第12話 秘密兵器を探せ
「いい加減元気出しなよ。ため息ばっかりだと幸せが逃げていくよ」
体育館の片付けも終わり、二人は帰宅しようとする。秋穂は部活が終わってもずっとこんな状態だった。まるで世界の終わりがきたような雰囲気で表情は暗い。
「むしろチャンスじゃん。これをものにすればレギュラーになれるんだよ。試合が待ちきれないよ」
「私は翔子みたいに能天気じゃないの。というかあの空気の重さを感じないの」
練習中はもちろん体育館の片付けをしているときも、二年生はどこか余所余所しい態度を取っていた。露骨に敵意を向ける者もおり、一部の者を除いて、一年はずっと緊張していた。
「そりゃ私もああいう空気は嫌だけど、決まったんだから仕方ないじゃん。切り替えて試合に集中しようよ」
先輩を敬う気持ちは当然あるが、試合に出たいという気持ちも同じくらい強い。むしろ戦えることが嬉しい。上手い相手とどんどん戦ってみたかった。
「あんたは先生に指名されたんだよ。期待されているってことじゃない。自信持ちなよ」
「持てないよ。レギュラーになりたい訳でもないし、上級生になってからほんの少し出られれば満足なの。部の雰囲気を悪くしてまで出たくないよ」
昔から秋穂は内向的で臆病なところがあった。先頭に立って騒ぐよりも後ろから目立たずに付いていく。注目されるのも好きじゃなかった。中学生になって少しは直ったかと思ったが、再び目を出してしまった。まさか自分がきっかけとなって、部の対立構造を作るなど思いもしなかっただろう。
「嫌なら自分達で変えるしかないよ。やれるってことを先輩達に認めてもらえばいいじゃない。そうすればきっとよくなるよ」
友人ではあるが消極的な思考には共感できないことも多い。ぐじぐじと悩む暇があるなら動いた方がいいからだ。
「バスケは楽しくないの?」
根本的な質問をする。今まではっきりと聞いたことはなかった。
「よくわからないよ。練習は大変だし、シュートは入らないし、付いていくだけで精一杯だから」
「じゃあ何でバスケ部に入ったの」
「あんたがしつこく誘ったからでしょう。特に入りたい部なんてなかったし、思い入れもそこまでないよ」
翔子のように明確な意思はない。他にやりたいこともないので、友人に付いてきたという良くも悪くも一般的な理由だった。運動部も文化部も関係なく、誘われていたらその部に入っていただろう。
「まさか辞めるなんて言わないよね」
「ここで辞めたら追いかけてくるでしょう。地獄の底まで」
「もちろん。絶対に連れ戻してみせる。あんたと一緒に勝ちたいからね」
自信を持って答えた。友人を困らせているかもしれないという思いはある。だがせっかく同じ部になったのだ。一緒に上手くなりたいし、試合にも出たかった。
「とりあえずはやってみるけど愚痴くらい言わせてよ。じゃなきゃ心がもたない」
あまりにも真っ直ぐに言われ、秋穂の毒気が抜け落ちる。ようやくいつもの調子が戻ってきた。
「うだうだ言うくらいなら練習しようよ、練習。そっちのほうがいいって」
「どうしたらそんなポジティブになれるのよ。というか本当に勝てると思っているの。無謀としか思えないんだけど」
「勝負はやってみなくちゃわからない」
力強く言い切る。もちろん不利なのはわかっているが、戦う前から諦めたくはない。
「それに先生のことだからきっと何か勝算があるんだよ。本番になったら作戦をくれるかもしれないよ」
「あんたがどう思うかは勝手だけど、あんまり信じない方がいいと思うよ。振り回されるのがオチだと思う」
無邪気に信じる翔子に懐疑的な視線を送る。あからさまに信用していない。ここまでの行いから信用しろというのが無理もあるが。
「どうしてよ。確かに今日はちょっと強引だったけど、一年にもチャンスを与えるためでしょう」
方法はともかく部は大きく動き出した。少なくても先週まではなかった何かを感じていたのだ。
「それに秋穂だって、先生の授業は好きだって言っていたじゃない」
前々から授業がわかりやすいと好感を持っていた。実際に小学生のときよりも社会が好きになったようである。
「悪い先生ではないと思うよ。でも絶対に良い人じゃない。私は確信したね」
鋭い目付きを浮かべて断言する。秋穂の中で既に線引きがされていた。
「ああ、二人ともまだ帰ってなかったか。丁度よかった」
家久に声をかけられたのは、校門に向かう途中のことだった。奇妙なほど柔らかい微笑み。それを見た秋穂は蛙が潰れたような呻き声を漏らす。同じ柔らかな笑みでも小清水とは質が違った。
「随分と暗いな。落城寸前の殿様みたいだぞ」
「例えがわかり辛いですよ。というか誰のせいだと思っているんですか」
「今度の試合のことがそんなに気になるか。あんまり重く受け止めるなよ。生命を取られる訳でもないし、思い切りやればいい。たかが練習の試合だ」
「先生もっと言ってあげてよ。ずっとこんな調子なんだから」
翔子は何も考えずに言っているが、家久は明らかに秋穂の心情をわかっている様子だった。
「わかりました。宿題もあるので今日は帰りますね」
話を打ち切り、そそくさと帰ろうとする。
「そんなに急がなくてもいいじゃない。宿題なんてなかったじゃん」
「嫌な予感がするのよ。あの顔を見て何も思わないの」
聞こえないようにこそこそと話し合う。家久は相変わらず優しく笑ったままだが、秋穂は悪魔に出くわした人間のように震えている。
「いつもと変わらないと思うけど」
「聞いた私が馬鹿だった。さっさと行くわよ」
警戒心を露わにしながら、家久から離れていく。
「不安になるのもわかる。一年には確かに不利な状況だ」
お構いなしに喋っている。翔子はちらちらと視線を向けているが、秋穂が強引に引っ張っていく。
「そこで朗報だ。ひょっとしたら一発逆転の手になるかもしれない」
にんまりと笑い、指を立てた。新しい発明品を思いついた博士のようだ。案の定、興味を惹かれた翔子の足が止まる。秋穂の目論見は簡単に崩された。
「一年に里中芽衣という生徒がいるんだが、この子はミニバス出身者でかなりの選手らしい。部に入ってもらうように勧誘してみたらどうだ」
二人は顔を見合わせる。聞いたことのない名前だった。
「知ってる?」
「聞いたことないよ。何で先生は知ってるんです。というよりそんな有名な選手がどうして部に入っていないんですか」
「俺も詳しいことはわからない。他人から聞いただけだ。この子が入ってくれれば、勝てる可能性が上がるぞ」
「わかりました。やってみます」
悩むこともなく言い切った。止める暇すらなく、秋穂は頭を抱えてしまう。
「そんな簡単に決めないでよ。何か深い事情があるかもしれないでしょう」
「本人から聞かないとわからないよ。当たって砕けろだ」
「砕けちゃ駄目だから。というより先生が誘えばいいじゃないですか」
「俺が言うよりも同学年のお前達の方が話もしやすいだろう。相手も緊張しなくていい」
尤もらしい理由だが秋穂の目つきは暗いままだった。
「また新しい無茶振りですか。今度は何を企んでいるんです」
「疑うなんて人が悪いぞ。俺は純粋にお前達のことを考えているんだよ。これで戦力差は埋まるだろ」
「たまに自分の声を録音して聴き直してください。少しは私の気持ちもわかりますよ」
堂々と言ってのける姿は実に胡散臭い。詐欺師も裸足で逃げ出しそうだ。困るのはそんな家久を翔子が信じ切っていることだった。
「じゃあお願いするよ。頼りにしているからな」
「任せてください。必ず連れてきます」
満足そうに笑い合う二人を尻目に、秋穂は肩を落とすのだった。
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