第48話 夏が始まる


 体育館にはじめじめとした暑さが籠もっており、背中がじっとりと汗で滲んでいる。座っているだけでも蒸し暑さが付きまとっていた。

 七月に入ったからといって、いきなり梅雨が明けるものではない。空は灰色の雲に覆われていても、気温が下がることはなかった。いっそ雨でも降った方が良いかも知れない。扉を開放していても、涼しい風が入ってこないのだから。

 コートの中ではそんな暑さを吹き飛ばすように、勢いよくボールが弾んでいる。


「攻め気を忘れるな。また引きこもる気か」

 走り回る彼女たちに比べれば、椅子に座れるだけまだマシだろう。

「まずはボールを取れ。次の作業はそれからだ。一個一個の手順を省くなよ」

 と言ってもただベンチに座っているだけではない。試合の流れをしっかり見なくてはいけないからだ。選手への指示はもちろん、交代選手なども考えておく必要がある。のんびり見学できるならどれだけ楽か。

 これが絶対に勝たなくてはいけない試合なら、緊張感はこんなものではない。先のことを常に考え、対処しなくてはいけなくなる。

「パスをさばくならちゃんと相手を見ろ。困ってから適当に投げるな」

 もし悪いプレーをしたらその場で指導もする。試合をしながら練習をしているようなものである。

 監督の指示を確認したり、作戦のズレを直すことはあっても、悪かったプレーを試合中に指導して直すなど、プロではほとんどないだろう。こういうところは学生ならではだ。その場で言わないと、大抵は忘れてしまう。賢い選手ばかりじゃない。

「突っ込むのはいいけどシュートは狙って打て。勢いのままぶん投げるな」

 間違いなく現役のときよりも頭を使っている。自分の事だけを考える訳にはいかないからだ。

 頭脳もまた一つの体力だ。頭を稼働させ続けるには、それだけの集中力やエネルギーがいる。普段から鍛えていなければ、いざというときに動いてくれない。奇策や妙案は、正道を磨くからこそ生まれ出るのだ。

「体力付けておけよ。冷房はいつでも味方してくれんぞ」

 最近では当たり前になってきたが、まだまだ冷房が備え付けていない体育館もある。仮に完備されていても効きの悪い場所もあった。この体育館にもあるのだが、暑さ対策として今は切っている。


 試合終了のブザーが鳴り、家久は小さく息を吐いて手足を伸ばす。冷たい水で顔を洗い流したかった。

 精神的な気疲れは肉体にも影響する。足や腰が重くなるのは勘違いではない。自分がプレーする方が何倍も楽だった。

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