第7話 夜風につられて

 夜の路上を小さな街灯が照らしている。表通りからは外れているので人通りも少なく、気持ち良く歩けた。湿気を含んだ風も火照った身体には心地良い。夜中ではないので家々からはテレビの音や団欒の声が聞こえてくる。

 大原橋に近づいたとき、奇妙な音が聞こえてきた。聞き慣れた音ではあるがこの場所にはそぐわない。誘われるように橋の下へ足を向ける。


 金網に仕切られたコートにはバスケットゴールが備えられていた。民家は少し離れているし、橋の上を車が通るので音も紛れる。だから夜でも練習できるのだが、そこにいたのは散々頭を悩ませた存在だった。

 家久に気付いておらず、真剣な表情でボールをついている。力強い音が木霊するがリズムは良くない。フロントチェンジを何度かするが失敗してしまった。ボールが金網にぶつかり、大きな音を立てる。

 渋面を浮かべて、転がったボールを追いかけてくるとようやく家久に気付いた。


「せ、先生。どうしてここに」

 驚く翔子を無視して、入口から中に入る。依怙贔屓になるかもしれないが、酔っているからわからなかったと言えばいい。

「力の入れすぎだ。強くつきたいのはわかるが、叩きつければいい訳じゃない」

 ボールを拾って、その場でドリブルをつき始める。力をほとんど入れなくても、翔子のドリブルより安定感がある。

「指先でコントロールできればいいが、そんな繊細な感覚はまだわからないだろ。まずは手首全体を使ってみな。ただし掌で叩くなよ」

 ボールを渡すと慌てながらドリブルを始める。さっきよりは少しリズムが良くなった。


「使う場所なんて限られている。感覚が掴めないなら肘より下の部分を意識してみろ。腕から手首に。手首から指先へ。身体は繋がっているんだ」

 普通のドリブルから今度はフロントチェンジを始める。ドリブルをする手を変え、方向を変える。バスケでは基本的な技術の一つである。

「真横を叩くなよ。斜め上から優しく届けるようなイメージだ。逆の手は迎える形を作っておけ。いってらっしゃいと送り出し、優しく出迎えるんだ」

 ぎこちない動きだが先程より長く続いている。余計な力が抜けたのだ。何度か繰り返していたが、ボールを叩く場所を間違えたのか、明後日の方向へ転がっていく。


「ダッシュで取りにいけ。スピードは落とすなよ」

 指示に従い、慌てて拾いにいく。


「そのまま押し出すようにボールをつけ」

 ボールを取った勢いでドリブルを始める。ぐんとバネが弾むように肉体を押し出し、止まることなくゴールへ。


「飛べ。バックボードに優しく届けてこい」

 ゴールへ向かって高々と飛び上がる。基本のレイアップシュート。ボールはバックボードに当たり、ネットを通り抜ける。


「や、やった。先生やりました。ほとんど入らなかったのに」

 満面に笑みを浮かべて、その場で飛び跳ねる。余程嬉しかったのだろう。

「たった一本入っただけだぞ。レイアップは十本打って十本入るようにしなくちゃな」

「褒めてくれてもいいじゃないっスか」

 不満そうな声を上げる。表情がころころと動いている。

「下手なんだから仕方ないだろ。当たり前のシュートを当たり前に決める。そのために練習するんだ」

 たった一本の簡単なシュートを決めるために、数百本のシュートを打つ。積み重ねが本番に活きてくる。


「慎重に打とうとしすぎて、スピードを抑えすぎたんだろ。逆だよ。高跳びだって助走をつけた方が跳びやすいだろ」

 スピードを緩めすぎると逆に入らない。初心者は特にシュートを打ちにいく足運び、リズム感が掴めていないのだ。それを気にするあまり肝心のジャンプが低くなる。

「レイアップは自分から跳んでボールを近づけるんだよ。投げるんじゃなくて届ける。ぶつけるんじゃなくて当てる。それぐらいで丁度いい」

 上級者ならばともかく初心者が力だけで打てばまず失敗する。ボードに強く当たり、変なところへ飛んでいくのだ。


「細かいハンドリングよりも、最初は前へ進む速いドリブルを練習した方がいい。お前にはそっちの方が合っている」

 翔子のスピードはたいしたものだった。きっと使う場面も増えるはずだ。

「ありがとうございます。先生のおかげです」

「これぐらいは練習してれば、すぐに気づいていたよ。俺は何もしていない」

 ようはどこで感覚を掴むかだ。翔子ならいつかできるようになっていたはずだ。

「それでも今ドリブルがつけて、シュートが入ったのは先生が教えてくれたからです」

 臆面もなく言われると照れくさくなる。良くも悪くも感覚が子供なのだ。数か月前まで小学生だったのを考慮しても、今時珍しいくらいピュアな子だ。


「他にはどうすればいいですか」

「言っただろ。俺は顧問じゃない。これで終わりだ」

 目を輝かせてアドバイスを求める翔子を遮る。今のは酔った勢いみたいなものだ。

「九時前には帰れよ。遅くなるなら練習させないからな。親御さんを心配させないこと」

 翔子のことだから親には報告しているだろうが、それでも中学生をあまり遅くまで練習させる訳にはいかない。これは顧問だからとかではなく、教師として言わなくちゃいけない。


「諦めませんから。絶対顧問になってもらいますから!」

 背中越しにぶつけられる想い。何度も聞いた言葉に振り向くことなく家久は進んでいく。酔いが冷め、ひどく居心地が悪くなる。生暖かい風も今は冷たい。返すべき言葉など持ち合わせていなかった。


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