旅行の妄想

和山静香

旅行の妄想

「もうすぐ夏休みが来るねえ」

「その前に期末テストと地獄のレポートがあるし、そもそもの話、まだ一か月以上前だよ」

「いやいや。そんなこと言ってる間にすぐ来るのだよ。嗚呼、テスト三日前になって初めて勉強しだす己の姿がありありと思い浮かぶ……」

「しみじみと言うな。しみじみと」

 まったく。ため息とともに言葉を吐き出したカイは、ほうれん草の器を手に取った。最近野菜を摂取していない体への、せめてもの罪滅ぼしである。

 食堂は、午前最後の授業が終わってすぐということもあり、満席だった。席を探している素振りの学生グループがレジの出口付近にたまっている。一方、カイらの席の隣では、六人グループが空の食器を前に大盛り上がりを見せていた。

 学生のやかましい声と下品な笑い声で満ちた食堂。カイは心の中で、カクテルパーティー現象を拝んだ。

「でさ、」

「ん?」

 カイは顔を上げた。言葉を聞き逃したのかと思ったが、ミコの顔を見るにそうではないらしい。ミコは少し身を乗り出して言った。

「旅行、行きたくない?」

「旅行?」

「大学の夏休みはたっぷり二か月! 行くなら今でしょ」

「はいはい、今という名の夏休みね」

「夏って何があったかな~。花火に、プール、海水浴……」

「今のご時世じゃあ叶いそうもないことだ」

「……。そういうこと言っちゃダメじゃん。私たちにできるのは、幻想を抱いて学生生活を終わらせることだよ」

「……」

「……」

「言ってて悲しくならない?」

「虚しいけど? 悲しいけどォ? それがなに? ねえ、私、前世で大罪でも犯したの?」

「よしよし」

「行動を伴わない『よしよし』はいらんのよ」

「じゃあセルフ頭なでなででもしとけ」

「そっちのが虚しいわ」

「わがままだあ」

 二人は揃って大きなため息をついた。

 窒息しそうな社会。高校生のころに抱いた自由は、今や見る影もなく。キラキラとした大学生生活はフィクションの中だけだったようだ。

 ミコはうどんを勢いよく啜ると、真剣な表情になった。

「行くならどこよ」

「見上げた不屈の精神だ」

「こうでもしないと生きていけないんだよ。わかれ。オレたちが、今、大切にすべきは妄想と幻想と幻覚だ。わかれ」

「二回も言った」

「わかれ」

「おーけー、もう言わない。ループはこりごりだ。……行くなら、うーん、都会、とか?」

「東京とか?」

「そうそう。修学旅行でも行ったけど、ゆっくり見れなかったし。浅草とか、もう一回見てみたい」

「あの辺、スイーツ系多いけど大丈夫?」

「大丈夫だけど。なんで?」

「え、お菓子食べない人だと思ってたから……」

「いつも遊ぶときにお菓子持って行ってるんですけど? もしかして夢だった?」

「い、イメージがさ。ほら」

「わっかんねー」

 カイはみそ汁を飲み干した。

 ミコとは一度夕飯を共にしている。しかもそのあとファミレスでスイーツを二皿食べている。ミコの言い分は、カイにとってまったく理解できなかった。

「ここから東京に行くなら、何かな。やっぱり夜行バスだよね」

 ミコは早口でわざとらしく話題転換をした。なんともぎこちない笑顔だ。

 カイは肩をすくめて、それに乗った。

「飛行機なんて到底手が出せる金額じゃないし」

「新幹線はないし」

「交通系ICカードは使えないし」

「今それ関係ないんだわあ」

「テレビでよく見る感じに、カッコよくカードを当てて、ゲートを抜けてみたい」

「小さい! 夢が小さすぎる!」

「地下鉄というものにも乗ってみたいな。どんな景色なんだろう」

「『地下』鉄だからトンネルの中と同じだよ。見たところで自分の顔しか映らないから」

「あと満員電車に乗るのも夢だなあ」

「いっそ東京に就職してしまえ」

「フフッ。楽しいなあ」

 カイは目を閉じて、微笑みを浮かべた。

 ミコはカイを若干引いた目で見た。つい十数分前に「妄想と幻想と幻覚が大切だ」と啖呵を切った手前言いにくいが、まさかここまで妄想と幻想と幻覚で楽しんでくるとは思ってもみなかったのだ。カイを舐めていた。こわい。

「ところでさ」

「なに?」

 ミコは顔を上げてカイを見た。そして少し身を固くした。

 カイが穏やかに笑っている。


「人ごみ、苦手なんだよね。むしろ嫌い」


「……は」

「うん」

「はあああ!?」


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