死ね

白米よりご飯派。いや、やっぱり味噌汁派

死ね

 僕は昔から女性を好きになることができなかった。それは、僕が高校時代に一度だけ見た、名も知らぬあの子のせいだった。


 高校二年の夏休み、僕は学校に忘れ物を取りに訪れていた。学校には部活動に勤しむ生徒しかおらず、校舎内はシンとしていた。周りには誰もいなく、一人で校舎内を歩いていると何だか特別な気持ちになった。

 教室で忘れ物を回収した僕は、一階の下駄箱に戻るための長い廊下を歩いていた。僕の教室であった二年四組は、正面玄関から一番遠い距離にあったのだ。すると、前から駆け足で向かってくる一人の少女が目に入った。

 黒が印象的な少女だった。髪は定規で引かれたかのようにまっすぐで、整えられていた。肌が雪のように白いせいか、彼女の黒い瞳がさらに際立っていた。

 僕はその少女に一目ぼれした。人生で初めて抱いた恋心だった。

 少女の手には彼女のか弱そうな体躯には似合わない、六法全書のような大きな本を抱えていた。少女は何故、こんなにも大きな本を抱えながら急いでいるのだろうか。僕は考えてみるが、分からない。しかし、その姿は驚く程に美しかった。

 一度、僕と彼女はすれ違った。僕は急いで振り返り、彼女を呼び止めた。

「ちょっと待ってくれ!」

 彼女は足を止め、振り返る。僕はしまったと思った。次に何を言えばいいのかが思いつかなかった。

「……君の名前は?」と僕は言った。

 彼女は首を僅かに横に振った。言いたくないという意味らしい。

「その本、とても重そうだね。何についての本なの?」

 僕はそんなことしか言うことができなかった。

「歴史」と彼女は言った。

 いや、実際には言っていなかった。彼女の声は聞こえなかったが、口の形でそうだと分かった。

「歴史かあ、僕は歴史苦手なんだ。覚えることが多すぎて」と僕は言った。

 自分はいったい何を言っているのだと思った。

 彼女は僕がそう言うと、また前を振り返って駆け足で行ってしまった。名前を聞きそびれてしまった。しかし、また今度会ったときに聞けばいいと思った。しかし、僕が彼女に会うことはもうなかった。見かけることさえなかった。


 僕は彼女を探した。同じ学校の生徒なのだ。見つけられないということはあるまい。しかし、僕はいつまで経っても彼女を見つけることができなかった。彼女の情報さえ掴むことができなかった。僕は転校してしまったのだと思ったが、ここ最近で転校した生徒はいないと先生は言った。

 結局、そのままあの少女とは一度も会わずに僕は卒業した。もちろん卒業後も彼女と会うことはなかった。


 どうすればいいのかと僕は思った。だって、僕は未だにあの少女に恋をしているのだ。あの子のことしか僕は考えられないのだ。僕は、何年も前に見た一人の少女にずっと囚われている。そのせいで、他の女性を好きになることができないのだ。

 声も名前も知らない少女に、僕はずっと片思いしている。

 僕の中にいるあの少女は、今も高校二年の夏休みのあの静かな校舎内を大きな本を抱えながら、どこかへと急いで向かっているのだ。


 僕が見たあの少女はいったい何者だったのだろうか?

 何故、僕は一度しか見ていない少女に囚われなくてはならないのか?

 僕は心の底から願った。

 頼むから、いつまでも僕の思い出の中にいるあの少女のことは忘れ消え去ってくれ。

 そう。


 頼むから、死んでくれ。

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