第45話 君のその顔が見たくて
「ようやく少しは吹っ切れたか。澄ました顔もいいけど、そっちもかなり魅力的だぞ」
掌に顎を乗せ、にっこりと微笑む。フリースローも決め、これで五点差まで縮める。
「ど、どうしちゃったんですか、三橋さん」
明らかに困惑しており、ベンチの中もざわついている。いつも真面目で冷静な冬美があんな姿を見せたのは初めてだからだ。ベンチとは対照的に家久は楽しそうにしている。
「おっ、また行ったか。積極性だけなら花丸を上げたいな」
「感心してる場合じゃないです。三橋さんを止めなくていいんですか。明らかに冷静さを失くしてますよ」
敵のオフェンスを止めて、こちらの攻撃になったのだが、味方を待たずに突撃したのである。相手のディフェンスが揃っていようがお構いなしだ。どう見ても無茶である。
暴走とも取れるような攻撃を仕掛ける姿は、味方にパスを回してチームを落ち着かせていた姿とは明らかに違う。やけになったと思ってもおかしくない。
「諦めずに油を注いでよかった。これぐらい引火した方が見応えがある」
何かを察したのかあんぐり口を開け、腰が砕けたような姿勢になる。顔を青くしながら恐る恐る家久を見つめた。
「せ、先生はこれをやらせたくて、メンバーから外すなんて言い出したんですか」
「ポジションを代えれば、少しはやる気になると思ったので」
秋穂を活かしたいという思いもあったが、全ては冬美のためでもあった。
「チームを落ち着かせるとか、ゲームメイクをするとかはもちろん大切です。そういう役割をしっかりこなせる奴ですから。でもね、そこに捉われるばかりで、あいつは自分の良さを殺していたんですよ」
そもそもレベルの低いこのチームで、上手いゲームメイクなんてできる訳がない。しっかり点の取れるパターンなど持っていないのだから。オフェンスの手段は少しでも増やしておきたい。
「スピードやテクニックは劣るかもしれませんが、敵の当たりには強い。だからああやって突っ込んだ後も自分でリバウンドを取れる」
中に切り込んでシュートにいけば、ボールの落下地点も予測しやすい。ディフェンスの陣形を崩せれば、充分リバウンドの取り合いに参加できるのだ。
芽衣が同じことをしようとすれば吹き飛ばされてしまう。リバウンドを取っても、狭い中で身体を寄せられたらシュートにいけない。そのぶん冬美なら負けずに攻められる。
「そういう長所があるのにやろうともしなかった。部屋に鍵を閉めた子供みたいですよ」
「じゃあ直接言ってあげればよかったじゃないですか。そんな機会はいくらでもあったはずですよ。なにもあんな回りくどいことをしなくても」
「言われなくてもわかってるはずなんです。あいつは頭の良い選手ですから。こっちは何も禁止していない。ミスをしても怒らないのに勝手に自制していた。自分で自分を縛っていたんです」
生来の真面目さなのか、責任感が強いためか、あるいは頑固なためか。理屈はわかっているだろうが、いざコートの中でできるかどうかは全く別である。
冬美が特別な例という訳じゃない。
どれだけ指導しても、同じことを言い続けてもできない選手はたくさんいる。下手な訳ではなく、話が聞けないほど不真面目ではないのに、頭の中へは完全に入っていないのだ。
結局そういう選手は自分で変わるしかない。能力があるにも関わらず、それができずに埋もれていった選手は多い。
一年の元気な奴らと混ぜたり、ちょっかいを掛けてきたおかげで少しは踏ん切りがついたようだ。
秋の大会まで時間はなく、多少強引でもやるしかなかった。芽が開かないまま来年を迎えてしまう可能性もあったのだ。そうなれば本当にポジションがなくなる。
「あっ、三橋さん。駄目です!」
小清水は思わず目を瞑る。再び積極的に切り込んでいったのだが流石に無謀すぎた。相手もくるのを予測しており、早めに囲みにきたからだ。逃げるスペースもなければ、シュートを打つこともできない。完全に捕まりそうになる。
「それだ」
冬美の手から離れたボールはゴールに向かわない。手にしたのはさくらだった。囲まれる直前にパスを出したのだ。困惑したが慌てて打った。これで三点差。残りは一分を切っている。
切り込んでからパスをさばく。ガードをやって広い視野を培ってきたことは、冬美の力になっている。やっと活かす方法に気付いたようだ。攻撃のパターンが増えれば、ディフェンスも守りにくくなる。相手は完全にかき乱されていた。
それはオフェンスにも影響する。終盤の勢いに押されたのか、平田二中の選手が慌て始めたのだ。動きがどこかぎこちない。点差や時間を使い、上手く逃げ切るということができないみたいだ。ミニバス上がりといっても、こういうところで未熟さが垣間見える選手もいる。
その隙を冬美は逃がさなかった。秋穂が止めた選手に対して、ダブルチームを仕掛けたのだ。この試合で冬美が積極的に動いたのは初めてであり、相手は面食らっている。今まで仕掛けてこなかったのだから当然だろう。
ボールを取った秋穂からパスを受け取り、ドリブルで上がっていく。少し前を走る翔子と芽衣がボールを呼び込んだ。
だがディフェンスも戻っており、三対二の形となる。冬美は速度を緩めることなく、中に突っ込む。シュートを打たず、翔子に向かってボールを向ける。ディフェンスが反応したが取られることはない。
肝心のボールは芽衣の手に渡っていた。パスフェイクから芽衣にさばいたのだ。遅れたディフェンスがシュートを防ごうとするが、勢い余って芽衣を倒してしまう。
惜しくもシュートは外れたが、フリースローを獲得する。張り詰めた風船が萎むように皆が息を吐いた。
「惜しかったですね。入れば追いついてたかもしれないのに」
小清水が一番悔しそうにしている。ボディランゲージも大きい。
「仕方ないですよ。それにしても」
平田二中のベンチを眺める。戸倉はベンチに座ったまま、まんじりとせずにコートを見ている。タイムアウトも交代もしない。どうやら動く気配はないみたいだ。小さく舌打ちしながら家久は頭を掻いた。
フリースローになったのでエリアから離れ、ベンチの近くに冬美がやってくる。何か言いたげな顔をしていた。
「随分と悪い子になったみたいだ。相手を騙すなんて先生は悲しいぞ。内申点の心配はしなくていいのかい」
気を取り直して冬美に話し掛ける。茶化すような雰囲気だった。
「こうしないと勝てませんから。それに良い子でいるなといったのは先生です。生徒を悪の道に引き摺りこんだ責任はあなたにもあるでしょう。報告したら給料が減りますね」
これまでと違い、どこかすっきりとした目をしている。冷たい声音には普段以上にキレがある。
「おいおい、やったのはお前だろう。俺は騙してこいとは一言も言ってないぞ」
不敵に笑いながらも挑発する口調は変えない。冬美にはこういう風に接した方がいいからだ。もっと面白くなるかもしれない。
「だけど今のプレーは本当によかったぞ。対人競技は相手を騙しても許されるスポーツだ。裏をかいたり、嘘をついたら評価される。なにせ嘘が技術になったのがフェイクだからな」
シュート、パス、ドリブル。たくさんの選択肢の中で虚か実かという相手との駆け引きが生まれる。試合中は堂々と嘘をついてもいいのだ。
「醍醐味の一つだよ。日常生活の中じゃ中々味わえないやり取りだ。試合中は悪い子になっても許されるんだぜ。だったら楽しめよ。選択肢を自分から減らしていたら面白くないだろ」
今まで彼女は虚をつこうとしなかった。できるくせにやろうとしなかった。せっかく賢い頭脳があるのに勿体ない。
「やれるだけやってみます。それと……やっぱり先生のことは嫌いです。その顔は止めた方がいいですよ。悪人にしか見えません」
「俺ほど生徒想いの善人はいないと思うぞ。まぁ誉め言葉として受け取っておくよ」
フリースローは二本とも入り、ついに一点差に迫った。
残りは三十秒を切っている。試合は最終局面を迎えようとしていた。
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