第21話 変わる生活
けたたましい目覚ましの音にゆっくりと目を開ける。頭が鉛のように重く、不快さの中で瞼をこすった。
はっきりしない意識のまま目覚まし時計を手にする。示されている時間を見て、眉間に力が入ってしまう。もう一度横になろうとしたが、すぐに身体を起こした。今日から朝練が始まるのだ。
ベッドから出て準備を始める。本来ならばもう少し眠っていられるのに、出勤しなくてはいけない。嫌でも睡眠時間が削られる。朝練など高校以来だった。
正直とても辛いが言いだした手前、初日から遅刻などできない。飽きずに朝練をする戸倉を散々いじっていたが、同じ立場になるとは思わなかった。やると決めたのだから仕方ないが、これからずっと続くとなるとぞっとする。
着替えを済ませ、適当に食事を取るとアパートを出た。この時間は陽射しもそこまで強くなく、空気が澄んでいる。涼しい風が髪を揺らす。
歩いて行ける圏内にアパートがあるのが唯一の救いだ。藤宮などは電車で通勤しているのだから、もっと早く起きていることになる。心底感心してしまう。
学校に到着すると体育館の前に生徒が立っていた。体育館は空いており、中からはボールの弾む音が聞こえてくる。男子が練習を始めているのだ。
「おはようございます!」
翔子たちが一斉に挨拶する。思わず耳を抑える。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえているよ」
眠気を強引に吹き飛ばす勢いに瞼を何度も上下させる。特に翔子の声は鼓膜の奥まで届きそうな声だった。
「挨拶はしっかりやろうって先生が言ったんですよ」
「もう少しボリュームは考えろ。こっちはただでさえ眠いのに」
基本的な挨拶をすることはルールにした。部の様子を見て最初に決めたことである。あまりできていない生徒もいたからである。強制される挨拶に意味はないという意見もわかるが、ここにいる生徒たちはそもそも基本ができていないのだ。まずは習慣にしたかった。
「しっかりしてください。それより遅いっスよ。男子はもう練習を始めているのに」
「寝惚けた面をしやがって。しゃきっとしろ」
朝から喧しい。清澄な空気など吹き飛ばしてしまう。
「ほんの少し遅れただけだろ。藤宮先生はいるんだし、中に入っていてもよかったのに」
「練習には顧問が付き添うものです。先生が言ったはずですよ」
大体は予想通りの面子である。もしかしたら一人もこないかもしれない、と思ったが杞憂に終わった。秋穂は無理に引っ張ってこられたのか疲れた顔をしている。
「その辺は藤宮先生とも話しておくよ。練習には来るから律儀に待つ必要はない。体育館が開いたら、勝手に始めて構わないよ」
待ちかねていたのか、翔子とさくらは競うように体育館へ入っていった。残りの二人も後に続く。早朝とは思えないほど元気である。どこからあんな力が湧いてくるのか。羨ましいくらいだ。
「おはようございます。すいません。遅れてしまって」
小清水が一足遅れてやってくる。彼女も電車通勤なのによくこの時間に来られるものである。
「俺がいるから別にいいのに」
顧問が一人でもいれば練習できるのだ。本来なら小清水が来る必要はない。何かあったら代わりに来てもらえばいいだけで、少しでも休んでいて欲しかった。朝練をすると決めたのは家久なのだから。
「そういう訳にはいきませんよ。私にも手伝わせてください。同じ顧問ですからね」
真面目で熱心な人である。年下とは思えない。家久が同じ立場なら遠慮なく寝ているだろう。
「助かります。じゃあ行きましょうか」
気の抜けるような音が腹から鳴り、歩みが止まる。小清水が小さく微笑んだ。
「しっかりご飯を食べてください。倒れても知りませんよ」
「男の一人暮らしには無理な注文です。自炊するようになるなんて嘘ですよ。面倒くさくてやりません。先生はどうです?」
「私はやっていますよ。昔よりも上達しました」
一人暮らしを始めてから、最初は凝った自炊もしていたが、いつしかすっかりやらなくなってしまった。米は炊くときもあるが、専ら外食か弁当などで済ませている。
「俺も酒なら大量にあるんですけどね。飯より優先してます」
日本酒や焼酎などはネットを使って注文することもある。戸倉に連れられて旅行に行ったときも地酒は買っていた。大学時代よりも酒量は増えている。日々の激務を耐えるには酒が必要不可欠だ。飲まずにやっていられない。
「栄養は給食で摂っていますから何とかなりますよ」
給食は栄養バランスが良く、味も素晴らしいので非常に助かっている。余っているなら大抵おかわりしていた。行事などで給食が出ないときは本当に困る。学生時代よりも求めているくらいだ。
「何だか心配になってきました。本当に倒れられたら困りますよ」
「そのときはそのときですね」
酒の飲みすぎで病院に運ばれるかもしれないが、止めることはできないので防げない。倒れたら運がなかったということだ。
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