第15話 何かを変えるために


 麗らかな昼下がりの土曜日。練習の五対五とは思えないほど、体育館には異様な雰囲気が漂っている。既にアップは済ませており、一年生と二年生で別れていた。レギュラーを賭けての試合となれば、嫌でも真剣になる。

「それは残念だったな。彼女の力があればより面白くなったかもしれなかったのに」

 言葉とは裏腹に落ち込んだ様子はない。むしろどこか納得している。

「いない人間に頼っても仕方ないか」

 家久は一年生側に付いている。ハンデということもあるが、二年生側にはいける雰囲気ではない。この試合を組んだのだから当然だ。尤も家久はまるで気にしていないが。


「いなくても大丈夫っスよ。私達で充分です」

「気合だけは百点だな。他の子もお前の半分でも燃えてくれればいいんだけど」

 一年生の様子を窺う。緊張が滲み出ており、表情が岩のように固い。レギュラーを取るというよりも、二年生と戦うことが不安でしょうがないのだ。

「仕方ないですよ。これまでほとんど試合したことがないんですよ。無茶すぎます」

 その筆頭ともいうべき秋穂が皆の意見を代弁する。一年生は入部してから基礎練習ばかりやってきた。練習の五対五ですらほとんどやっていない。しかも普通に勝負するのではない。相手は恐ろしくピリピリしている。


「楽にしておけよ。負けても損をすることはないんだからさ。二年生はやる気全開で燃えているぞ。体育館を火事にしそうだな」

「煽った本人が何言ってんの。こいつマジで殴りたいんだけど」

 怒りを露わにする秋穂を無視して話を進める。

「経験なんてノリと勢いで覆してこい。半分くらいは情熱とやる気で何とかなる。ただでさえ不利なのに、弱い方が気持ちで負けていたら試合にならないからな。何度も言うがやってみないとわからないもんだ。勝負に百パーセントはない。九十九パーセントはあるけど」

 最後の部分は小さくて聞き取れない。


「任せてください。やってやりますよ!」

 ただ一人元気な翔子が力強い声を出す。気の強さと一種の能天気さが伝染してくれればいいのだが。

「あまり贔屓はしたくないが仕方ない。お前達にとっておきをくれてやる。このままじゃ試合にならないからな。少しは不安もなくなるだろ」

「待っていました。先生ならきっとそう言ってくれると思っていた」

一年生を集めて作戦盤を広げる。といっても作戦会議といえるほど大袈裟なものじゃない。すぐに説明は終わった。


「こんなところだ。理解したか」

「えっと、それだけですか?」

 秋穂が確認するように問いかける。他のメンバーにも戸惑いの色が浮かんでいた。

「あまり難しいことを言ってもわからないだろ。単純だが実行できれば良い試合になる」

 作戦はわかりやすく簡潔にしてある。どんなに効果的でも実行できなければ、机上の空論でしかない。

「お前達はまだまだ下手くそだ。勝ちたいと思う気持ちは大事だが、上手くやろうなんて考える必要はこれっぽっちもない。ミスしたくらいで怒るようなことはしないから、積極的にいってどんどん失敗してこい」

 普通にやったらまず勝てないのだ。だからこそ思いきりを失くさないで欲しかった。

「シュートが外れて落ち込む暇なんてないぞ。切り替えっていうんだが、これを忘れないで俺の言ったことを実行してみな」


「大丈夫だよ。やることは簡単なんだ。私達にも絶対にできるよ」

 大きく頷きながら、翔子がメンバーに声を掛けていく。元気だけは誰よりもある。

「お前が一番不安なんだけどな。よし、行ってこい」

 一年生は十人近くいるが最初に出るメンバーは家久が選んだ。二年生にはあらかじめ好きに選ぶよう伝えてあるが、必ず全員を出すことがこの試合のルールである。


「お前も少しはあいつを見習え。あそこまで単純、もとい素直になる必要はないが、十分の一くらいは騒いでもいい」

「そんな簡単に割り切れませんよ」

 一年組の中で最も不安そうにしていた秋穂を呼び止める。これから戦いに赴くような顔をしていない。逃げ出せるなら今すぐ逃げているだろう。

「仕方ないです。楽しさよりも不安の方が大きいから。昔からこうでした。運動部なんて本当は向いていない。バスケだって楽しいのかどうかよくわからないから。おかしいですよね。バスケ部に入っているのに、バスケを楽しめないなんて」

「いいや。別に構わないよ。楽しめなきゃやっちゃいけないなんてルールはないからな」

 あっさり答えると、秋穂は間が抜けたような顔を浮かべた。彼女の気持ちがわからないこともない。家久も義務感で練習をやっていたことがあるからだ。

 若月達に追いつきたいという想いは前向きなものばかりじゃなかった。後半は追い立てられるようなもので楽しいというよりも必死だった。それでも埋まらない周囲との差。どうしようもできない現実に辛い思いもしたものだった。好きなことをやっているからといって絶対に楽しめるものでもないのだ。


「そうだな……じゃあ発想を変えてみるといい。楽しむのではなくて、与えられた仕事を完遂する。そんな風に思ってやってみたらどうだ」

「どういうことですか?」

「嫌なことでもやらないといけないときがある。勉強だって嫌いな教科を省く訳にはいかないだろう。でも自分がどんなに嫌いな教科だって良い点を取れたら、達成感を感じないか」

 口籠りながらも納得している。家久のいう感覚に思い当たる部分があるのだ。

「テレビゲームなんかも一緒だよ。難しいステージや困難なミッションはこなすのが辛い。だけどやり甲斐はある。楽しむことはできなくてもな。仕事の中身は覚えているな」

 指を立てながらぶつぶつと確認する。緊張しても頭の中から消えてはいないようだ。


「余計なことを考えずにそれを実行するんだ。それでも緊張するなら、相手を人間と思うな。お前は飼育員だ。コートを走る犬にボールという餌をやってこい。お前が餌をくれるのを待ち構えているぞ」

「犬はそんなに好きじゃないです。私が飼っているのは熱帯魚ですから」

「やることは変わらない。魚も犬も餌を与えるのは同じだからな」

「そんな乱暴な、ああもうわかりました。先生の指示を守ることだけを考えます」

 これ以上は話せる時間がない。既に他のメンバーはコートの中央で待っており、秋穂もすぐに向かう。完全に不安が消えた訳じゃないが、少しは吹っ切れたようだ。


 秋穂を送り出し、家久は椅子に座り込む。すぐ横には一年生と同じくらい不安そうな小清水がいる。緊張のあまりほとんど喋らなかった。汗をかいた手を何度も握ったり、開いたりしている。何かを言っても聞こえないだろう。


「さて、どうなるかな」

 じっくりとコートを見つめる。試合が始まろうとしていた。


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