第29話 再びの一対一
静かに汗が流れる。二回目の対決だが緊張感は変わらない。
トリプルスレッド。バスケの基本的な構え。部に入ってから何度も見てきたが、ここまで無駄がなく、綺麗なのは初めて見る。
ボールを持って構えるという本来なら人間の生活に必要ない姿勢だが、昔からあるような自然さだ。無理している様子はなく窮屈さも感じない。構えが自然だからこそ、どちらにドリブルしてくるかまるで読めない。
(うそ! シュート!)
膝が深く沈み込み、ボールがくんと上がる。完全に虚を衝かれ、慌てて前に出た。シュートコースを塞ぐため手を伸ばすが、腰が上がったときにはすぐ横を通り過ぎていた。
声を出す暇もない。追いかけることもできない。フェイクだと気づくこともできなかった。
疾風のように駆け抜け、放たれたボールはネットを揺らした。
「一本目。まだやるの」
落ちてきたボールをキャッチし、淡々と告げる。事務仕事をこなしたような態度。単純に時間の無駄だと思っているのだ。
「あ、当たり前でしょう。ほら、さっさと用意しなさい」
相変わらずの態度に怒りが湧くが我慢する。何より許せないのは自分の下手さだ。ここで動揺しているのを見破られたくない。こんな簡単にやられてしまうとは。追いすがれるのか不安になる。
「考えすぎても上手くいかないぞ。どうせなら全部に反応するくらいで行け。駆け引きで勝てる相手じゃないからな。まずは相手のドリブルの正面に入ることだ」
気楽そうなアドバイスが贈られるが的確なものだった。迷うくらいなら全部止める気で動く。打たれたら全力で飛ぶ。フェイントなら全てに反応して追いかける。ドリブルならどこまでもしつこく食い下がる。それぐらいしかできない。
再び構える。不用意に動けば確実に狙われる。直接ボールを取りにいけない。数秒が永遠にも感じる静寂。空気が乱れ、肩口が微かに揺れる。
反射的に足が動いていた。左からやってくるドライブ。触れれば切り落とされそうな鋭さだ。
今までは反応すらできなかったが、今度は動けた。完全に抜かれてはいない。ドリブルコースを塞ぐため全力で追いすがり、正面に入ろうとする。
「あれ。え、えっ!」
勝負をしている最中だというのに、自分でも間抜けだと思う声を漏らす。横にいた芽衣が突如として消えたのだ。
もちろん本当に消えた訳じゃない。ドリブルの音も走る音も聞こえる。消えたと錯覚するほど速くフロントチェンジをしたのだ。翔子だって毎日のように練習しているが、まるで別の技術のように鋭い。こんな速いチェンジは見たことない。
必死にディフェンスしているからこそ、余計に消えたように思えるのだ。筋肉が硬直したかのように動かない。
芽衣は阻む者がいなくなったゴールに向かって、難なくシュートを入れる。
「二本目。続ける?」
頷きながら位置につく。心臓がうるさく鳴り響き、頭の中が黒い靄に覆われる。何をすればいいのかわからなくなる。
「ちょっとやられたくらいでもう怖気ついたか。負けるのは当たり前だと言っただろ」
迷いを打ち消すように家久が軽い口調で声をかける。
「試合になればお前より強い奴と戦うことなんてたくさんあるぞ。そのたびにビビるつもりか。お前の武器はなんだ。気合と根性なら負けないんだろ。負けても失うものはお前にはないから」
相変わらず励ましているのか、貶しているのかよくわからない声援だ。アドバイスになっているとも言い難い。それでも気持ちを切り替えることはできた。
もう一度芽衣と向き合う。不思議に思うくらい落ち着いていた。
あれだけ何度もやられておいて挑む気持ちだけはなくならない。この強敵に勝ちたかった。悔しい想いをするたびに炎のように心が厚く燃えている。
両足を小刻みに動かすハーキーステップ。どんな動きにも反応できるよう備える。今度こそ必ず止めるために。
(いきなりきた!)
右から仕掛けてくる。フェイクを入れることなく、ゼロから一気にトップギアに入れてくる。全力で足を動かし、必死に追いすがる。完全に正面へ入れなくてもシュートの邪魔はできる。肉体と肉体がぶつかりそうになったとき、逆に切り返した。
でもそれは。
(わかっている)
何となくだがこのままシュートにいかない気がした。予測というよりは勘に近い。初めて負けたあの日から頭の中で何度もプレーを再生していたからこそ、導けたのかもしれない。
右足の母指球に力を入れ、大きく左足を出す。股関節と連動させ、脚の関節から筋肉の全てを使い、飛ぶような勢いで追いかけた。野生の獣にも負けない俊敏性だ。
(絶対に止めてやる)
あと数歩で正面に入る。ドリブルを止めれば、カットするチャンスが生まれる。その思いを無情にも打ち砕いた。
ボールを手にすると芽衣はもう一度逆に跳んだ。ジノビリステップという一歩目をあえてゴールとは違う方向に踏み、二歩目でディフェンスをかわす技だ。
翔子の身体は完全に流されてしまった。芽衣は既にシュート体勢に入っている。手を伸ばせば届きそうな距離でありながら、肉体は反応しない。星のように遠い場所にいる。
「諦めないんだから!」
考えている暇はない。後先などまるで考えない。ただ心の赴くまま足に力を入れて、無理矢理飛んだ。足が地面から離れ、バランスが崩れる。
形振りなど構わない。結果など二の次。目に映るのはボール。ただあのボールを奪うことだけが全てだ。必死に伸ばした腕が届かない。腕で届かないならば手首に。手首で駄目なら指に。全神経と力集中する。
爪を焦がす微かな感触。次に訪れるのは激しい衝撃。痛みが肉体を打つ。意識が白黒に点滅する中で、焦げるような感触だけがいつまでも残っていた。
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