第50話 ダメ人間と言わないで


「お疲れ様です」

 準備室に戻ると、小清水が飲み物を渡してくれた。とりあえず今日の予定はこれで終了だ。

「ありがとうございます。先生も少しは慣れましたか」

「少しずつですけどね。まだまだわからないことばかりです」

 ベンチに入ってもメモをしっかり取っている。わからない用語やプレーなどはちゃんと家久に訊いていた。下手すれば生徒たちより真面目かも知れない。それは構わないのだが。

「やっぱり一々メモ取るのは止めてもらえませんか。あれ、ちょっとキツいんですけど」

「自分の発言には責任を持ってくださいよ」

「ノリと勢いだけのときもあるんですよ」

 練習内容などはいいとしても、己の言ったことまでメモされるのは本当に恥ずかしい。正直深く考えて喋っていないときもある。これは何度も言っているが止めてくれないのだ。


「もう少し肩の力を抜いた方が良いですよ。焦っても仕方ないし」

「私はスタートが遅れていますから。運動部でもなかったので、生徒たちの気持ちがわかるかどうか」

「経験者が全員名監督になれるなら苦労はしませんよ。むしろ未経験の方が良いときもある」

 これも何度も言ってきたことだ。同時に自分への戒めでもある。どれだけバスケをやってきても、指導者として上手くいく保証はどこにもないのだ。

「でも色々と楽なんじゃないですか」

「多少の近道は出来るかもしれませんね。ただ経験者は経験者で色々とあるんですよ」

 時に経験が足を引っ張ることもある。自分の成功体験が間違った自信を植え付けることもあった。己の役に立つかは別問題なのだ。

「プレイヤーのときとはまた違いますからね。この辺りは先輩に聞いた方が早いですよ」

 指導者ならではのアレやコレは、愚痴混じりに何度も聞かされてきた。戸倉はそれなりに長く指導者としてバスケに関わってきたので、より沢山の失敗談も知っている。

 失敗から学べればいいのだが、なかなか上手くはいかないみたいだ。同じ失敗を繰り返す例も多いらしい。この辺りは選手も指導者も変わらなかった。

「是非お願いします。今度機会を作ってください」

 社交辞令という感じはしない。本気で話を訊きたがっているようだ。

「・・・・・・考えておきます」

 この熱意なら戸倉も気に入るだろうが、果たして誘ってもよいのだろうか。行くなら当然飲みの席だが、はっきり言って二人の酒量は凄い。

 今でこそ少しは落ち着いたが、話したくない体験談はいくつもある。下手すれば魔境になりかねない飲み会に、こんなうら若き純粋な女性が来たらどうなるのか。引かれるどころじゃすまないかもしれない。


「あの本も戸倉さんの物なんですよね。本当に面白かったです」

 最近では部屋にある本や専門の映像ソフトなども借りていた。彼女の熱意には本当に頭が下がる。

「よければまた貸してもらえませんか。お礼は今度しますので」

「そんなの気にしないでくださいよ。棚で埃を被っているよりマシでしょ」

「でも私ばかりお世話になるのは」

「ちょうど処分に困ってたんでね。こっちとしても助かります」

 ほとんどは押しつけられた物である。部屋を圧迫しているのは本当なのだ。暇潰しで流している自分よりも、小清水の家にある方がよほどタメになる気がした。

「いらなくなったら捨ててください。文句なんか耳から流せばいいですから」

 うるさく言われる筋合いはない。押しつける方が悪いのだ。

「そ、そういう訳にはいきませんよ。あれって貴重な物なんでしょう?」

「いちいち整理するのが大変なんですよ。勝手に置いていきやがって。部屋が汚れてもお構いなしだもんな」

「そもそも片付ける気なんてあるんですか?」

 実に鋭い指摘である。学生時代の家久なら答えに窮していただろうが、今は違う。

 散乱しているように見えても、必要な物は取りやすいように配置している。足の踏み場もあるし、平積みの本も箪笥の一番上までは重なっていない。ゴミだって一ヶ月分は溜まってなかったはずだ。消費期限の食品も多分捨てている。

 充分なほど片付いているレベルだ。


「さて、明日も暑そうだ。いっそ雨でも降った方が涼しくなるかも」

 じっとりとした視線を華麗に避けるが、簡単に逃がしてくれなさそうだ。

「なんか心配になってくるんですけど。洗濯とか本当にやってますか?」

「バッチリですよ。同じ服は一週間も着ませんから」

 学生のときとは違うのだ。変な格好をする訳にはいかない。自信満々に答えたのだが、小清水の顔色がますます悪くなっていく。視線の刺々しさが増しているのは、気のせいではないだろう。

 彼女には食生活が酷いことも知られている。下手したらダメ人間と思われているかもしれないので、一応弁明はしておく。

「ギャンブルに熱は入れてないですよ。借金だってしてません」

 馬券などはたまに買ったりするが、せいぜい嗜む程度である。金銭問題で身を崩してもいない。

「それとこれとは別だと思いますけど。というか普通は借金なんてしませんよ。なんでそんな方向にいくんですか」

 どうやら効果は今ひとつみたいだ。むしろ余計なカードを与えてしまった。

「まさかギャンブル以外で借金したことが」

「おっと、男子の試合が始まったかもしれませんね。暇潰しに観ていこうかな」

 追求を避けるためさっさと席を立つ。これ以上は藪蛇になりそうだった。

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