第14話 始まりの1on1
「ほら、あそこだよ」
「いくら何でもここまでしなくていいんじゃない?」
「ぐずぐずしていたら試合が終わっちゃうよ。試合は明日なんだよ」
電柱に隠れながら、こそこそと会話する。放課後になって教室へ向かったが、既に芽衣の姿はなかった。それでも諦めることなく、クラスメイトに自宅の場所を聞き出し、やってきたのだ。たまたま小学校が同じだった生徒がいたことは幸運だった。
「隠れる必要はあるの。何か悪い事している気になるんだけど」
「刑事ドラマ観てないの。張り込みと尾行はばれないようにするのが基本だよ」
「逆に目立っている気がするんだけど」
閑静な住宅街の一角。人通りは少ないがゼロではない。通り過ぎる人が視線を向けてくる。そのたびに秋穂は恥ずかしそうに俯いた。こんなところで同級生に会ったら、何て説明すればいいのかわからない。
「でもどうしてバスケ部に入らないんだろ」
「単純に止めただけじゃない。中学になったら興味が無くなるなんて普通でしょう」
「でも他の部にも入っていないんだよ」
本人とは話せなかったが、クラスメイトから色々と聞くことはできた。
「部活動以外にもやることなんていくらでもあるわよ。あんたの基準で考えないの」
頭の中が部活と運動だけの翔子と違い、中学生になれば選択肢が色々と増える。流石に悪いことへ興味を持っているようには見えないが、受験に備えて勉強をしている可能性は充分にあった。
「よし。じゃあ行こう」
直接訪ねようとしたとき、タイミング良くアパートのドアが開き、芽衣が出てきた。運動着に着替えており、リュックを背負っている。鍵を閉めると勢いよく走り出した。話しかける暇もない。
「まずい。追いましょう」
急いで後を追いかけるが追いつけない。小さな身体なので揺れるリュックが大きく見える。制服なので走りにくいのもあるが、単純に芽衣の足が速いのだ。
「も、もうだめ。さ、さきにいって」
振り向くと秋穂が死にそうな顔をしていた。息も絶え絶えとはこのことである。
「情けないよ。根性出しなさいって」
「む、むり、げほっ」
秋穂は翔子ほど体力もなく、足も遅い。ハイペースでは付いていけないのだ。秋穂の鞄を受け取り、腕を掴んで無理矢理引っ張っていく。
芽衣を追いかけていくと河川敷に出た。土手の上を走り、橋の下に到着するとようやく足を止める。金網に囲まれたコートにバスケットゴール。普段翔子が自主練をしているのと同じような場所だが来たことはなかった。
コートには芽衣の他に誰もいない。リュックからバスケボールを取り出すと、練習を始める。隠れて様子を窺っている翔子達に気付いていなかった。
「まさかこんな場所で練習していたなんてね。ゴールがあったなんて知っていた?」
「ううん。いつも違う場所で練習しているから」
いつの間にか設置されていることもあれば、撤去されていることもある。誰が用意しているかわからない。住民からすると一つの謎でもある。
「やっぱりバスケを止めた訳じゃないんだ」
短い時間しか話さなかったが、バスケを止めたとか、嫌いになったとは言っていなかった。だからこそ疑問が大きくなる。どうして部に入らないのか。
「聞けばわかるか」
力強い足取りでコートに向かう。二人の存在に気付き、あからさまに肩を竦め、ため息をついた。
「話は済んだはずだけど。練習の邪魔だから帰って」
「嫌だ。あなたには入ってもらう。優勝するためにね」
「一回戦すら勝てないチームが優勝なんて無理な話。平四を倒せる訳がない」
極めて現実的な意見だ。もう何年も公式戦で勝てていない。
「私達が強くしていけばいいのよ。目標は高く持たないと上手くなれないでしょう」
「口だけならいくらでも言える。現実的に何をしているの」
「部に名コーチがきたんだよ。これからどんどん強くなる。入らないと勿体ないよ」
「いや、ほとんど指導受けていないじゃない。というかその名コーチのせいでこんな面倒なことになっているんだけど」
今のところトラブルしか巻き起こしていない。秋穂からすれば頭痛の種である。
「新しい顧問。そんな人いた?」
「社会科の名取先生。あなたのことも先生から教えてもらったの。勧誘してこいっていうのも先生の指示。恨むなら先生を恨んでね」
命令するような口調ではなかったが、どう考えても誘導していた。
「経験者みたいよ。本人はたいしたことなかったって言ってたけど」
自分達の学年を担当している教師だ。流石に顔がわからないことはない。それでもピンときていなかった。運動をしているイメージが湧かないのだ。芽衣の中で何か結論を出したのか、静かに告げる。
「とにかく帰って。時間の無駄になる」
「待ってよ。部活に入る気がないなら、何であんなに練習しているのよ」
少し見ていただけだが本格的な動きをしていた。一切手を抜いておらず、間違っても趣味や運動不足の解消というものじゃない。
「あなたには関係ない。喋ることなんてもうないわ」
「じゃあ勝負してよ。じゃなきゃ帰らないから」
腕を組んでコートに座り込む。部に引き入れたいという想いもあるが、先程の動きを見て、単純に戦ってみたくなったのだ。どこまで通用するのかを試してみたい。
「文句があるなら力づくで追い払ってみてよ。それともできないのかしら。口だけなのはそっちも同じじゃない」
「うわっ、何か先生っぽい。この子はもう変なところを真似しちゃって」
やり口や言い方に家久の存在が垣間見える。成長というよりは悪影響を受けているようにしか思えないが。
「というか喧嘩を売ってどうするのよ。練習は行かないの」
翔子の決意は固く、梃子でも動きそうになかった。ショーケースの前で騒ぐ子供と似たようなものだ。しかしあまり時間を使う訳にもいかない。部活もあるのだから。
芽衣は小さくため息をつくとスリーポイントラインまで歩いていき、ボールを持って構える。どうやら承諾したようだ。不毛な議論を続けるよりも、さっさと勝負して終わらせた方が早いと思ったのだ。
立ち上がって握り拳を作る。どんな形であれ、ようやく芽衣を動かすことができた。翔子は急いでディフェンスにつくが、どこか浮かれていた気持ちが一気に引き締まる。想像もしない緊張感に肉体が支配された。
(うそっ。なにこれ)
小柄な肉体からは想像もできないほどのプレッシャー。今まで練習で一対一をしてきたが、ここまで威圧感を受けるのは初めてだ。桁が違うと言ってもいい。心なしか雰囲気が更に冷たくなった。
相手を圧し潰すというより、切り裂くような鋭さ。日本刀のように澄み切っており、刃を当てられているような感覚がする。自分の首を斬る恐ろしい構え。だというのに見惚れてしまいそうなほど綺麗だ。
芽衣の身体がぶれる。自分の間抜けな声が耳を打ち、瞬きをしたら目の前から消えていた。振り向くと既にシュートを打っている。まるで反応できなかった。あまりの鋭さに消えたように錯覚する。
「満足した? これでわかったでしょう」
衝撃を受けている翔子と違い、淡々としたものだった。芽衣にとって特別なことじゃない。準備運動にもなっていないのだ。これ以上は続けても無駄だと言っている。他でもない翔子自身も勝てないと思っていた。
初めて味わう苦い感覚。手足を動かすことが億劫でとても重い。あれだけあった闘志がすっかり萎えている。戦うのも嫌になる。心が折れるというのは、こういうことなのかもしれない。
「どああああああ。ちがうぅぅぅぅ!」
腹の底から割れんばかりの声を出す。橋を通る車の排気音を掻き消すような叫び。情けない想いを全力で追い出し、無理矢理にでも心へ火を点火する。
「これは何かの間違いだ。そう。間違い。やってやる。やれるのよ」
他でもない自分に言い聞かせる。勝負の結果を受け入れないのではない。己の中に芽生えた弱いものを否定したのだ。おかげですっかりリセットできた。
「今日は負けた。だけどいつか必ず勝つ。絶対に勝ってみせるから」
堂々とした宣戦布告。手袋を投げるのではなく、持ったまま殴りつけるような勢いだ。
「それまでは首を洗って待っていなさい。あんたは必ず私が倒す」
あまりにも完璧にやられたらいっそ清々しいというが、そんな境地にはなれない。湧き起こるのは身を掻きむしりたくなるほどの悔しさだ。惨めな敗北感や弱気な心はとっくに消えている。
最早里中芽衣は部活に引き入れる有望な選手でもなければ、仲良く練習する相手でもない。倒すべきライバルなのだ。
「ちょっと翔子。とりあえず試合は明日の十四時だから。ちゃんと伝えたからね」
心を揺さぶる衝動に従い、全力で走り去る。振り返っている暇などない。今はとにかく練習がしたかった。
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