第2話
町の中心部には大きな広場があり、そこから伸びる大通りに沿って幾つもの露店が立ち並んでいる。そのほとんどは空であったが、乾物やチーズ、ピクルス、根菜などの食材や日用品が所々で売られており、それらを買い求める人たちの姿が僅かにあった。
「花はいかがですか? かわいい、きれいな花はいかがですか?」
大通りの道端で、一人の女の子が花を売っていた。頭から雪避けのフードを被り、腕には空の籠を下げている。
時折通りかかる男に声を掛けるが、皆見向きもしない。それを見た通りすがりの女が眉を潜めて足早に避けていく。女の子は、フードを目深に被り直し、上唇を噛んだ。足元に降り積もる雪に溶けて、消えてしまいたいと思った。
女の子の鼻に、ふわりとパンの焼ける香ばしい匂いが届いた。反射的にお腹が音を立て、顔を赤くして俯く。
女の子は、自分の間違いに気づいた。一番人が通りやすいからと、食材売場を選択したのだが、通りかかるのは主婦か食べ物屋の下働きくらいで、自分の用事を済ませてしまうと一様に帰路へ急ぐ。むしろ人目を気にして誰も声を掛けようとはしない。石を投げつけてくる者もいた。
(結局、いつものとこか……)
大通りの裏にも小規模だが露店が立ち並んでおり、いつもはそこで花を売っているのだが、ここ数日めっきり人通りがなくなってしまったので、ここしばらくまともな食事を取ることができなくなっていた。こうなることは予想できたが、背に腹は変えられず、こちら側へと出て来てみたが、やはり失敗に終わったようだ。
女の子が肩を落としながら細い路地に入ると、突然何者かに後ろから口を塞がれた。
「お嬢ちゃん、オレに花ぁ売ってくれよ」
ねっとりと絡みつくような声が女の子の耳を舐めた。反射的に身を硬くしたが、すぐに客だと気付き、肩の力を抜いていった。右手でそっとコートのポケットにある硬い膨らみを確かめる。男は、女の子が抵抗しないと見て、手を緩めた。男の息は、酒気を帯びていた。
「……前払いだよ。そしたら、花のある場所まで案内する」
震える声を抑えながら少し硬い口調で女の子が言う。その様子を楽しむかのように、男は笑った。
「かてぇこと言うなよ、オレぁ今すぐ欲しいんだ。
お嬢ちゃんのかわいいかわいい花、今ここで見せてくれよ」
男の右手が女の子のスカートをたくし上げ、太ももに手を這わした。女の子は抵抗したが、逆の手で腰を抱き寄せられ、身動きが取れない。叫ぼうと開いた口を、今度は男が右手で塞ごうとする。その隙を狙って、女の子は、ポケットから取り出した掌大の石礫を男の顔面に思い切り叩きつけた。
「ぐあっ」
男が顔を抑えて離れた隙に、女の子は男の脇をくぐり抜け、表通りに飛び出した。
「誰か、助けて!」
通りを歩いていた人たちが一斉に女の子を見る。路地から男が追い掛けてくる気配を感じ、女の子は走った。
しかし、すぐ男に捕まってしまう。
「イヤ、離してっ! 誰か、誰か助けて!」
女の子が激しく抵抗するも、男はびくともしない。
暴れているうちにフードが外れ、蜂蜜色の髪が零れた。
「なんだ、移民族か」
男の声に蔑みの色が浮かぶ。
女の子は、はっとして青い瞳を周囲へと向けた。
誰もが嫌悪感を露わに顔をしかめている。
女の子の顔がさっと青ざめた。
「まあいい。金ならさっき払っただろ。
花売りなら大人しく客の言うことを聞け」
お金なんてもらっていない、と叫ぼうとした女の子の口を男が手で塞いだ。
目だけで周りに助けを求めたが、誰もが目を逸らし、足早に通り過ぎていく。
誰が助けてくれると思ったのだろう、女の子は自身に問うた。
移民族は、人間として認められず、家畜以下の扱いを受ける。
この外見がある限り、助けてくれる人などいないのだ。
女の子の瞳から光が失われていく。
男は、再び女の子を路地へ連れて行こうとした。
(嫌だ……っ)
女の子が目を瞑った瞬間、突然現れた一頭のロバに蹴りあげられて、男が地に倒れた。拘束が解けた女の子は、勢い余って地に腰をつく。
灰色の痩せ老いたロバは、歯を剥き出して男に唾を吐いた。
状況が飲み込めず、悪態を吐きながら起き上がろうとする男を茫然と見つめていると、横から男の子が手を差し出した。
「逃げよう!」
躊躇いは一瞬。
二人は、手を取り合って逃げ出した。そのすぐ後をロバが追い掛ける。
起き上がった男は、角を曲がって消える蜂蜜色の髪と、揺れるロバの尻を憎らしげに睨んでいた。
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