第20話 部長の立ち位置


 体育館の両脇には四つの扉があり、風通しを良くするために全て開放していた。多少離れていても外から体育館の様子を覗くことができる。


「面白かっただろ。良い刺激になったんじゃないか」

 休憩をするため外に出ていた冬美に話しかけた。是非とも話しておきたかった。

「こんなことじゃないかと思っていました」

 どこか悟っている風だった。恐らく最初は家久に対して怒りを抱いていたのかもしれないが、時間をおいてから冷静になったのだ。この試合も真面目にやってはいたが、他の部員のように緊張や怒りなどは見えなかった。

「俺は部員のやる気を引き出しただけさ。お前こそ気付いていたのなら、他の部員に言えばよかったじゃないか。にっくき男の目論見を簡単に潰せたぞ」

「確信はなかったし、先生にも考えがあると思いましたから。名取先生はバスケ部の顧問です。部長である私が邪魔する訳にはいきません」

 本心ではきっと不満があるに違いない。割り切れぬ何かを抱いているはずだ。けれど想いをぶちまけることもしないし、詰るようなこともしない。ぐっと呑み込んで蓋をしている。あくまで部長として部をまとめることに務めていた。彼女の強い責任感からくるのだろう。


「良い子だね。先生は涙が出そうだよ。今時こんなできた子がいるなんて」

 からかうような言い方だが、困ったことに本気で言っているようにも聞こえる。煙に巻かれて本心がわからない。


「でも試合は良くなかったかな。二年はもう少しやって欲しかった」

 厳しい表情をしているが、無視して話を続ける。


「落ち着かせるといえば聞こえはいいが、ようは遅くなるってことでもある。確かにボールを落ち着かせるのは大切だ。でも速く攻められるのにわざわざ遅くしていたら、勿体ないぞ。そもそも落ち着いた展開できっちりと点が取れるほど、お前らは試合巧者じゃないだろ」

 スローペースで攻める戦い方はもちろん有効だが、二年生が上手く攻めているようには見えなかった。オフェンスのキーマンであるさくらには安定感がなく、他の二年もイージーシュートを外していた。

「速攻なんてやればすぐにできると思っているかもしれない。本当にそうか? 速く攻めるという意識がお前の中にあったのか? 正直疑問だね」

 速く攻められるのにあえてゆっくり攻めるのと、ゆっくり攻めることしかできないのでは全く違う。

 仮に二年が速く攻めることができても、上のチームから比べたら遅いのだ。下手をしたら彼女達の速攻は、相手の遅攻より遅いかもしれない。流石にそこまでのレベル差はないと思いたい。


「一年は酷いものだったよ。失敗の見本市と言ってもいい。最後まで走れていたのも僅かだった。でもあいつらは速い展開を知った」

 他の一年は指示を守れていたのは僅かな時間だった。それでも速い展開を経験した。今度からはあのスピードが基準になる。何となく理解したのなら、次は走ることを当たり前にさせるのだ。

「ミスなんてこれからの練習で失くしていけばいい。成功するようになれば自信もついていく。正確性も上げられる。積極的になれば攻める意識も生まれるんだ。スローペースの攻めはそのあとでも覚えられる」

 顔には出さないがどんどん雰囲気が険しくなる。聡明な良い子であるからこそ言いたいことを察してしまう。


「とっくにわかっているだろ。二年が遅い原因の一つはお前だよ。三橋冬美という選手が流れを止めてしまっているんだ」

 わかりやすく指で差す。大袈裟な所作で酷く憎たらしい姿だった。


「お前は去年のチームで一番試合や練習に出ていた。三年のリズムやスピードに自然と合わせてしまったんだろ」

 上級生と組むのでボールを回すことが多くなる。周りに遠慮しながらやる消極的なプレースタイル。周囲を活かすとか、選手を上手く使うとかそんな次元ではない。上級生と組んでもガンガン攻める選手はいるが、冬美みたいな人間にはできないはずだ。

「内から感じるプレッシャーと言うんだ。身に覚えはあるだろ」

 試合会場や強い相手から受ける『外』のプレッシャー。対して『内』のプレッシャーは同じチームから受けるものだ。期待や羨望、嫉妬や遠慮、緊張に恐怖。学年も性格も実力も違う相手と組むからこそ生まれるもの。

 気の弱い者など少し怖い先輩と組んだら委縮してしまい、ノーマークでも打たないことがある。人それぞれに違うプレッシャーがあり、乗り越えることができるのかは大きな課題となっていく。

「繋がりが大きいからこそ影響を受けすぎてしまった。仇となるほどにな」

他の二年生は試合経験が少ないのが逆に吉となった。直す時間も少なくて済む。短気で単純で素直なところのあるさくらも教えやすい。

 だがこの少女はどうだろうか。


「私達がやってきたことは、先輩達のバスケは間違っていたんですか」

「間違ってはいない。下口先生やお前の先輩は何も間違えていないんだ」

 部活動の正しいあり方である。部活は楽しむのが大前提。あくせくやる必要も難しいことを覚える必要もない。部活動は学生の本文ではなく課外活動なのだから。

「ただこれからは求められるものが違ってくる。お前や他の部員にとって、幸か不幸かはわからないけどな」

 下口と同じようには振る舞えない。引き受けたからにはできる限りをする。これから先は強いチームを作っていく。なるべく勝てるチームにしていく。そのためには厳しいこともしていかないといけない。

 こういう方針は生徒だけでなく、保護者から非難される可能性も大いにある。できない生徒を切り捨てる形になるかもしれないからだ。覚悟はできているが、胃が痛くなる思いがする。


「ミスは直せるが意識は違う。植えつけることはできても、最後に変えるのは自分自身だからな。直せなければずっとこのままだ。良い子ちゃんでいるのは助かるけど、対戦相手にも良い子ちゃんでいるのは勘弁してくれよ」

 厳しい言葉を突きつける。声を荒げることもせず、反論もしない。氷壁のように固く引き締まっている表情。冬の寒さを凌ぐようにただじっと耐えていた。

「精々気張ることだな。そうじゃなきゃ来年は本当にポジションを取られるぞ。代わりはどんどん育成していくからな」

 無情ともいえる宣告。部長だろうが関係ない。周りが成長すれば、今の彼女を無理して使う必要はないのだ。そういうチームを作ろうと思っている。

「俺としてはチームが強くなるなら別に構わないけどね。誰が出ようが結果を出せばいいから」

 冬美の顔は変わらない。純白の雪面の中で焚き火を起こそうとしている気分だ。

「専門的な指導をしてもらえるのは助かります。部長としてできる限りのことはしますので、改めてよろしくお願いします」

礼儀正しくお辞儀すると背を向ける。結局最後まで感情を荒げることはなかった。少々がっかりしていたが。


「だけど……私は先生のことが嫌いです。これからも好きになれそうもない」

 底冷えするような冷たい声音。激しい氷雪が吹きつけられた気分になる。はっきりと示した冬美の意思。抑えてきた何かが零れた。


「嬉しいね。指導者冥利に尽きるというもんだ」

 全く意に介さない。むしろようやく見られて嬉しいくらいだ。

それだけ言うと振り向くことなく、無言で体育館へ向かう。これでようやく動き始めた気がした。

 カードは揃えることができた。あとはどう進めていくかだ。やりようによってブタにもなれば、素晴らしい役を作ることもできる。

 ただ欲を言えば、もう一枚欲しかった。手に入れれば強烈無比なカードを。

 向かい側の扉に視線を向ける。一人の生徒と偶然目が合った。無表情で冷たい瞳。試合を楽しく見物していたようには見えない。生徒は体育館を一瞥すると背を向ける。


「ほんの少しは可能性があるみたいだな」

 ここからどうやってカードを手元に引き込むか。バスケの指導以外にも頭を働かせる必要があるようだ。楽観視などしていられないが、希望は見えた気がした。

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