するし、場合によっては怒鳴りつけるだろう。

 その結果、退っ引きならない事態になっても構わない。教師として見過ごす事のできない案件だからだ。これは大人の責任でもある。

 だが彼の行動は善意から来ている。むしろ周りから見れば、生徒に寄り添っているように見えるだろう。

 実際にそれは正しい。

 練習時間はしっかり確保している。生徒の悪口など言わないし、怒鳴ることもしていない。多少の見通しの甘さはあるが、部員を勝たせたいという意志は紛れもなく本物だからだ。ただ己の意志が行動に結びつかないだけである。

 だからこそ、この問題は簡単に解決できない。本音をぶちまけて何とかなるなら、とっくにそうしている。大人同士はそう簡単に事は運ばないものだ。


「采配の面は・・・・・・聞くまでもないですね」

 この間の練習試合を思い出す。金城玄というエースがいることは周知の事実のはずだが、対策を立てているようには見えなかった。

 試合中に声を掛け、注意をしたり、叱ったりする。別に怒鳴りつけろと言っている訳じゃない。必要な指示は出すべきだ。

「試合中も褒めていましたね」

「選手たちの気分を乗せるつもりなんだろうな。やりたいことはわかるんだよ。わかるんだが欲しいのはそれじゃないんだ」

 プレー中に自分で考えるのは限度がある。だから指導者の力が必要になってくるのだ。

「大人を育てる方が難しいな。つくづくそう思ったよ」

 実感が込められている。家久のように最初から師弟関係を結んでいれば話は別だが、新しく関係を築き、成長させていくのは簡単ではないのだ。


「こういうことなんですか。名取先生が言ってたのは」

 経験者だからといって上手くいくものではない。家久が常に心掛けている事である。こういうケースは珍しいものではない。

「でもどうしてそんなことになるんですか。私から見たら知識は一杯あるのに」

 小清水が疑問を零す。未経験の彼女には不思議に思えるのだろう。

「指導者といっても見るべきポイントが違いますからね。どこを重要視するか、何処を指摘するかで変わってきます。本人には見えていないこともある」

「ノリだけでやったりする人間もいるからな。理論だって自分のものにできていない」

 教科書に書かれたことをそのままやっても通用しない事は多い。最初は良くても行き詰まるときがやってくる。そこから自分や相手のケースに合わせて、応用していく必要が出てくるのだ。

 本人が何を重要視するかで、見なくてはいけないところが変わってくる。どう教えるかは責任者によって違ってくる。最低限に必要な事が教えられていない事も珍しくはない。

「別に古川先生のやり方が間違っている訳じゃないですよ。褒めて伸ばすのは立派な指導方法の一つですから」

「じゃあ何が問題なんですか?」


「「「勉強不足」」」

 この場にいる三人の声が綺麗に揃う。思い当たる大きな原因である。


「褒めて伸ばすのは難しいですよ。何でもかんでも怒鳴ればいい訳じゃないけど、叱るところはちゃんと叱らないとね」

 思い当たる場面があったのか、小清水が口を押さえる。

 怒る姿とは無縁に思える家久も、叱るべきところは叱っていた。締めるところは締めているのだ。強烈に怒鳴りつける事はしてないが、だからといって緩いわけじゃない。締めるべきところは締めていた。

「短いスパンならそれでもいいけどな。教える側に技術がないと上手くいかないわな。あるいは相当できた選手が揃ってるときか」

 指導するのは日や週ではない。年単位なのだ。長い時間を掛けるのなら、当然それに合わせた計画性を持たなくてはいけない。

「本人は何とかなると思ったんだろうな。ましてや相手は中学生だ。指導は簡単だろうと思っても不思議じゃない」

 自分は経験者だ。このやり方で上手くいった。それをそのまま当て嵌めている。プレイヤー視点のまま指導に移っている。実際に自分はこの練習で成功したし、上手くなったのだ。

「己のやり方を正しいと信じている。だから他のやり方が思いつかない。仮に違うことを参考にしようにも、どれをやればいいのかわからない。結果として新しい練習方法も取り入れられない」

「取り入れたとしても、指摘するポイントがわかりませんからね。ただやるだけの練習になる。だったら自分のわかる練習をやらせた方がマシです」

 己の理論や考えに拘り続ける。それで上手くいくケースもあるが、今回は上手くいってないケースだ。

「本人が一番困惑してるかもね。こんなはずじゃないって」

 原因がわからないから解決法も提示できない。誰かに聞くのはプライドが許さないのかも知れない。


「勉強はしないんですか?」

「本人なりにしてると思いますよ。でもそれが繋がるとも限らない」

 勉強すれば誰もが名監督になれるなら苦労はしない。全員が満点を取れないのは、教師でなくてもわかることだ。勉強する方向性が違うと変なところに着地するのは、何もバスケだけではない。

「個人技だけで勝たせたいなら別にいい。それを活かしたチームにすればいいだけだからな」

 セットオフェンス、速攻、シューティング、一対一で戦う技術。何を重点的にやらせるかは監督の決めることだ。オフェンスしかやりたくないならそれでもいいのだ。縛りなどない。

「だけど今は好き勝手に動いているだけだ。個人技を発揮する場面が作れていない」

 問題は特化させるためにやることが足りてないことだ。

 あのコートの中で十人の人間がひしめいている。一対一をやりたくてもできない状況が出てくるのだ。

「チームっぽい攻め方ができても偶々だよ。どうしてできたのかわかってないから再現性はない」

 そういうときに皆で状況を作らないといけないのだが、味方が邪魔になるようなところに立っている。失敗しても誰もヘルプをしてやらない。そもそもどう助けていいのもわからない。勝手に動いているだけである。

 チームの決まり事がないからである。

 別に難しいことじゃない。これだけはやってはいけない。これだけはやろうという。最低限の統一したルールでいいのだ。

 それがないから選手たちは迷ってしまう。自分で考えて動こうにも何がダメで、何が良いのかわからない。監督は何をしてもずっと褒めてくれるのだから判断できなかった。


「でも随分と難しいことしますね。わざわざ険しい道を行くようなものだ」

 ある程度の経験を積んでからやるならわかるが、指導を始めた最初にやるのは厳しく思えた。家久でさえ、練習を見ていて苛立ちことも多いのだ。古川と同じやり方をしようとは思えなかった。

「怒るのが嫌なんじゃなくて、怒られるのが嫌なのかもね」

 グラスを傾けながら、藤宮がぽつりと零す。

「その心は?」

「小さいときに怒られすぎて嫌な思いをした。もしくは誰からもあまり褒められなかったとかね。あくまで仮説にすぎないけど」

 何となく納得が出来る意見だった。そういう体験があるからこそ、自分はこうしようという考えに至るのは実にわかりやすい。

「彼がどういう体験をしてきたかはわからんが、大切なのは目の前の指導だからな。マズいことに保護者が騒ぎ出しているんだよ」

「そいつは恐ろしいですね」

 戸倉と同じように頭を抱えたくなる事柄である。SNSが広まり、現代は昔よりも人同士が繋がりやすい。生徒間で教師の悪口が飛び回っているのは想像に難くない。ただ学生という事を鑑みれば、ある意味で健全とも言える。

 問題は親まで同じように騒いでしまうことだ。これが厄介な事態に繋がる事もある。大人の行動力は生徒に比べて、遙かに大きいからだ。

「仮に勝てなくても、選手が上達していればまだいいんだがな」

 試合の結果。もしくは選手の成長。どちらかがあるなら文句はないだろう。しかし現実はどちらもない。これではやり方に不満が出ても無理はない。


「でもこれがどうして先輩に繋がるんですか」

 今のところ一人のダメな指導者の不備を語っているだけだ。同じ学校のチームでも、本来なら女子の担当である戸倉には関係ない。むしろ出来る範囲のことをしたと思う。

 何故ここまで追い込まれているのだろうか。

「それなんだけど、少しだけ反論させて」

 藤宮がちょこんと手を上げる。

「この間の地区大会。確かにベスト4にはいけなかったけど酷すぎる訳じゃなかったよ。少なくても春に見たときとは動きが違っていた子がいた。さっき戸倉先生は何も変わっていないって言ってたけど、そういう風には思えなかったかな」

 先程は妙に考え込んでいると思ったが、どうやら彼女なりに違和感を抱いていたようだ。

 家久は二中の男子を見比べていない。どういう変化があったのかなどわかりはしなかった。戸倉も戸倉で自チームというフィルターが掛かってしまう。

 それだけに第三者の意見は貴重だった。藤宮の目なら信用できる。

「練習試合のときもそうだった。チームとしてまとまってないのは本当だけど、全員がバラバラじゃなかったよ」

 前へ行こうとする子と後ろに下がろうとする子。意思統一が出来ていないので、動きが連動しておらず、チグハグさが目立っていた。

 しかし、前に出てきた方がチームとして恐かった。というのが藤宮の意見だ。わかっている数人がまとまって出てきたときは、実際に押されかけたらしい。

 別に下がって守るのが悪いのではない。その下がった後でどう守るかを示してないから、恐くないのだ。それなら強引でも前に出てきた方が嫌だったのだ。

「少なくてもあの動きはわかっていないとできないかな。戸倉先生が言う程じゃなかったと思いますよ」

 この会を開いた男に視線が集中する。本人はグラスを煽りながら、そっぽを向いていた。


「先輩、あんたまさか」

「・・・・・・仕方なかったんだよ」

 語ろうとする姿は疲労感が満ちている。どうやら本番はここからみたいだ。


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