第34話 後悔はするものである


『どうして辞めるんだよ。一緒にコートに立とうって約束したじゃないか』

 泣きそうな顔で必死に止めようとする。いつも明るく元気な彼にそんな表情をさせてしまうことが辛い。何度も止めてくれたが、これが最後だと本能的に察しているのだ。

 彼に伝えられるのはただ一言の謝罪。それ以上はこの場にいることが耐えられず、背を向けて離れていく。未だに後ろで叫び続けている。辛くて苦しくて心苦しい。申し訳ないという気持ちで一杯だった。

 それでも振り返ることはしない。自分の選択が正しいものだと肯定するために。


「先生、掃除終わりましたけど」

 翔子の声に意識が覚醒する。半分寝惚けていたようだ。疲れが予想以上に溜まっていたのかもしれない。単純に昨日の酔いが残っているせいかもしれないが。

「おお。そうか」

「どうしたんですか。ぼーっとして」

 どうやら片付けは終わったらしい。後は鍵を閉めなくてはいけない。

「試合の事を考えていたんだよ。選手以上に頭を使わないといけないからな」

「私も楽しみです。早くやってみたい」

 今日の部活で伝えたが反応は様々だった。不安そうな者もいれば、気合を燃やしている者もいる。

「出番があるかどうかわからないぞ」

「水を差さないでくださいよぉ。せっかくやる気になっているのに」

「事実を言っただけだ。メンバーを決めるのは俺だからな」

 口端を歪める姿は非常に悪そうだ。


「しかしまさかこの歳になって、バスケのことでこんなに悩むことになるとは」

「私のおかげですね」

「お前のせいだよ。出会ったことが運の尽きってやつかな」

 何かに憑かれているかもしれない。本気で御祓いに行きたい気分だ。

「人を疫病神みたいに言わないくださいよ。私は先生に感謝してるっスよ。練習はきつくなったけど、前よりバスケが楽しくなりました。ムカつく奴はいるけど、いずれ私が勝ちますから」

 すぐに誰だかわかる。今日も飽きずに激しくやり合っていた。どれだけ負けてもへこたれることはない。

「やりたいだけやればいいさ。お前のためになる」

「もちろんっスよ。いつでも全力。思い切りやります」

 眩しいくらい真っ直ぐに進んでいく。がむしゃらに成長していこうとする。時々酷く羨ましくなるときがある。あそこまで前向きになれないからだ。

 前から誰かに似ていると思ったが、彼女は若月に似ているのだ。自分が持っていなかったものを持っていた親友に。


 三年で部活を辞めたとき、もう一年頑張れたかもしれないという後悔はあった。彼から逃げたという後悔も。悲しそうな顔は今も心に刻まれており、思い出すたびに小さく胸が痛んだ。親友を裏切ってしまったことに変わりはないのだから。

 一緒にプレーしたかった。共にコートに立ちたかった。本当に悔しかった。その想いは今でも燻っている。胸の中にある後悔は完全に消えることはない。

 だからといってあのまま残っていても、きっとベンチに入れることはなかった。あの時のバスケ部は家久が頑張ったところでどうにかできる段階じゃない。入部当初とは最早レベルが違っていた。

 ベンチに入れなかったという後悔。奇跡的な確率でベンチに入れても、今度はレギュラーになれなかったという後悔が生まれる。辞めていなくても後悔はあったのだ。


 受験に専念するという理由で辞めたのに、歴史研究会に入部した。バスケ部ほど時間が取られなかったし、受験勉強とも充分両立できた。といっても勉強は半ば部を辞めるための言い訳みたいなものだった。それほど上の大学を目指していない。

 元々歴史は好きでゲームや小説などはよく読んでいたが、本格的に興味を持ち始めたのはこのときの活動があったからである。

 研究会での活動は結果として元の志望校を変えるほどになった。その大学で戸倉に出会い、気付けば教師になってこの学校にいる。


 もしあのままバスケを続けていたら、きっとここにはいなかった。教師になることもなく、翔子達とも出会うことはなかっただろう。人生とはわからないものだ。


『あの日の挫折があったからここにいる』なんて綺麗には言えない。バスケ部を辞めた後悔は今でも小さなしこりとなっているのだから。


 結局どっちを選んでも後悔はしていたのだ。大きいか小さいかの違いだけである。だったら少しでも後悔を小さくしたい。昔の選択がマシなものだったと思えるようにしたかった。


「早く体育館を閉めましょうよ。怒られちゃいますよ」

 顧問になっても真剣にやる必要はないのに、こうして頭を悩ますくらいやっている。勝たせるためというよりは、部員の後悔を少しでも減らすためだ。

 あのときにああしていれば、ああいうことがわかっていれば、そんな想いを今の部員になるべくさせたくない。

 結果として自分の私生活を大きく削ることになり、早くも新しい後悔が生まれているのだが。


「やっぱり割に合わないな。給料を増やしてほしい」

 重いため息をつきながら立ち上がる。選んだことに変わりはない。自分の力など高が知れている。だからやれるだけはやってみるだけだ。

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