第40話 どんなときも元気よく


 翔子は真っすぐな足取りでコートに入る。練習と変わらない。見慣れているはずの体育館。それなのになぜか狭く感じる。


(う、うるさいな。何これ)

 耳の中で太鼓を鳴らしたようにドンドンと鳴る。両チームの応援よりも音が大きく、心臓が爆発しそうなくらい痛くなる。軽いはずのビブスがダンベルのように重い。

 足は軽いのだが地面の感触が薄い。柔らかいゼリーの上を歩いている。目に入るものの色が薄い。どこにいるのかよくわからない。


(落ち着いて。冷静になって。そうだ。こういうときこそ、えっと確か)

 自分のやるべきことを確認する。まずは走ること。動けるだけ動くこと。全力でプレーするのだ。


 雷のような轟音が体育館に木霊する。それを合図に一気に走り出した。


「ちょ、ちょっと、翔子。何処に行くの!」

 悲痛な声に振り向くと、なぜか相手がボールを持っている。オフェンスとディフェンスを勘違いしていた。慌てて戻ったが間に合うはずもなく、ノーマークの相手はあっさりと点を決める。


「もう始まっているわよ。前に走って」

「ぼけっとするな。ほら、いくぞ」

 いくつもの言葉が反響するが、どれに応えればいいかわからない。このまま止まっている訳にもいかないので、とにかく走ることにした。腿に力が入らない。浮遊感は消えることなく足元も覚束ない。

 急に地面がなくなり、固い感触が襲ってきた。激しく転がり、気付いたら天井を見つめている。


「お、おい、大丈夫か?」

「あかん。思いきり緊張してる。目を覚ましなさい」

 翔子の元にチームメイトが寄ってくる。口々に声を掛けてくれるが、そんなに大声じゃなくても聞こえていた。

「へ、ヘイキ、ダイジョーブよ。ハシレばいいんだよね」

 やることはわかっている。全力で前に走ろうとするが、なぜか止めようとしてくる。切り替えないといけないのに。


「へぶっ!」

 声にならない声があがる。顔面に強烈な衝撃が走った。地面よりも固く強い感触。明らかに悪意が籠っており、翔子は背中から倒れた。


「ちょ、ちょっと。何をしているの、芽衣さん。この状況じゃまずいって!」

「パスしただけ。取れない方が悪い」

 明らかにパスという強さじゃない。ドッジボールのように加減もなしに顔面へぶつけたのだ。しかも走ろうとしたのでカウンター気味に入ってしまった。

「交代してください。どうやらプレーできそうにない」

「できるわ。ふざけるな!」

 怒りに顔を真っ赤にして立ち上がる。ヒリヒリするが我慢する。


「試合終わるまで寝てればいいのに。その方が静かだから」

「よくもやったわね。いきなり何するのよ」

「見るに堪えない。とにかく邪魔」

「もう二人ともこんなときに止めてよ。試合中だよ」

 今にも取っ組み合いになりそうだ。秋穂が必死に宥めようとする。


「レクリエーションは終わったか。ほらディフェンスだぞ」

 ベンチからいつもと同じ態度で楽しそうに声を掛けてくる。バラエティ番組を見ている人みたいだ。

「それで済ませないでくださいよ。どうなっても知りませんから」

 翔子がキャッチミスしたので相手ボールからである。審判に続行する意思を伝え、ディフェンスについた。


 翔子の頭の中が鮮明になる。不思議と視界がはっきりしている。相手も見えるし、色も戻ってきた。自分の身体の感覚がはっきりする。両手両足にも力が入っていた。

 ディフェンスの姿勢が取れた。腰を落として膝を曲げる。相手のコースを遮るように立ち、動きに反応できるようにする。

 オフェンスのドリブルが始まり、反応して追いかける。しっかりと身体が動いてくれた。相手が抜くのを諦めたので、身体を詰めてボールを奪おうとする。

 動揺した相手が急いでボールを離した。明後日の方向へ飛んでいき、敵はキャッチミスをする。


 転がるボールを秋穂が掴んだのを合図にして走りだす。真っ直ぐにゴールへ向かうと、狙い澄ましたようにボールが飛んできた。今度はしっかりとキャッチしてレイアップシュートを打つ。


 激しい金属音。勢い良く投げすぎて、派手にリングにぶつかった。


「ノーマークだよ。ちゃんと決めなさい」

「ご、ごめん。しくじった」

 ボールを相手に取られてしまった。落ち込んでいる暇はない。切り替えてディフェンスに移る。

 平田二中のシュートが外れ、味方がボールを取る。

 再び翔子は走り出した。パスが入るが今度はノーマークではない。横にいるディフェンスがプレッシャーを掛けてくる。


(負けない!)

 強い気持ちが肉体を突き動かす。構うことなく強引に打ちにいった。雑に打ってしまい肝心のシュートが外れる。

「任せろ。あたしが取る」

 フォローにきていたさくらがリバウンドに勝った。着地すると同時にワンハンドシュートを放つ。

「ヤバい!」

 苦い薬を飲んだような呻き声が零れた。腕の力で投げたボールはバンクに弾かれ、コートに転がっていく。

 ボールを収めたのは芽衣だった。二人のどたばたしていた様子が嘘のように落ち着いている。

 ジャンプシュートをあっさり決めると、わかりやすく肩を竦めた。


「調子に乗るな。今のはあれだ。たまたまだから。お前に花を持たせてやったんだ」

「私だってちゃんと打てば入るんだから。一本くらいで勝った気になるなよ」

「いいから戻れ。馬鹿コンビ」


 無視してマークマンに向かう。ぎゃあぎゃあ言いながらも、二人はディフェンスに戻った。一気にコートの中が賑やかになっていく。

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