第19話 試合終了

「ごめん。ずれた」

 秋穂のパスが見当違いの方へ飛んでいく。ロングパスがずれ、サイドラインを割りかけるが、空中で飛びつき、コートに無理矢理戻した。

 ここまで一本もシュートが入っていない。他の一年の選手は入れているのに。試合は負けが確定しているが、このまま終わらせる訳にはいかなかった。

 転がるボールを拾うと同時に大きく跳躍する。ゴールまで距離があり、入る可能性などほとんどないが諦めきれなかった。残っているのは意地だけである。

 華麗さのないレイアップ。放られたボールはリングに当たり、無情にも落ちていく。試合終了のブザーが鳴った。


「最後も外しちゃった」

 緊張の糸が切れ、がっくりと力が抜けた。膝に手をついて息を整える。

「わかっていたことだけど差は開いたね」

 労うように声を掛ける。十点以上も開いていた。

「悔しい。悔しいよ。すっごく悔しい。下手すぎて嫌になる」

 握りしめた拳が小刻みに震える。相手に負けたことよりも、己の不甲斐ないプレーが何より嫌だった。

 この間の芽衣との戦いで見せつけられた差。今日になって再び思い知らされる。あれだけシュートを外し、あんなにたくさんミスをした。たまらなく悔しくてやるせない。下手なのは自覚していたが、ここまでできないとは。

「一丁前に落ち込んでじゃねぇよ。当たり前だろうが。でも時間がない中でよくやった方じゃないか。ほら、整列するぞ」

 乱暴な口調だが励ましてくれている。さくらに促され、二人はセンターサークルへ集まる。


「中々面白いものを見られたよ。ナイスファイトだったね」

 挨拶が終わると家久は手を叩きながらコートの中に入った。全員の視線が集中する。

「あたしらの実力がよくわかっただろ。これでレギュラーは決まりだな。約束は守れよ」

 さくらが両腕を上げて勝ち誇る。いけ好かない相手の目論見を砕けて、さぞ気分が良いのだろう。やたらとテンションが高い。


「何だいそれ? そんなこと言ったか?」

 言っていることの意味がわからずに、眉根を寄せて訊き直す。さくらとは真逆で極めて冷静だった。

「この試合に勝てばレギュラーにするって話だよ。あたしらを引きずり降ろして、一年をレギュラーにするつもりだったんだろ」

「たかだか一試合の結果だけでレギュラーを決める訳ないだろう。どこでそんな話になったんだ。というか仮に一年が勝ったとしても、一年全員をレギュラーにするはずないじゃないか」

 大声で問い詰められたが、軽く手を振って否定する。二年生はもちろん他の一年生も驚き、唖然としている。さくらと同じような認識だったのだ。


「だ、だって参考にするって」

「そりゃ参考にするよ。どういう動きをするのか、何ができないのか、このチームに足りないものは何かとか、色々と見たかったからね」

「じゃあ冬美のポジションを外すってのは」

「代わりを用意しておくのは当然だろ。試合中に退場するかもしれないし、怪我をしたらどうするつもりだ。そのときになって代わりがいないんじゃ困るだろ。リスク管理はしないとね」

 状況によってはエースがいなくなることもあるのだ。アクシデントはどこで起きるかわからない。想定外の事態になるべく対応できるようにしておきたい。

「というかね。何か勘違いしているみたいだけど、ポジションやメンバーなんて作戦や相手によっては、いくらでも代わるものだよ。バスケはサッカーや野球と違って交代が自由にできるから」

 ルールによって戦い方などいくらでも変わってくる。登録メンバーを誰でも出せるなら、ずっと固定メンバーで戦う必要などないのだ。バスケはファウルアウトくらいで選手交代に制限がない。


「それなら他にも二年が」

「もちろんその可能性は考えているよ。だけどポジションによっては一番で使わない方がいい子もいるからね。小清水先生、意味がわかりますか」

「は、はい。一応勉強しました」

 バスケットはポジションを一番から五番までの番号で表すことがある。上から順番にポイントガード、シューティングガード、スモールフォワード、パワーフォワード、センターとなっている。

 普通は実力や適性で決めるのだが、チーム事情によってはあえて異なるポジションで使うこともある。メンバーの相性なども関係してくるのだ。

「選択肢は増やしておきたいのさ。一年や二年に関係なくね」

 調子やコンディションなども関わってくる。五人だけのチームを作るのは難しい。

「去年まではある程度固定していたかもしれないけど、今年は色々とやってみる。うちは他のチームと違って固定できるほどの戦力はない。場合によっては一試合でどんどんメンバーを代えるかもしれない。だから準備は怠らないようにね」

「はい。頑張ります」

 一年にもチャンスがあるということだ。今まで萎んでいた気合が漲っている。


「じゃ、じゃああたし達の気合は何だったんだ。全部無駄だったのかよ」

「そうでもないよ。二年生がしっかりやってくれたから色々と見えたからね。特にさくらは流石といってもよかった。頼りになることがよくわかったよ」

「へっ、あ、当たり前だろ。あたしの実力ってもんよ」

 いきなり褒められたためか嬉しそうに照れている。実にわかりやすい。単純さは美点にもなる。監督としては非常に助かった。

「それは本気ですか。調子の良いことを言って、誤魔化しているんじゃないんですか」

 一番振り回されたといえる冬美が真剣な表情を浮かべ、冷たい目で見つめてくる。

「疑り深い奴だな。少しは人を信じろ」

「凄い。どの口が言ってるんだろ。やばいね、この人」

 秋穂の冴えたツッコミがぶつけられる。経緯が経緯なので信用されないのも無理はない。家久もどこか態度が軽いだけに胡散臭いのだ。

「個人能力という点では物凄く差がある訳じゃない。関東や都の上位とかだと話は別だが、区内のレベルなら追いつける。中学で完成されている生徒は少ないからね」

高校や大学というラインになってくるとまた話は違ってくるが、中学ならある程度までは何とかできるのだ。

「じゃあ強豪校とのわかりやすい差は何か。何が君達と違うのか。それはね」

 言葉を切り、あえて間を置いた。部員の視線が集中し、何人かがごくりと唾を呑む。


「当たり前のことができるかだ。オフェンスとディフェンスの切り替えを早くする。イージーシュートやフリースローをしっかり決める。誰かが抜かれても素早いカバーリングを心掛ける。スクリーンアウトをしてリバウンドを取る。全部基本的なことだよ」

 個人の上手さとか才能とか以前の問題だった。基本的な動きを理解しないと、それだけで差がついてしまう。

「これがしっかりできれば強い相手の差が少しは埋まるよ。チームとしての完成度を上げていけるんだ」

 最低限の条件を満たさないと土俵に立つこともできない。勝ち負けを競うのはそれからだ。

「挨拶やアップなんかも一緒だよ。動きに無駄がなく、すぐに次の練習に移れる。直前まで緩い空気で話していても、切り替えて集中できるんだ。切り替えが早いと私生活でも役に立つよ。勉強の合間に休憩して、切り替えることができずに休んじゃう子もいるんじゃない」

 思い当たる節があるのか、何人かがびくりと肩が動く。スポーツで培うものをなるべく普段の生活でも活かせるようにしてあげたい。大人になってから役に立たないという人もいるが、まずは知識の使い方や活かせる場面を教えてあげればいいのだ。


「一年生にも二年生にも伸び代はたくさんある。そこで次の月曜から男子みたいに朝練をするよ」

 ポンと軽く手を叩いた。練習を増やすとは思えないくらい緩い言い方だった。

「といっても強制じゃないからね。無理して参加しなくていいよ。あくまで自己練習だから、やりたい子は自由にくればいい」

 朝早くからバリバリできそうにもなかった。もちろん参加しないから試合に出さないなんてことはしない。

「ただで体育館が使える程度に思っておけばいいから。朝の健やかな運動。ラジオ体操みたいなものだ。懐かしい。先生も真面目に行っていたな」

「嘘つけ。絶対に行ったことないよ、あの人」

 あえて茶化すような言い方をする。いきなり厳しくならなくて、安心したような反応をする部員が何人もいた。それらを見ながらも家久は表に出さない。


「それじゃあ少し休憩したら、メンバーを代えて試合をしてみよう。二年生もどんどん相手をしてやってくれ」

「しょうがねぇな。相手してやるよ」

 さくらの険がすっかり取れている。他の二年生も概ね雰囲気が柔らかくなった。自分達を蔑ろにするつもりはないというのがわかったからだ。まだ完全に信頼した訳ではないだろうが、受け入れる態勢はできあがったようだ。


「ひとまず上手くいったかな。まとまってよかった」

「な、何か騙したみたいで胸が痛くなりますよ」

 苦しそうに表情を歪ませながら、ひそひそと耳打ちする。部員達は完全に踊らされていた。こうなるように仕向けたのは他でもない家久である。散々対立を煽った上で、勘違いさせるような言い方をしたのだから。

「向こうが勝手に間違えただけです。訂正できなかったのは仕方ない。まさかそんな風に思っていたなんて想像もできませんでしたから。気にしてもしょうがないし、今は目の前を見ていきましょう」

 白々しいにもほどがある。自分の言動を平然と棚に上げていた。罪悪感など欠片も抱いていない。

「やっぱり性格が悪くなっていませんか」

 額に皺を寄せて、責めるような目付きで見つめてくる。


「そんなことないですよ。少しアップをさせていてください」

 強引に話を打ち切り、開かれた扉から外に出る。話さなければならない人物がいた。



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