第1話 女子バスケットボール部

「東大原! ファイ、オウ、ファイ、オウ!」

 東大原中学校の校庭にバスケットボールの弾む音が響く。じめじめとした風が吹き、もうすぐ七月を迎えるとは思えないほど空気が重い。そんな空気を振り払うように、風見翔子は他の部員よりも一際大きな声を上げていた。


「随分気合が入ってるね。どうしたのよ、翔子」

 小学校からの友人である小野寺秋穂がポカンとしている。優しい顔立ちをしており、前髪をピンで留めている。大人しい性格で翔子とは正反対だがウマはあった。

「どうしたもこうしたもないよ。秋の新人戦まで時間がないんだよ。目指すは優勝だ」

「それは難しいんじゃないかな。私達この前も一回戦で負けたんだよ」

 先日行われた夏の総体予選で女子バスケ部は初戦で敗退した。三年生も引退し、新チームになったばかりなのだ。


「だからこそ私達が頑張らないと。もっともっと上手くなって今度は勝つんだ。あの悔しさを忘れたの」

 思い出すたびに手が震える。目の前で敗れた先輩達の姿が今でも目に焼き付いていた。何より悔しいのは、ベンチで応援するしかできなかった無力な自分だった。

「現実的なことを話してるの。優勝よりもまず一勝できるかどうかでしょう」

 女子バスケ部はここ数年一回戦も突破できていない。それに比べ、優勝した平田四中の実力は抜きん出ており、毎年都の上位にいくようなチームだ。いきなり優勝と言われても、絵空事にしか聞こえないだろう。


「そもそも私達は一年だよ。試合に出られないと思うけど」

「だったら追いつくつもりでやらないと。最初から諦めてどうするのよ」

「威勢の良いことを言う前に少しでも技術を上げろって言ってるの。レイアップもろくに入らないじゃない」

 無慈悲な言葉に喉が詰まるが、すぐに言い返す。

「で、できるよ。見てなさい」

 ボールを持って構え、力強くドリブルをつき始める。スピードはあるが安定感はない。狙いをつけるために速度を落とし、力を入れてバックボードに投げる。叩きつけられたボールは虚しく転がっていった。


「これじゃ口だけって言われても仕方ないでしょう。私も他人のことは言えないけどね」

「わ、わかってるわよ。入らないなら練習すればいいの。そうじゃなきゃいつまでも上手くなれないんだから」

 入部してからやってきたのは雑用と基礎練習だ。リングを使えるようになったのはつい最近である。リングは限られている。先輩達を押し退けて勝手に使えるものではない。だからこそ比較的自由に使えるようになったいま、猛練習をしたいのだ。

「焦っても仕方ないと思うよ。まずは一つのことからできるようにならないとね。優勝よりも目の前の試合だよ」

 極めて現実的な意見だった。昔からネガティブなことを言ったりもするが、秋穂は足元をちゃんと見ている。東大原中は優勝を狙うようなチームじゃないと思っているのだ。


 秋穂の気持ちがわからない訳でもなかった。それは体育館を見ていればわかる。開け放たれた扉からは気合の籠った激しい声が聞こえてくる。今日は男子だけが体育館を使う日だ。

 男子は準決勝まで進み、見事に都大会出場を決めた。数年前までは女子と同じで強くなかったが、顧問が代わったことで見違えるほど成長したのだ。練習の内容や質が高いことは素人である翔子にも何となくわかる。アドバイスを貰いたいとも思ったが、あの様子では女子にまで手が回らないだろう。

 優勝を狙うというのはああいうチームのことだ。女子のようなどこか緩い雰囲気が漂うチームとは違う。朝練も含めれば練習時間には雲泥の差があった。


「それでも・・・・・・やっぱり勝ちたいよ」

 心の底から湧き起こる熱いもの。抑えきれない想いが身を焦がしている。

 深い理由もなく面白そうだと思って始めたスポーツ。続けるうちにどんどん好きになっていった。どうせやるならもっと上手くなりたい。あの舞台に立って戦いたい。その思いは決勝の舞台を見てから、ますます強くなった。

 だが具体的に何をすればいいのかわからない。

 専門書やネットなどで技術は解説しているが、要領が掴めないことも多かった。自分に足りないものは何か。個人練習はしているが本当に上達している確信もなかった。


「何もないならせめて気合だけでも入れる。努力と根性だけでやっていくよ」

「良い心構えじゃないか一年」

 二年の相原さくらに話しかけられた。男みたいに短く切られた髪に凛々しい顔つき。チームの中で一番大きく、男兄弟の中で育ったためか性格は明るくさっぱりしている。口調が乱暴になるときもあるが、面倒見もいいので一年からも慕われていた。

「上手くなりたいなら、ガンガンやるしかないからな。腹から声を出していけ」

「わかりました。やってやりますよ」

 部員の中で一番波長が合う存在だった。考え方や気質が似ているためだろう。成績が悪いのも同じだった。

「その意気だ。ほら、集まるぞ」

 三橋冬美の号令に部員達が集合する。冬美は三年が卒業した後で部長に指名された。真面目で責任感があり、一年に練習や雑用のやり方を教えたのも彼女である。クラスでは学級委員も務めており、誰もが納得のいく人選だった。

 切れ長の目付きに引き締まった唇。長めの髪を後ろで縛っており、厳しい表情は本人の雰囲気と合わさって、容姿の秀麗さをより際立たせている。


「皆さんにお知らせすることがあります」

 冬美の横に立っていた小清水香織が暗い顔で告げる。去年東大原中に赴任した教師であり、今年から女子バスケ部の顧問になった。

 穏やかな女性で怒っているところを見たことがない。雰囲気も柔らかく、近所にいるお姉さんという感覚で人気がある教師である。だからこそあんな表情は似合わなかった。

「下口先生が病気で入院することになりました」

 女子バスケ部には顧問が二人おり、もう一人の顧問である下口は年配の女性である。バスケ部は下口が中心になってずっと見ていた。前々から体調を崩すこともあったが、入院するのは初めてのことである。


「そ、それじゃあ部はどうなるんですか!」

 思わず声をあげてしまう。部員の視線が集中するが気にも留めない。今は練習の方が遥かに気になった。

「安心してください。部の活動がなくなることはありません。練習はこれまで通り続けられます。そのために私がいますから」

 人の好い笑顔を浮かべているが、不安がありありと伝わってくる。小清水にバスケの経験や知識はない。学生の頃は運動部でもなかった。顧問になってからも戸惑ってばかりだった。

 それでも部の仕事を投げ出すことはせず、雑用なども積極的に手伝っていた。真面目な頑張り屋で部員の中にも嫌っている者はいない。

 だがこれからはベンチで指揮を執る立場になる。交代やタイムなどの指示を出し、作戦を考えなければいけない。緊張するなという方が難しい。

 尤も入院した下口にもバスケ経験はなかった。練習メニューは前からあるものを使い、技術的なアドバイスや細かい指示を受けたことはほとんどない。


「これから暑くなってきますが、体調管理には気をつけてください。水分補給は忘れずにしてくださいね。それじゃあ練習を始めましょう」

 挨拶が終わり、冬美の号令でいつもの練習が始まる。顧問が代わっても練習に困ることはない。これまで通り練習メニューを使い回せばいいだけだ。結果として、今までとほとんど変わらないのかもしれない。

 でもそれで本当に勝てるのか。変わらないということは、負けてきたこれまでと同じなのではないか。


「ああもう。東大原! ファイ、オウ、ファイ、オウ!」

 頭を振って暗い気持ちを追い出す。熱く燃える気合に水をかけられた気分だが、落ち込んでいる暇はない。今はただ練習をするだけだ。それしかできないのだから。


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