第53話 守るべきこと


 放たれたシュートは大きな弧を描き、リングへぶつかる。ディフェンスがリバウンドを拾うと素早く攻めに転じる。攻守が代わり、オフェンス側は素早く守りに入った。

 それでも勢いは止まらない。オフェンスのパスが通り、ランニングシュートが入った。ディフェンスがいてもしっかり決めてきた。

 再び攻守が入れ替わり、スローインからノーマークでパスが入った。そのまま攻撃が始まろうとする。


 高らかに笛が鳴り、プレーが止まる。部員たちの意識が集中した。

「どうしてフリーになった?」

 コートの中に入ってきた家久が、選手たちに問いかける。静かな口調だが圧を感じた。空気が張り詰め、緊張感で満たされていく。

「打ったらそれで終わりじゃないだろ。やることがあるんじゃないのか」

 一人の部員に矛先が向けられる。どこか不満そうな顔をしていた。シュートを外した部員を叱るならまだしも、彼女は入れたのだ。納得しないもの当然だろう。

「シュートの成否は関係ないぞ。一つの行動が終わったら、すぐに次の行動に備えるんだろ。この場合はどうするんだっけ?」

 だが家久の指摘している点はそこじゃない。

「も、戻ることです」

 二つのプレーの違いは簡単だ。

 片方はシュートが外れてもすぐに守りに入った。結果として点を入れられたが、守るべき位置には付けていた。

 一方はそれができなかった。安心したのか、忘れたのか、シュートを入れて終わりになってしまった。やるべき事をしなかったのだ。


「わかってるならやろうよ。その切り替えが遅いから、ノーマークでボールを持たれたんだ。これは上手い下手の問題じゃない。意識があるか、ないかだ」

 ディフェンスに付くことは実力に関係なくできるのだ。相手と勝負してやられるのは仕方ないが、最初の段階を怠ったら勝負の場にも持ち込めない。自分たちで出来るところまではやらないといけない。

「こっちを待ってくれるほど、相手はお人好しじゃないぞ。力を抜いてる暇がどこにある。シュートを打って終わりにしないでくれ」

 家久はお構いなしに詰めていく。わかりやすく怒りを見せない男だが、叱っているのだとはっきりわかる。さくらですら余計な茶々を入れることが出来ない。

「出来ることをやるんだろ。チームで約束したことは守ろうよ」

 切り替えを早くして、次の行動に移れるようにする。ワンプレー毎に気を抜いたり、足を止めていたら何も起こらない。ピンチを招くだけだ。

 別に難しいことを求めているわけじゃない。まずは当たり前の事を突き詰めないといけないのだ。このチームはまだそういうレベルである。

「味方がマークしないなら、誰かがカバーする。これも決めたことだよな。ボケッと見ている余裕はあるのかい?」

 ありません、と選手たちが応える。声の強弱に差はあるがちゃんと答えた。彼女が出来なかったら、他の子が助けてやればいいのだ。残念ながらそのヘルプも遅かった。

「誰もいかないなら、声を出して確認する。自分は関係ないじゃ済まないよ。それとも実力がなくちゃ声は出せないのか」

 守るべき約束事をチームで徹底する。その内容は何度も言い続けてきた。一年も二年も変わらない。レギュラーも控えも関係ない。全員が共有していなければおかしいのである。

「疲れて出来ないなら休んでいいからさ。無理はしなくて良いよ」

 フランクに接しているようでも、はっきりと線は引いている。指導者と選手なのだ。練習中に気の抜けた事をすれば、当然指摘する。ダメだったところはちゃんと叱る。締めるところはきっちり締める。ようはメリハリが必要なのだ。

「それじゃあ続けて」

 練習が再開する。しっかりと目は光らせていた。



「私たちって上手くなってるんですか?」

 休憩に入ってから、小清水が問いかけてくる。

 新チームになってから何度か練習試合をしたが、結果はまちまちだった。全勝したとか、逆に全敗したとかならわかりやすかっただろう。

「全ての試合で負けることも中々ないですよ。去年だってそうだったでしょ」

 公式戦では一度も勝てなかったが、練習試合では何度か勝ったこともあるらしい。圧倒的なまでに周りと差がある場合は別だが、そこまで離れている訳でもない。

「試合の流れなんて変化するものですからね。この前もそんな感じだったでしょ」

 一試合目はボロボロだったのに、二試合目は何とか勝つことができた。内容だけ見ると別のチームみたいである。これはうちのチームに限ったことではない。どこでも当たり前に起きる現象なのだ。

 チームは生き物であり、プレーするのは人間である。

 メンタルや調子の良し悪しといった様々な要素が重なり、本来の力が出せないこともある。ましてや学生同士である。安定しないことは珍しいことじゃない。

 全員が絶好調ということはほとんどなかった。持っている全ての力を都合良く出しきるのは難しいことだ。

 また相手がベストメンバーで来るとも限らなかった。怪我などで誰かが外れることはよくあるのだ。

「勝敗だけ見ていたらわからないこともありますからね。あんまり一喜一憂しない方が良いですよ」

 だからこそ中身に気を配る必要がある。選手の力を頭に入れ、見極めなくてはいけない。出来ることが出来たのか。守るべき事を守れたのか。

「結果を出すためには内容に拘らないとね。そうじゃなきゃ再現性は生まれませんから」

 時や相手を選ばず、守るべき事を実行できるようにする。どれだけ説明しても、行動に現れなければできないのと一緒だ。注意された事をすぐに直せるなら、この世は名プレイヤーだらけになっている。

 出来なければ何度でもやらせる。わからないならしつこいくらいに言い続けるのだ。根気と体力はいるが、指導者として疎かにできなかった。

「一言で伝われば楽なんですけどね。誰かそんな道具でも開発してくれないかな」

 同じ話を聞きながらも部員たちはどれだけ理解しているのか。口では返事をしているが、果たして何処まで響いているのか。表面上だけかもしれないのだ。

 真面目な顔の子、真剣な顔をしている子、どこか他人事のように見ている子、のほほんとしている子、上の空になっているように見える子、表情が変わらない子もいる。

 人間が集まれば、態度や表情も個々で違うものだ。頭の中までは覗けず、理解しているか判別できないこともある。こればかりは自分の経験がまだまだ足りなかった。名指導者なら見抜けるだろう。

 それでも少しは集中力が付いてきていた。まずは話を聞く姿勢を徹底させたからだ。最初はよそ見をする部員もいたのだから。

 意識を変えるように仕向けることは出来る。やる気を出すように促すことも出来る。でも最終的に変わるのは自分自身だ。本人の意思がなければ、他者はどうにもできない。



「でもやっぱり試合には勝ちたいですよ。練習試合でも嬉しいものですから」

 家久の言っていることはわかっている。わかっていてもそう思ってしまうのだ。勝利の味を知ってしまったからだ。実に甘美なものである。

「だからってあんまり泣かないでくださいよ。目が腫れちゃいますよ」

「い、いいじゃないですか。本当に感動したんですから」

 試合が終わった後、ボロボロと泣いていたのだ。練習試合であれなら本番はどうなってしまうのか。

「部員たちも小清水先生と似たような気持ちですよ。多少浮かれるのも想定内です。まだまだそういう段階ですから」

 部全体の空気感は何となく感じ取っている。浮かれている部員は見てればわかるからだ。強いチームに勝てば、こうなる気持ちもわかる。

「ある程度は調子に乗るのも仕方ありません。試合でやるべき事をやってくれればいい」

 プレーで手を抜かないなら、普段は少し浮かれていても問題ない。ようは集中力と切り替えが大事なのだ。

「それができないから言い続けるんです。良くないプレーをしたらね」

 指導者として締めるところはきっちり締める。叱るべきところは叱るのだ。これを怠ると厄介な事になる。

 これが強豪チームならまた違うだろう。チームで積み重ねてきたものがあり、先輩たちの振る舞いを見て、学ぶことも出来る。高い意識だって持つことができるのだ。

 しかし、このチームはまだ生まれ立てもいいところだ。挨拶や練習をする姿勢など、最低限のことからやらないといけない。

「階段を飛ばせば、躓くこともあるんです。雨の日なんか目も当てられませんね」

 焦れば焦るほど碌な事にならない。どれだけ小さくても一歩一歩進んでいくしかないのだ。頂はどこまでも高く、気が遠くなる作業である。



「先生はどうやってそんな指導論を確立したんですか?」

 どこか不思議そうな顔を浮かべている。疑問を抱くのは尤もだ。これまでほとんどチームを率いたことがないのだから。

「そんな大層なもんはありませんよ。指導者としての理想なんてものもない」

 崇高な考えなどありはしない。必死にやっているだけだ。

「ただ口うるさい男がいただけです。押し売り強盗に近い男がね」

 口端を上げながらため息を零す。こちらが頼んでもいないのにやってくる。本当に困った人だった。

「俺のやってることは、その男の真似事みたいなものですよ。オリジナルで全てを作り出すのは難しいですからね」

 誰を指しているかすぐにピンときたらしい。小清水は軽く笑みを浮かべている。

「美しい師弟あ」

「止めてください。マジで、いや本当に」

 慌てて遮った。そんな風に言われると尻が痒くなる。

「押しつけられたものを売り捌いているようなもんですよ。勘違いしないでください」

 美しさなど断じて感じない関係性だ。捻じ曲がって腐れた縁である。あまり良い方向に捉えないで欲しかった。

「まずは真似をしてみて、自分に合うやり方を模索する。そうすれば自分の作りたい色が見えてくると思いますよ」

 それがチームの色となり、核となる。

 家久と真逆の事を言う人もいるが、それは当たり前のことだった。哲学や信念などそれぞれだし、好みもある。原則や約束事など指導者によって違ってくる。

 だからこそチームの数だけ正解があるのだ。全てが解決する方法論など中々導き出せないものである。そんなものがあるならどんな相手にも負けないだろう。

「じゃあ私も名取先生の真似をしようかな」

「勘弁してくださいよ。実績のある人間なんて他にもいるでしょう」

 そんな人間ではないと何度も言っている。参考になる指導者など山ほどいるからだ。

「昔の結果よりも、今はどう教えているかが大切だ。名取先生が言ったことですよ」

 思わず口籠もる。確かに自分が言ったことだからだ。

「どれだけ立派でもその指導法が自分に合うかわからない。これも先生が」

「わ、わかりましたよ」

 全てがブーメランになって返ってくる。この場で説き伏せることは無理そうだ。ゆっくりと言っていくしかない。



「パスだって! 前に出せる!」

 大声がコートに響き、手を叩く音が重なる。反対側では男子が練習をしていた。

「戻れ! ディフェンス忘れんなよ!」

 叫んでいるのは玄だ。自分がボールを貰うだけでなく、味方に指示を出しながらコートを駆け抜ける。ボールがあってもなくてもコート内で目立ちまくっていた。

「怒ってるんでしょうか?」

「そういう訳じゃないと思います。ただヒートアップしているのは間違いない」

 恐らくは同学年の仲間に言っているのだろう。ただでさえ体格が大きく、声にも圧がある。端から聞いていると、怒っているように聞こえてもおかしくない。

「男子はぶつかり合うのが当然ですからね。多少言い方がキツくなっても仕方ない。ただ、」

 少し気になったのは声を発しているのが玄だけなのだ。一方的に要求しているだけで、言い合いにはなっていない。他の選手は口を出すことを遠慮しているようにも見える。

「こっちはこっちでやりましょう。よそはよそ。うちはうちですね」

 女子の面倒をみるだけで精一杯である。向こうには向こうの考え方があるのだ。余計な口出しをすると碌な事にならない。


「でもあの熱さは見習いたいですね。流れる汗。熱くぶつかる気持ち。夢に向かって真っ直ぐに進んでいく。これぞ青春って感じです」

 恥ずかしげもなく口にする。実にキラキラしていた。

「止めてくださいよ。どっかの誰かじゃあるまいし」

 青春ドラマが好きな知り合いの顔が浮かんできて、思わず舌を出してしまった。

「いいじゃないですか。あの漫画、面白かったんですよ」

 小清水は勉強のために映画や漫画などにも触れている。お勧めを訊かれたので有名なものを教えてあげたのだが、すっかりハマってしまった。今となっては家久より、そういう方面に詳しいかも知れない。

「違うものだって考えた方がいいですよ。あくまでフィクションですから」

 現実と分けている戸倉に比べて、小清水はどこまでも信じてそうだ。ただ彼女の場合、それでも指導が上手くいきそうだった。一体どんな指導者になるのか。まるで読めなかった。

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