第36話 エースの初陣
「始まりましたね。始まりましたよ。ああ~始まりました」
いつもは柔らかい小清水の表情も強張っている。早口で喋る声が上擦っており、選手より緊張していた。
「どっしり構えましょう。これは練習試合なんですから」
「こういう空気は慣れなくて。夏の予選のときも心臓が潰れそうでしたから。もう心の中で頑張れ、頑張れと唱えることしかできなくて」
感情移入しすぎるあまり、上手くいけば自分のことのように喜び、失敗すれば誰よりも悲しむ。何となく想像がついた。
「気持ちはわかりますけどね。今から騒いでいたら最後までもちませんよ」
一方の家久は冷静に試合を見ており、些細な事で一喜一憂しないようにする。頭の中は氷のように冷たくしないといけない。
「気合入れていけ。どっかの誰かみたいに寝ぼけるなよ」
戸倉の大きな声がコートに響いた。向こうのベンチで笑い声が零れる。熱いタイプの人でわかりやすい言動で選手を鼓舞する。
それでいて表向きからは想像できないくらい冷静だ。少なくても試合に熱中しすぎないようにしている。
これを保つのは難しいと他でもない本人が言っていた。わかっていても不安に駆られ、思考が鈍ることがある。言葉を上手く掛けられないままだったこともあったらしい。作戦指示もスムーズにいかず、タイムアウトを取るタイミングを間違える。
指揮官も人間なのだ。完璧には振る舞えない。
今日は練習試合だからまだいいが、公式戦になったとき自分にできるのか。どんなに不安でもせめて表面だけでも冷静でいたい。動揺している姿は見せたくなかった。
第一クォーターの導入は落ち着いた展開となった。コート内をボールが行き交いながらも得点は入らない。両チームとも点が入らないまま時間が過ぎていく。
転機が訪れたのはその選手にボールが入ったときだ。里中芽衣に絶好の一対一の場面が訪れる。
「さてと。どこまでやれるかな」
家久も顎に手を添えて、目を細める。家久だけではない。ベンチはもちろんコート内からも期待と不安の入り混じった視線が集中している。そして恐らくは向こうのベンチも注目しているだろう。
芽衣にとって中学生になってから初の試合である。他の一年生と違い、体育館での練習期間もほとんどなく、応援でベンチに入ったこともない。文字通り初の試合なのだ。しっかりとプレーできるのか。
既に彼女の実力を部員は認知しているが、果たして違うチームにも通用するのか。誰もが抱いている疑問だ。ライバル意識を剥き出しにしている翔子も食い入るように見つめている。
もちろんまだまだ最序盤だ。試合の勝敗が決まるような場面ではないのだが、水を打ったように静まり返る。期待の表れと言えるのだが、こういうプレッシャーを彼女はずっと味わっていくのだろう。
静寂はボールの音で打ち破られる。
トリプルスレッドからドライブが始まった。
小さな身体が風を切り裂き、相手を置き去りにする。手から離れたボールはネットを揺らし、ベンチから歓声が起こった。鮮やかなプレーである。
「本当にかわいげのない奴だ。あいつはプレッシャーなんて感じてないのか」
いつものプレーを淡々とする。優れた敏捷性は翳ることがない。喜びを見せることなくディフェンスをしている。
「何か腹立つ。やっぱり負けたくない」
喜びと悔しさが入り混じったような複雑な表情をしている。百面相みたいだった。チームには勝ってほしいが、芽衣には負けたくないのだ。
「あいつは経験が違うからな。中学ではどうかと思ったが杞憂だったみたいだ。ちゃんと見ておけよ。試合での振る舞いも勉強になる」
これは他の部員にも言い聞かせている。試合をただ見るのではなく、どこを注目して観ればいいのか。どういう動きをしているのか。どういうプレーを狙っているのか。ボールを持っていない人間、持っている人間は何をするのか。
相手の動きは勉強になる。細かく解説をしながら教えたいくらいだが、流石に試合中はそこまでできない。
ただ試合終了後まで集中力が保つかわからない。彼女達は数か月前まで小学生だったのだ。少しずつできるようにしていきたい。
「良いプレーはどんどん参考にしろ。悪いプレーは戒めにするんだ」
知識があれば面白くなるが、知識を活かしてプレーするのは難しい。頭でわかっていてもできないことは山ほどある。強豪校はこういうところもしっかりとしている。
「待っていなさい、芽衣。私があんたを分析してやる」
正直頭を使って戦うタイプには見えないが、気持ちは買っておく。いずれできるようになればいい。
試合の流れは東大原中が掴んだ。平田二中は芽衣を止められなかったからだ。もちろん相手もカバーリングを試みるが、スピードに翻弄され、カバーが間に合わない。追いついてもステップでかわされてしまうのだ。
次に目立っていたのはさくらだ。シュートが外れても、きっちりとリバウンドを取ってくれる。センタープレーも充分通用していた。相変わらず雑な部分はあるが、自分のプレーはできている。
基本的にこの軸で攻撃している。二人に比べて他のメンバーはまだ動きが固い。この辺りは想定どおりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます