第38話 経験者
「小清水先生もよく見ておいてください。このクォーターが試金石となるでしょうね」
腕を組みながらじっくりと観察する。決して見逃すことのないように。
平田二中のスローインから試合は始まる。審判からボールを受け取ると、選手達が一斉に動き出した。突然の事に対応が遅れている。
サイドから果林にボールが入ると同時に手元から離れる。一秒にも満たない鋭いパスはディフェンスの裏を衝き、僅か数秒で点を取られてしまった。
誰かどこへどう動くか予め決まっている動き。鮮やかなセットプレーである。綺麗に決まるとここまで容易に点が奪えるのだ。
「ど、どういうことですか。動きが違いますよ」
小清水もすぐに気付いた。エンドからのボール出しになるが、平田二中はディフェンスの動きも良くなっている。
「このメンバーは経験者です。全員かどうかはわかりませんが、あの中じゃ三人は間違いなく動けます。恐らく同じチームだった」
味方の動きをしっかりと把握している。セットプレーを難なく決めてきた。身体に叩き込んでいなければできない。同じ中学に経験者が何人も入ることは珍しくない。
「もちろんミニバス経験者と言ってもピンからキリです。できる子もいればできない子もいる。ちゃんと指導されている生徒もいれば、あまり教えられていない子もいる」
経験の長さが力になる訳でもない。驚くほど基本や知識を知らないことも多い。チームの方針や指導者の力量によって、教えられていることに差が出てくる。全員と確定できないのは、三人以外はやっていたと思えない動きだからだ。
だからこそいかに中学で育てるかという問題が出てくる。指導者の熱心さや力量によって浮き沈みは激しい。
弱小校がいきなり強くなるケースもあれば、ミニバス時代に優勝した面子が揃ったのに弱体化するケースもある。子供が手を抜き、力を落としていくのは驚くほど簡単だ。どんなときも向上心を持ち続け、必死になるというのは難しい。
「でもどうして一クォーターから出さなかったのでしょうか。もしかしてレベルに合わせて温存していたとか」
当然の疑問である。手を抜いていたと思ってもおかしくない。
「先輩はそういうことをする人じゃない。いずれわかりますよ」
何となく理由はわかるが確信を得た訳じゃない。後のクォーターになったら判明することである。今はこのクォーターがどうなるかである。
果林のオフェンスになり、一対一を仕掛けてくる。
味方もわかっているのかフォローにいかず、邪魔をしないようにスペースを作る。離れた場所で二人だけがぽつんと残される。アイソレーションという戦術である。
小さなフェイクを入れた後、ゆったりとした動きから、果林がドリブルを始めた。コースを読んで追いかける。スピードは芽衣ほど速くはない。
正面に回り込むと、果林のドリブルが止まった。ボールを奪おうと身体を寄せるが、芽衣の手が届くことはない。既に果林が跳んでいたからだ。柔らかなシュートだった。ボールは吸い込まれるようにネットを揺らす。
「綺麗なシュートだな。良いリズムで打っている」
基本的なストップジャンプシュートだが、上手い子がやれば本当に綺麗なのだ。打った瞬間に入るとわかる。
トップスピードを殺すには難しい。ドリブルからジャンプシュートへ移行する際に衝撃や重さ、負担が掛かるものだ。速ければ速いほど大きくなる。それらの要素をいかになくせるかが、シュート成功率に関わってくる。
彼女の柔らかな膝がしっかりと衝撃や振動を吸収している。シュートのバランスも崩れておらず、無理して力を止めているようには見えない。手首から膝まで関節がなくなったかのような錯覚を起こしたくらいだ。同じことをさくらがやれば力任せになるだろう。
「コラ、芽衣。そんな簡単にやられるな。手を抜いてるのか!」
翔子が真っ先に声をあげる。ベンチから飛び出しそうな勢いだ。
「あんたが芽衣の心配をするなんて珍しいわね」
「勘違いしないで。チームが舐められるのが嫌なだけよ。別に芽衣があの子に負けるのは構わないわ。私があの子を倒すだけよ。いずれは芽衣も倒すから、結局は私が一番よ」
「ぶっ飛んだ思考ね。根拠がないにも程があるわ」
そもそも芽衣に勝つ保証などない。本人が言っているだけだ。他の選手も勝手に因縁をつけているだけである。物語によく出てくる、手当たり次第に戦いを仕掛けるバーサーカーくらい性質が悪い。
「いいじゃないか。下手であることに満足するなよ。噛みつくなら今だぞ。長州力も言っている」
「チョウシュウ? 誰ですか? チャーシューを作った人?」
大きなジェネレーションギャップが生じている。これは嗜好の問題ともいえるが。
「もう何を呑気に話してるんですか。試合に集中してください!」
苛立ちを含んだ声で注意される。
コートに目をやると、芽衣が勝負を仕掛けようとしていた。やられたらやり返すという意思をはっきり感じる。クールなようで負けず嫌い。厚い氷壁の中で熱き心が燃えている。
サイドからドライブで切り込んでいくが、果林は簡単に抜かれない。完全にコースを塞がれる。ディフェンスもしっかり鍛えているのがわかる。
動きが一瞬止まったかと思ったら逆方向へ切り返した。後ろでドリブルをつく手を変えたのだ。バックチェンジという技である。上手く決まれば、ボールが消えたように見えるだろう。
すぐに点を入れ返して、スコアを戻した。まるで怯んでいない。
「足が動いていないぞ、果林。簡単にやられるな」
相手のベンチから戸倉が叱る。
「いや、先生。見ているよりずっと速いよぉ。驚いちゃったくらいさ」
「もう負けを認めるのか。お前のライバルになる存在だぞ」
「一人じゃ難しいならフォローする。先生が言ってることだよ」
気楽そうに話す姿からは悔しさや負けん気など見えない。マイペースというのは本当である。
「その前に粘れるだけ粘れ。一対一で簡単に負けていいとは言ってないぞ」
「了解。でも無理なものは無理だからね。そこんところよろしく」
「わかったらオフェンスに行け。もう攻めているぞ。長々と話す奴がいるか」
返事をしながらフロントコートに走るが、慌てている風には見えない。何となく二人の普段の様子が見えてくる。戸倉の心労が理解できる気がした。
だが性格的なことはともかくとして、その能力に疑いはない。今度はボールを受け取ると同時にジャンプシュートを放つ。完全に虚を衝かれた形になり、防ぐことができなかった。
「カバーの意識を持て。一人で止められないならすぐにヘルプしろ。エリアには入れるなよ」
戸倉の指示が飛び、固さも取れたのか、少しずつ動きが良くなっていく。芽衣のオフェンスに対しても、一クォーターと違ってやられっぱなしではない。
果林一人では抑えられなくてもすぐにカバーがくる。ステップでかわせないほど速いヘルプだ。まだ当たり負けするのはわかっているため、強引に攻めることはしなかった。
もう一人のオフェンスの中心であるさくらも目立てない。ボールが入ったときには、ダブルチームで囲むなど対応してきている。振り払ってシュートにもいくが都合よくは入らない。
相手も万能という訳じゃなく、何度かミスをしている。こちらも点は取れているが所詮は単発であり、相手の流れを止めることはできない。タイムアウトを取ったり、選手交代もしてみたが大きな変化を起こせなかった。
逆に平田二中はどっしりと構えており、ベンチから声を掛けることはあっても、タイムアウトなど明確な動きを見せることはなかった。
結局二クォーターが終わる頃には、十点以上の差がついてしまった。
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