第3話

「こっち!」


 女の子の案内で、幾つもの角を曲がり路地を通り抜け、二人と一頭は、人気のない町外れの広場で足を止めた。男は追って来ない。二人は雪の上にへたり込み、息を整えた。


「大丈夫?」


 男の子の問いに、女の子が頷く。その視線が男の子の傍に立つロバへと向けられた。


「それ、あんたの?」


 女の子が指さし、男の子がアンソニーを見る。


「ああ……まぁ」


 頭を掻きながら男の子が答えると、アンソニーが不満気に鼻を鳴らした。


「そ。じゃあ、あたしを買ってくれるってわけね」


 女の子が掌を突き出して見せる。男の子は、意味がわからずぽかんとしていたが、しばらくして意味を悟ると、顔を真っ赤にした。女の子の青い瞳から逃げるように目線を泳がせ、アンソニーと目が合う。そこで初めて自分が誤解されていることに気付いた。


「ごめん、違うんだ。こいつは、おれが働いてる農家ので、おれんじゃない」


 だから君を買うようなお金は持っていないんだ、と説明すると、女の子は興味を失ったかのように、ふーん、とそっぽを向いた。上気した頬にかかる蜂蜜色の髪、伏し目がちな青い瞳、男の子の知らない空気がそこにはあった。


「なんであたしを助けたの?」


 女の子の青い瞳が、今度は男の子を射るように見つめる。男の子は思わず息をのんだ。


「なんでって……助けてって、言ってただろ。だから助けた。それだけだ」


 女の子は、男の子の真剣な目を見て、突然吹き出して笑った。


「ロバに蹴られるなんて、ばっかみたい!」


 二人は、アンソニーに蹴られた男の様子を思い出して笑った。二人の笑い声が鉛色の空に吸い込まれていく。ひとしきり笑うと、胸につかえていた何かが僅かに軽くなったような気がした。


「しばらくあそこには行けないな」


 そう言って女の子が立ち上がる。服についた雪を払い落として、フードを被った。つられて男の子も立ち上がる。


「そうだな。君は、あそこに近づかない方がいい。おれは、もうちょっと先に行ったとこに用があるから、ぐるっと遠回りして行ってみることにするよ」


 男の子が引き綱を持ち直し、アンソニーの軽く首を叩いてやると、アンソニーは物言いた気に首を振るった。


「あ、あのさ。その……大丈夫?」


 女の子は、男の子の視線が空の籠に向いているのに気付くと、さっと背後に籠を隠した。


「いつものことだから」


 そして、何かを振り切るように笑ってみせた。


「助けてくれて、ありがとう」


 それだけ言うと、男の子に背を向けて立ち去った。残された男の子の肩を、アンソニーの長い鼻がつつく。


「だって、どうしろっていうんだよ」


 雪は変わらず降り続き、やがて彼らの痕跡を真っ白に覆い尽くしてしまうだろう。



 男の子とアンソニーは、市場の外れで不安気な表情をして歩いていた。そろそろ目的の場所へ着いても良い頃だったが、どこの店も閉まっていて、それらしい店が見当たらない。道を聞くにも人の姿がなく、来た道を戻ろうかと思った時だった。


「坊主、何か探してるのか」


 突然、背後から声を掛けられて、男の子は驚いて振り向いた。そこには、体格のいい見知らぬ男が立っていた。男の子の顔に警戒の色が浮かぶ。一歩後ずさりして、アンソニーの引き綱をぎゅっと握りしめる。


「えっと……この辺りに、家畜を買い取ってくれる店があったと思うんだけど、見当たらなくて」


「ああ、キエフの店な。あいつなら、とっくに店を畳んで町を出て行ったぜ。

 もっと南の暖かいとこへ越すんだとよ」


「え、そんなっ」


 男の子はアンソニーを見た。アンソニーも不安そうに男の子を見返す。

 男がアンソニーに目をやった。


「そいつを売りたいのかい」


 男の子が力なく頷くと、男はしたり顔で大きく頷いてみせた。


「俺の知り合いに、ロバを探してる奴がいてな。

 そいつなら、いくらかで買い取ってくれるだろう」


「本当ですか?!」


「ああ。ちょうど今からそいつの家に向かうとこだったんだ。

 ついでに連れてってやろう。どうする?」


 男の子は、アンソニーを見た。もしかするとアンソニーを売らずに済むかもしれない、という考えが浮かぶが、このまま家に帰れば、カルグに殴られた上に、一週間はろくに食べさせてもらえないだろう。男の子の考えを見抜いたように、アンソニーが、長い鼻で男の子の背中を押した。


「お願いします」


 男は、朗らかに笑い、自身の胸を叩いて見せた。



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