第35話 練習試合


 パイプ椅子が並べられた体育館。オフィシャル席が設けられ、見慣れないたくさんの生徒がコートを動いている。いつも見ている体育館とは違った光景だ。

 練習試合とはいえ試合となると独特の緊張感に満ちている。両チームとも最後のウォーミングアップをしていた。

「チームとしてはひとまずまとまってるんじゃないか」

「そっちと比べたらまだまだ子供ですよ」

 ただ身体を温めるためだけに行うのではない。気持ちを高め、良い精神状態を作るためにも必要なのだ。

 アップの動き一つを見てもチームの成熟度がわかってくる。同じような練習や動きでも平田二中と比べると粗雑でスムーズではない。集合の早さや声の大きさなどでも差が出ていた。

「色々言ってた割に下の学年を鍛えてきてるじゃないですか。謙遜も過ぎれば嫌味になりますよ」

「こっちも簡単にはいかないんだよ。なにせ問題児がいるからな」

 重そうに頭を抱える。戸倉にしては珍しい表情をしていた。


「そんでお前は挨拶くらいしろ。また遅刻しやがって」

 振り向くと深夜に忍び込んだ泥棒のような足取りで歩いている少女がいた。ジャージを着ているところを見ると同じ部員だ。

「おっと勘違いしないでよ。試合のために自主練をしていたのさ。生徒の努力を誉めて欲しいね」

 全く悪びれていない。身長は翔子より少し高いくらいだが、モデルみたいに手足がすらりとしているので大きく感じる。

「寝坊しただけだろ。試合が終わったらダッシュを追加してやるからな」

「ひどいなぁ。もう少し生徒の言うことを信じなさいな」

 教師と生徒というよりは昔からの友人みたいな雰囲気。怒るときは怖いし、厳しいところもあるが、戸倉は基本的にフランクで部活の空気を必要以上に締めつけない。家久もこういうところは参考にしている。


「わかった、わかった。ちゃんと動けるだろうな、果林」

「ばっちりだよ。安心しておくれ。ブイ」

 ピースサインを作る。生徒の礼儀や挨拶もしっかり教えているはずだが、そういうことは別として、この子はまた違う空気感を持っている。自由にしろと言われても、教師に対して中々こんな態度を取れないものだ。

「先生もあんまり疲れを残すと大変だよ。不景気な顔をしたままだと運が逃げちゃうからね」

「誰のせいだと思っている。心労の原因がよく言えるな」

「私達が元気を分けているんじゃないか。めっちゃ感謝してよね」

「はい、はい。ありがとう。それで相手チームの先生が俺の横にいるんだが」

「ごめん、じゃなかったすいません。よろしくお願いします」

 慌てて頭を下げた。口調がたどたどしく慣れていないのがよくわかる。

「もういいから早く行け。ちゃんとアップしておけよ」

 柔らかな身のこなしで離れていく。戸倉は腕を組み、重いため息を吐いた。明らかに疲れているのがわかる。


「正直新鮮です。先輩のそんな顔は見られないから」

 我慢できずに吹き出してしまう。戸倉には悪いがとても面白い。付き合いは長いがここまで振り回されている姿は見たことない。

「何というかマイペースな奴でな。そういう子は何人か見てきたが、あいつは特に自分の世界が強すぎるというか。あれで一年だぞ。色んな意味で末恐ろしい奴だよ」

「でも実力はあるんでしょう」

「まぁな。ミニバス時代もバリバリやってたみたいだが、いかんせんああいう奴だからな。チームメイトからの評判は悪くないんだが」

 再び深い息を漏らした。ダメージは全て指導者にきている。


「本当は平田四中でもやっていけるくせにわざわざこっちにきたんだよ。向こうのコーチに何度も頼まれた」

「押し付けられただけじゃないですか」

 下手に強いチームに行くよりは、信頼できる先生のところに行くべきと説得されたのだろう。理解のあるコーチでなければ、ああいう子は大成しない。真っ先に潰れてしまうかもしれない。余計な苦労を背負わされたと言ってもいい。

「とにかくどう育成すればいいかわからん。たった数年で子供の常識や価値観は変わるからな。付いていけんよ」

 苦労が垣間見える。上手くいかないというのは本当らしい。

「ま、お互い頑張りましょう。とりあえず今日はお手柔らかにお願いしますよ」

「任せろ。柔らかに叩いてやるからな」

 三分前のブザーが鳴ったのでそれぞれのベンチに戻る。アップを終えた選手達がやってきた。


「じゃあ一クォーターは昨日言った通りのメンバーでいくぞ。途中で交代するかもしれないから気を抜くな。しっかり準備しておいてくれ」

 メンバーは冬美やさくらといった二年生を中心にしており、その中に芽衣を混ぜた面子である。いきなり抜擢した形であるが、ある程度は部員も納得している。

 もちろん面白くない思いを抱いている子もいるだろうが、実力が優れているのは認めざるを得ないからだ。

「中学で初めての試合だ。いけるか」

「問題ない。いつも通りやるだけ」

 特に緊張しているように見えない。相変わらず肝が据わっている。

「かわいげのない奴だな。もっと困り果ててもいいんだぞ。何なら弱音の一つくらい吐いてみろ。男なんて一ころだぞ」

 わざとおどけた口調で振る舞う。他の選手の緊張を解すためでもある。

「できないものはできない。緊張して困るのは先生でしょ」

 確かにその通りだ。エース格である芽衣がそんな様子じゃ、チーム編成や試合を変えなきゃいけなくなる。


「相手は都大会に出場しているが、あそこにいるのは同じ学年の生徒だけだ。必要以上に構える必要はない。何度も言うが今の段階で勝ち負けを競っても仕方ないんだ。自分にできることや足りないものを知る絶好の機会だ。全力でやってくるだけでいい」

「そんな気持ちでどうするんですか。どんなに不利でも勝つ可能性はあるっスよ。ここが私達の田楽大根狭間です」

「そんな生死を賭けた戦いじゃないからな。どこからツッコめばいいのかわからんぞ」

 恐らくは桶狭間の戦いと言いたいのだろう。桶狭間は田楽狭間ともいうからだ。致命的に間違えている。勉強してくれるのは嬉しいがこれでは花丸はあげられない。

「失敗なんていくらでもしろ。違うプレーで取り返せばいいだけだ。一番怖いのは実力を出さないことだぞ」

 相手が強くて力を出せないのは仕方ないが、失敗にめげて力を出さなくなることは、この若いチームにとって避けたい事態である。次に繋がらないからだ。


「あとは・・・・・・俺が顧問になって初の試合をこのチームで迎えられてよかったよ。良くも悪くも忘れられないだろうな。ありがとう」

 一瞬言葉を切った後で感慨深く口にする。飾りつけることのない素直な想いだった。赴任した当初はまさかこんなことになるとは思えなかった。


「や、やばい。何か妙なことを言い出したぞ。こいつは本物か」

「先生、大丈夫なの! 悪いものでも食べた?」

「誰か外を見て。台風がくるかも」

 ベンチ内が騒然としている。部員たちは明らかに恐怖していた。

「おいおい。人がせっかく殊勝なことを言っているんだ。素直に受け入れろよ。流石にがっかりしちゃうぞ」

 言葉とは裏腹に落ち込んでいる様子など欠片もない。さっきのセリフが嘘のように感じる。

「今までが今までですから。散々振り回してきたツケですよ」

 冬美が猜疑に歪んだ瞳を浮かべる。メンバーはいつも通りといったところだ。とりあえず必要以上に緊張していない。これが東大原中のバスケ部の形であろう。


「よし。じゃあ行ってこい」

 威勢よく返事をして、選手たちがオフィシャル席に向かう。登録を済ませるとコートの中に入っていった。

 平田二中のメンバーは全員二年生のようだ。向こうの面子の学年や名前も戸倉からだいたい聞いていた。あの一年生はまだ使ってこないらしい。


 挨拶を済ませると全員が配置についた。センターサークルでさくらと相手のセンターが備える。審判がボールを高々と投げ、合わせてジャンプする。


 試合開始が告げられた。

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